しかし、ノアは、主の心にかなっていた。これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。ノアは三人の息子、セム、ハム、ヤペテを生んだ。地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。創世記6:8〜11
先日、テレビ番組の中で面白いことをやっていました。「なぜ外人は冬でも半袖で居られるのか」というものでした。普通は「食べるものが違う」ぐらいで終わってしまうのですが、彼らは道行く外人に体温を測らせてもらったのです。すると驚いたことにほとんどの人が37度から38度なのです。私は、今まで人間の体温は36度前後だと思い込んでいたのでとてもびっくりしました。37〜38度とは日本人なら風邪で発熱している温度です。原因は脂肪分の多い食事のせいだろうといわれていますが。人間は思ったよりも幅の広い体質を持っているのですね。
ノアの子供、セム、ハム、ヤペテはそれぞれ「名声」「色黒」「色白」という意味です。それでセムは黄色人者、ハムは黒色人種、ヤペテは白色人種の先祖と考えられています。大洪水の後、セムは中東からアジアに、ハムはアフリカに、ヤペテはヨーロッパに拡散していきました。北に向かったヤペテはだんだん太陽光線の少ない地方に行ったために、皮膚はますます白くなり、髪は太陽光を受けるために白や金髪になりました。鼻は冷たい空気を暖めて肺に送るために高く長くなりました。北欧の人が色白で金髪なのはそのせいなのです。一方、ハムは強い太陽光を防ぐために皮膚の色はますます黒くなり、髪の毛は熱を拡散するようにちじれ、鼻は低く短くなりました。セムはそのままだったのでしょう。これを世の人は進化と言うかもしれませんが、人間の体質の潜在的な能力です。犬があんなに多様な色、形を持って居るように一つの種の中にもこのような多様性が含まれる場合があるのですね。
悲しいことに人間は平和に過ごすことが出来ない種でした。当時、もしそのまま人口が増えていったら瞬く間に数十億人になっただろうと、ある学者は言っています。そうならなかったのは殺し合ったからだそうです。動物は生存のために殺す場合がありますが、人間は欲得のために殺し合います。
「地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた」とはなんと悲しい言葉でしょうか。今もそれはあまり変わっていないように思います。原発があんなに危険だということが判っていても欲得でやめないではありませんか。
さて長く生きていると人間には、肌の色に関係なく、クオリティ(本質、品質、質、素養、才能)の差があるなあと思います。強盗や殺人や盗みや詐欺をする人と、そんなことは考えもしないで毎日地道に生きている人。さらには事にあたって、わが身を省みないで犠牲にする人などは同じ人間でもクオリティに差があります。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。ガラテヤ5:22〜23
これらの美徳は御霊の実と言われていますが、人間の中には生まれつきこれらの美徳の一部を持っている人がいるように思います。優しさ、思いやり、賢さ、行動力などの美しい能力を自然に持ち合せていて、なにげなく行動に移していく人がいます。そんな人にとって、そういう美徳は無意識のものでさほど大したことをしているとは思っていないのです。もちろんそれらが本当に御霊によって与えられて行くならすばらしいことです。
教会がこれらの美徳を持った人々であふれ、それらがさほど意識されずに発散され、優しさや思いやり、柔和で自制に満ちた場所になりますように。天国にはセムもハムもヤペテも、皮膚の色の違いも無く、これらの美徳だけしかないところなのでしょう。教会が小さな天国でありますように。