ホームページ・メッセージ130310        小 石  泉

死者との付き合い方

 日本では死者との接点を求めることがよく行われています。盆、彼岸など、死者を迎え、送り出す儀式が行われます。日本人の心の中には死者に対する畏敬の念があり、祈りの対象であるのです。私は一度、靖国神社で神職の人に「この神社ではどういう神を祭っているのですか」と聞いて恥をかいたことがあります。私は神社というのは何らかの神を祭って救いを求めるものだと思っていたのです。クリスチャンホームに生まれ育った私にはそうとしか考えられませんでした。ところが、その神職の人から靖国神社は戦争で死んだ人々が神として祭られていると聞いてびっくりしました。人が神になるのか・・・・。
 家内を天に送って1年。私は自分の奇妙な行動に気がつきました。家内と話しているのです。――もちろん一方通行であるのですが―― これまで父も母も親しい友も天に送りましたが、その人々と会話することはありませんでした。そして、これが日本人であり仏教徒である人々のベースにあるのだろうかと思いました。
 聖書は死者との交流を求めることを強く禁じています。
人々があなたがたに、「霊媒や、さえずり、ささやく口寄せに尋ねよ。」と言うとき、民は自分の神に尋ねなければならない。生きている者のために、死人に伺いを立てなければならないのか。 おしえとあかしに尋ねなければならない。もし、このことばに従って語らなければ、その人には夜明けがない。彼は、迫害され、飢えて、国を歩き回り、飢えて、怒りに身をゆだねる。上を仰いでは自分の王と神をのろう。地を見ると、見よ、苦難とやみ、苦悩の暗やみ、暗黒、追放された者。イザヤ8:19〜22
 神さまは非常な嫌悪感を持ってこれらの行いを禁じています。
あなたがたは霊媒や口寄せに心を移してはならない。彼らを求めて、彼らに汚されてはならない。わたしはあなたがたの神、主である。レビ19:31
霊媒や口寄せのところにおもむき、彼らを慕って淫行を行なう者があれば、わたしはその者から顔をそむけ、その者をその民の間から断つ。20:6
男か女で、霊媒や口寄せがいるなら、その者は必ず殺されなければならない。彼らは石で打ち殺されなければならない。彼らの血の責任は彼らにある。」20:27
 ところが世界中にこれらの霊媒や口寄せが絶えることはありませんでした。日本でも沖縄のユタ、東北地方のイタコなど厳しい修行の後に職業として成り立っていました。特に眼の悪い女性の生活の場であったようです。
 イスラエルの王サウロは神に捨てられ、途方にくれた時、預言者サムエルの霊を口寄せの女に頼んで呼び出してもらっています。
それで、サウルは主に伺ったが、主が夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかったので、サウルは自分の家来たちに言った。「霊媒をする女を捜して来い。私がその女のところに行って、その女に尋ねてみよう。」家来たちはサウルに言った。「エン・ドルに霊媒をする女がいます。」サウルは、変装して身なりを変え、ふたりの部下を連れて、夜、その女のところに行き、そして言った。「霊媒によって、私のために占い、私の名ざす人を呼び出してもらいたい。」 すると、この女は彼に言った。「あなたは、サウルがこの国から霊媒や口寄せを断ち滅ぼされたことをご存じのはずです。それなのに、なぜ、私のいのちにわなをかけて、私を殺そうとするのですか。」 サウルは主にかけて彼女に誓って言った。「主は生きておられる。このことにより、あなたが咎を負うことは決してない。」 すると、女は言った。「だれを呼び出しましょうか。」サウルは言った。「サムエルを呼び出してもらいたい。」この女がサムエルを見たとき、大声で叫んだ。そしてこの女はサウルに次のように言った。「あなたはなぜ、私を欺いたのですか。あなたはサウルではありませんか。」 王は彼女に言った。「恐れることはない。何が見えるのか。」この女はサウルに言った。「こうごうしい方が地から上って来られるのが見えます。」サウルは彼女に尋ねた。「どんな様子をしておられるか。」彼女は言った。「年老いた方が上って来られます。外套を着ておられます。」サウルは、その人がサムエルであることがわかって、地にひれ伏して、おじぎをした。Tサムエル28:6〜14
 このことでサムエルはサウルを厳しく戒めます。哀れといえば哀れなサウル。
 それにしても生と死のこの厳粛な離別。人は、いつかはその心情にピリオドを打たなければなりません。
イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間モーセのために泣いた。そしてモーセのために泣き悲しむ日はついに終った。申命記34:8(口語訳)
「ついにおわった」。あの偉大なモーセのために嘆き悲しむ日も終わらなければなりませんでした。死者との交流は、許されないことなのです。新しい明日に向かって歩みを進める時が来るのです。生きているものは生きている者の間で。