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わたしは常に

ダビデがアビメレクの前で狂ったさまをよそおい、追われて出ていったときの歌
わたしは常に主をほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない。
わが魂は主によって誇る。苦しむ者はこれを聞いて喜ぶであろう。
わたしと共に主をあがめよ、われらは共にみ名をほめたたえよう。詩篇34:1 〜3 (口語訳)
 なんとすばらしい神への賛歌でしょう。ダビデは高らかに神をほめたたえています。ところがこの歌が歌われたのは勝利の真ん中ではなかったのです。それは惨めな敗北に近い状況でした。この歌は冒頭の一節が重要です。ここでアビメレクとあるのは敵国ペリシテの町ガテの王アキシュのことです。アビメレクはこの町の王の称号だったようです。この事件の前にダビデは祭司アヒメレクに会っています。名前が似ているので気をつけてください。
ダビデはその日、すぐにサウルからのがれ、ガテの王アキシュのところへ行った。するとアキシュの家来たちがアキシュに言った。「この人は、あの国の王ダビデではありませんか。みなが踊りながら、『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。』と言って歌っていたのは、この人のことではありませんか。」ダビデは、このことばを気にして、ガテの王アキシュを非常に恐れた。それでダビデは彼らの前で気違いを装い、捕えられて狂ったふりをし、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりした。アキシュは家来たちに言った。「おい、おまえたちも見るように、この男は気違いだ。なぜ、私のところに連れて来たのか。私が気違いでもほしいというのか。私の前で狂っているのを見せるために、この男を連れて来たのか。この男を私の家に入れようとでもいうのか。Tサムエル21:10〜15
 サウルに追われて逃げ場のなくなったダビデはペリシテ人のところに逃げ込みました。当時、ダビデは有名で特にペリシテ人はゴリアテのことからダビデを恐れ敬っていましたのでダビデはもしかすると保護してくれるかもしれないと思ったのでしょう。しかしペリシテ人は、ダビデと知って大いに警戒します。絶対絶命の中でダビデは気違いのふりをして窮地を脱します。とても勝利とはいえない状況です。とても神様への賛美を捧げられる心境ではありません。しかし、彼はこんな状況の中でも神を賛美する道を選びました。「わたしは常に主をほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない。」 どんな時も、たとえ物事が自分の思うようにならなくても、神に全てをゆだねた自分は神をほめたたえる。
 同じような危機にあったダニエルの友、シャデラク、メシャク、アベデネゴも神への絶対的信頼をネブカデネザル王に、王の作った像を礼拝することを拒絶して告げました。
シャデラク、メシャクおよびアベデネゴは王に答えて言った、「ネブカデネザルよ、この事について、お答えする必要はありません。 もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」。ダニエル3:16〜18
 この像を拝まなければ火の炉に投込むと言う命令を知った上で、「神はわたしたちを救ってくださいます」しかし「たといそうでなくとも」私たちは王の命令に従いません。彼らは本当に火の炉に、それも通常より七倍も熱く炉に投げ入れられました。しかし、彼らは火で焼かれることはなかったのです。
 物事が自分の望むように進まなくとも、神様への絶対的信頼を持ち続ける雄々しい信仰が神に喜ばれるのです。(ここは特に新改訳聖書ではわかりにくい箇所です。)
あなたがたのうち主を恐れ、そのしもべの声に聞き従い、暗い中を歩いて光を得なくても、なお主の名を頼み、おのれの神にたよる者はだれか。イザヤ50:10(口語訳)
 常に主をほめまつる。この荘厳な命がけの決意。このような信仰を神は軽んじられません。神と共に生きる人はこういう人です。