それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。イザヤ7:14
「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)マタイ1:23
紀元前735年ごろ南王国ユダの王アハズの時代にアラム(シリヤ)の王とイスラエルの王とがアッシリヤと戦うために同盟を結ぶことを申し入れてきたが,アハズがそれを拒絶したため,両国がユダに攻め込んできた(イザ7:1‐2).アハズはアッシリヤに助けを求めた(U列16:7‐8).しかし預言者イザヤは,政治的な策略に頼って国家を守るのではなく,静まって神にこそより頼まなければならないという主からのことばを王に伝えた(イザ7:3以下).そしてそのしるしを求めるように勧めるが,不遜にも王は聞き入れない.そこで主自ら一つのしるしを与えられた.すなわちインマヌエル誕生の預言である. (以上「聖書の達人」より引用)
インマヌエルという言葉は聖書の中で3回しか出てきません。これは不思議な言葉で、このイザヤの預言に該当する子供は旧約聖書中には現れてこないのです。それにもかかわらずこの言葉はメシアの輝かしい名前として記録されているのです。
そしてこれは主イエスの名前として最もふさわしいものでした。インマヌエルは、“共に”をあらわす「イム」、“私たち”をあらわす「ヌー」と、“神”をあらわす「エル」が集まって出来た言葉です。
では、なぜイエスという名が付けられたのでしょうか。インマヌエルは主イエスのご性質を表していますが、イエスはご人格をあらわしています。イエスはイエシュア、ヨシュアです。ヨシは救うということ、ヤは神の名ヤハウエの短縮形です。つまり救い主であるヤハウエという意味になります。
この方は神の位を捨てて、地上に下られました。
キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。
ピリピ2:6〜11(口語訳)
そして私たちと共に居ることを喜ばれています。主はこう言われました。
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。マタイ28:20
世の終わりまで、共に居てくださる。実感としては感じないのですが、そう約束してくださったのです。素直に受け取ることです。
だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」イザヤ43:1〜2
こんなにも力強く約束してくださいます。信じる時、それは実現します。
そして間もなくその時が来ます。
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。1テサロニケ4:17
信じましょう。そして生きましょう。