ホームページ・メッセージ121111        小 石  泉

ヨブによる福音書

神は私のように人間ではないから、私は「さあ、さばきの座にいっしょに行こう。」と申し入れることはできない。私たちふたりの上に手を置く仲裁者が私たちの間にはいない。ヨブ9:32〜33
 旧約聖書のヨブ記は人間の苦悩について書かれている書物として有名です。ところが私にはむしろ人間と神とをつなぐ仲介者または仲裁者について書かれていることの方が印象に残ります。例えばこの箇所です。旧約聖書の神は全能者、イスラエルの保護者、圧倒的な力の存在として描かれています。ところがここに来てヨブは人間と神との仲立ち、仲介者、仲裁者が必要だと言う、全く新しい思想を語ります。これは新約(新しい約束)の私たちには当然のことですが、旧約(古い約束)のイスラエル人には驚くべき真理だったに違いありません。もちろんそれまでにもそういう思想はあったでしょうが、それをこんなにもはっきりと表明したのはヨブ記が初めてだと思います。
 家族を失い、病に苦しめられていたヨブに友人たちがやってきます。彼らはヨブを慰め、力づけようとして来たのですが、ヨブのあまりの悲惨さに「これはヨブに何か悪いところがあって神に裁かれているのだ」と言う固定概念から、ヨブを責めることになります。しかし、ヨブにしてみれば「別に自分は他の人よりも特別悪いことはしていない。神に責められるような悪事は働いていない。私は神を敬い真実に生きてきた」という思いがありますから友人たちと激しく議論します。その結果、到達したのは人間には神と人をつなぐ仲裁者が必要だと言う思想でした。9章のこの段階ではまだその仲裁者がいるかどうかわからない状況です。ところが友人たちとの議論の末にたどり着いたのはもうその“人”はいるという結論でした。
今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます。16:19
 ここで私たちクリスチャンにとっては当たり前のことですが、ヨブは一人の仲裁者、一つのパーソナリテイがすでに天には居られるということを発見したのです。これは驚くべき発見でした。救い主、仲裁者、仲保者が人間と共通の基盤で現れるという発想に至ったのは、考えようによっては驚天動地の出来事でした。もちろんそれまでにもアブラハムやモーセによってそのことはおぼろげながらに知らされていました。しかし、ヨブは初めて明確に、それは一人の人物であり、天に居られる方だと断言したのです。そしてその方が後に地上に来られるとまで預言したのです。
わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、後の日に彼は必ず地の上に立たれる。19:26
 これは正に福音書の未来形です。ヨブは人間としてやってくるメシア、神の御子を正確に預言したのです。ここに明確に神の表れとしての救い主、三位一体の神の御子の来臨を告げたのです。その意味でヨブ記は旧約聖書の福音書と言って良いでしょう。
 ヨブ記の主題は人間がどうしたら神の正しさに到達できるかと言うものです。ヨブは人間的に見れば非の打ち所のない立派な人でした。しかしそこには自己満足や自分を義とする高慢がありました。それら全てを砕かれた地にちりのようになって本当の神の求めておられる正しさに到達するのです。 ところでヨブ記はところどころにとても面白いエピソードが書かれています。冒頭で神の会議がありサタンがやってきて神様と会話します。
ある日のこと、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンもいっしょに来て、主の前に立った。主はサタンに仰せられた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えて言った。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」2:1〜2
 これは私たちの理解を越えた光景です。なぜ神様とサタンが一緒にいるのか? わかりませんがいつか天に行った時に教えていただけるでしょう。ただ、サタンはこの場合はヨブを清め正しくするために役立っています。
 ヨブ記はまた宇宙や地球の自然界の真理を何気なく語ります。
神は北を虚空に張り、地を何もない上に掛けられる。神は水を濃い雲の中に包まれるが、その下の雲は裂けない。神は御座の面をおおい、その上に雲を広げ、水の面に円を描いて、光とやみとの境とされた。26:7〜10
 20年ぐらい前に、新聞に「北に虚空」と言う見出しがあり、地球から見て北に当たる宇宙空間に星の極端に少ない虚空の領域があると書かれていました。私はこのヨブ記の箇所をコピーして新聞社に送りましたが反応はありませんでした・・・。
 この箇所の「水の面に円を描いて光とやみの境とされた」と言う箇所はまるで宇宙ステーションから地球を見ているようです。
 また、長いので引用はしませんが28章などは現在の鉱山の描写です。エレベーターまである! さらに28章25節では空気圧や水圧のことが書かれています。
神は風を重くし、水のはかりで量られる。28:25
 38章以降は神様ご自身が御造りになった世界を説明されています。中でも次の御言葉は地球の回転を表している箇所です。
地は刻印を押された粘土のように変わり、衣服のように色づけられる。38:14
 これはちょっと説明を要します。古代の印章は言わば現在のはんこの側面に彫刻したものです。それをまだ柔らかな粘土板にころころと回して模様を付けました。そのまままわしつづけるとまた元に戻って同じ模様が出てきます。地球も回って一日経つとまた元に戻ります。そのことを言っているのです。
 こうして神様はヨブにお答えになりました。一人の人の悩み苦しみに対して宇宙の創造者が直接語られたのです。ヨブは全てを理解し、恥じてへりくだり、神の期待に沿う偉大な信仰者に変えられていきました。
ヨブは主に答えて言った。あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。知識もなくて、摂理をおおい隠した者は、だれでしょう。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。どうか聞いてください。私が申し上げます。私はあなたにお尋ねします。私にお示しください。私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。 それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。42:1〜6
 ヨブは神の求めておられる本当の正しさを獲得し神の民、神の友となったのです。私たちにも多くの教訓がありますね。ヨブ記は本当に興味深い書ですね。ただし注意していただきたいのは、ヨブの友人たちの言葉は真理と受け止めるべきではありません。