最近、菅直人さんの「福島原発事故、総理大臣として考えたこと」(幻冬舎)という本を読みました。すごい本です。菅さんがたまたま原子力にいくらかの知識があったことと、危機一髪の幸運のためにこの恐ろしい災害を最小限に食い止めることが出来たのです。日本が無くなるかもしれなかったのです。それにもかかわらず、まだ原発を続けようという人々のなんと多いことか。菅さんは脱原発を表明してから急に引きおろす動きが盛んになったと嘆いています。
もしかしたら、私たちは今こうして生きていることが出来なかったかもしれません。何とか生きているのは、神様の助けがあったのではないかと思います。それほど危険なことだったのです。それでも原発を止めない人々は国家や国民を自分の利益の代償にしようとしています。自分まで巻き添えになるのに。クリスチャンとしてこの国に生きるということを考えさせられました。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。マタイ6:33
けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。ピリピ3:20
世間は選挙一色です。今回は14もの政党が乱立して何とも頼りないことになっています。しかし、私たちは一緒になって右往左往しないようにしましょう。私たちの関心は、まず第一に天の神の国にあるからです。この国の選挙に全く関心が無いわけではないのですが、人生を賭ける問題ではないのです。
私たちの国籍は天にあります。国籍というものは生まれると自然に与えられるものと考えられていますが、そうでもないのです。アメリカで生まれた日本人の子は18歳になると自分で日本かアメリカのどちらかを選択できます。私たちの場合は御子イエスの贖いを信じた時から天国の国籍を与えられました。
この国では国民が為政者を選ぶのではなく、為政者が国民を選びます。国民は税金を払わず、為政者が命の代価を支払ってくださいました。
こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。ヤコブ5:7
この国に入るまで、私たちは言わば二重国籍です。それは寄留者のようです。
これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。ヘブル11:13
寄留者といえば、ユダヤ人がそのお手本です。彼らは世界中に散らばって、それぞれの国民として生きてきましたが、ユダヤ人であるという意識は強烈にあって、そのためにあらゆるところで迫害されました。それでも国民としての義務は忠実に果たしたのです。第一次世界大戦の時、ドイツで、英軍機80機を撃墜して“レッド・バロン”として恐れられたリヒトホフェンはユダヤ人でした。その他、ロシア革命のレーニン、マルクスなど大きな影響を与えた人物の名を上げるのに事欠きません。私たちは寄留者というアイデンテティーのあり方を、ユダヤ人を見ることによって学ぶことが出来ます。この国と運命を共にしますが、この国だけではないのです。
私たちは父の家を逃れて一人さびしく荒野の夜を迎えたヤコブの心境に学びます。ヤコブの夢に現れた神は、
見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」ヤコブは眠りからさめて、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」と言った。 彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」 翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。 そして、その場所の名をベテルと呼んだ。しかし、その町の名は、以前はルズであった。 それからヤコブは誓願を立てて言った。「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路で私を守ってくださり、私に食べるパンと着る着物を賜わり、私が無事に父の家に帰ることができ、主が私の神となってくださるので、 私が石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜わる物の十分の一を私は必ずあなたにささげます。」創世記28:15〜22
あなたがどこに居ても神様は近くに居られます。あなたの居るところはどこでもベテル(ベト=家、エル=神)神の家です。私たちは旧約の先輩たちのように「はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白し」ましょう。もう彼らの期待したメシアは一度来られたのですから。