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人の国と神の国

また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。使途17:26(口語訳)
 近頃、何だか急に国土の境界問題がやかましくなってきました。竹島にしても尖閣諸島にしても、それぞれの言い分があって、昔だったら戦争になっているかもしれません。かつてケ小平氏が上手いことを言いました。「私たちの世代はこういう問題を解決できるほど賢くない。だからもっと賢い世代にまかせようではないか。それで収まっていたのに石原慎太郎氏が無責任な発言をするからこういうことになったのでしょう。このまま戦争になってしまうのか心配です。
 しかし、国境とは何を基準に決められるのでしょうか。言語ではありませんし、民族でもありません。元々、人間は一つの言語、一つの民族だったものが、あのバベルの塔以来こんなにも多くに分かれてしまったのです。それ以来世界はバベル(混乱)となりました。その混乱を収め、世界の人間を一つに結びつける出来事がありました。
五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、 ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」人々はみな、驚き惑って、互いに「いったいこれはどうしたことか。」と言った。使徒2:1〜12
 ペンテコストの日に弟子たちの上に聖霊が下ると、弟子たちは話したこともない国々の言葉で話し始めたのです。これを「異言」と呼びます。これ以来、異言を語る人々、すなわちクリスチャンは全世界で一つの民族となりました。
(異言はペンテコスト派やカリスマ派だけの特殊な現れと思われていますが、私はすべてのクリスチャンは異言を語れるはずだと思っています。)
 こうしてみると、民族や国家を分けている大元は言語だということがわかります。韓国にしても中国にしても隣の国なのに、行ってみるとさっぱり言葉が判らなくて、ただお互いに顔を見合わせて微笑むぐらいしか出来ません。
 しかし、間もなく世界は統一されるでしょう。
彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。黙示録13:7
 間もなくやってくる反キリスト、サタンの一人子は強引に世界を統一します。すでにその準備は整っています。そうなると、とりあえず領土問題などは無くなるでしょう。今の計画では、世界は10のブロックに分けられ、国の政府は無くなり、言わば地方自治体のようになるでしょう。世界は偽りの平和を見ることでしょう。しかし、それはかなり無理な統一なので、ほんの数年で終わります。サタンの子、反キリストは再臨されるキリストによって滅ぼされます。この後、本当の世界統一がキリストによって実現します。
それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。ヨハネ17:2
 その時,聖書は私たち神につくものが世界を支配すると言います。
勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。黙示録2:26
 どういう形になるのか、さっぱりわかりませんが、とにかくそうあるのです。実は私は色々と調べて、キリストの再臨までのスケジュールはおぼろげながらに判るのですが、その先が全くわかりません。あるとき、神様に祈りました「どうぞ、その先を教えてください」。すると私は幻のうちに広い平野に立っていました。そして私の前には地平線の果てから果てまで、カーテンがかかっていました。「その先は知らなくていい」と神様が言っているようでした。
 この世で生きる限り、この世の動きと無関係ではいられないのですが、私たちは動かない国、永遠の都を見つめていましょう。この世の動きに連動していると、それが変化して過ちだったことになるかもしれません。中国や韓国のクリスチャンとは福音の民としてシャロームと挨拶できますように。