レイモンド・ムーイ先生は癒しの伝道者の他に“経営コンサルタント”という肩書きを持ち実際に働いておられます。大企業のトップたちが相談に訪れるそうです。教会には国会議員や経営者や医師などいわゆるセレブの人々が普通に出席します。これは韓国でも普通のことで、世界的に見ても当たり前のことです。(最近の欧米では違うらしいですが)
しかし、日本では教会は弱者の集うところと言うイメージが固定してしまっています。イエス様の周りにもどちらかと言うと弱者貧者が集まっていた印象があります。取税人、遊女など社会からはつまはじきとなっていた人々が集っていました。その中でセレブが訪れた記録があります。
さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行なうことができません。」イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」ニコデモは答えて言った。「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」ヨハネ3:1〜9
ニコデモは聖書の学者であり、国会議員に相当する地位の人でした。ですから、彼は「夜」イエス様の元にやってきたのです。なんだか日本の現状と似ていますね。実は日本でもセレブ階級の人でクリスチャンの人は一般人よりも高率です。約10%とも言います。しかし
一般的には依然としてキリスト教はマイナーで弱者の宗教と思われています。
しかし、福音はいつの時代でも支配層にも浸透して来ました。何とパウロはすでにその時代にローマ皇帝の親族にクリスチャンがいると証言しています。
聖徒たち全員が、そして特にカイザルの家に属する人々が、よろしくと言っています。ピリピ4:22
どうして日本では、クリスチャンであると言うことがこんなにもマイナーなことなのでしょうか。この国では福音は成熟していないと思わずにはいられません。
間もなく私の本が出版されます。その表紙の帯のキャッチフレーズを読んで、私は思わずほほえんでしまいました。それは「石が叫ぶ」と言うことにぴったりだったのです。私たちクリスチャンから見れば奇妙奇天烈な、しかし、編集者なりの真面目な福音宣教だったのです。
本というものは著者の書いただけのものではありません。編集者は内容を把握し、裏づけを取り、場合によっては引用の許可を取ったり、章や小見出しを考えて入れたりします。本のタイトルもほとんどの場合編集者たちが作ります。私の本の帯のキャッチフレーズも彼らの理解する神、彼らの言葉での福音?アピールなのです。
私はいつも思います。もうちょっとなのに。どこかで何かが崩れると、一気に日本に福音が雪崩れ込むのではないだろうか。世界の常識は日本の非常識と言う言葉がありますが、いつか世界の常識、メジャーで社会の王道を行くキリスト教が日本でも受け入れられる日が来るのではないだろうか。福音が成熟し、人々が何の違和感もなく受け入れ、教会に富者も貧者も強者も弱者も当たり前に集う時が来るのではないだろうか。そして、主の主、王の王を讃え、崇める日が来るのではないだろうか。
地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである。
主はその基を大海のうえにすえ、大川のうえに定められた。
主の山に登るべき者はだれか。その聖所に立つべき者はだれか。
手が清く、心のいさぎよい者、その魂がむなしい事に望みをかけない者、
偽って誓わない者こそ、その人である。
このような人は主から祝福をうけ、その救の神から義をうける。
これこそ主を慕う者のやから、ヤコブの神の、み顔を求める者のやからである。
門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。
栄光の王とはだれか。強く勇ましい主、戦いに勇ましい主である。
門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。
この栄光の王とはだれか。万軍の主、これこそ栄光の王である。詩篇24:1〜10(口語訳)
日本の門よ、こうべを上げよ、とこしえの戸よ、あがれ。