ホームページ・メッセージ120916        小 石  泉

かつてなく今後もない

そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。マタイ24:21
 今は人類が最も繁栄し、最も知識が増し、力を持った時代です。この200年位は地上に人類が現れてから最大の進歩発展を経験し、地球上のあらゆるエネルギーを発見して利用し、車を初め飛行機など急速に動くことが出来るようになりました。核エネルギーのような極限のエネルギーさえ保有し発電に利用しています。
それと同時に、“かつてなく、今後もないような”災厄を経験しているし、今後もっと経験するでしょう。これまで6000年以上、人類は自分が住んでいる地球を焼き尽くすことが出来る武器を持ったことはありませんでした、しかし、今は地球を何度でも焼き尽くすことが出来る核兵器を持っています。
 馬が最速の乗り物だった時代は5800年位続いたのですが、この200年で汽車から新幹線に、複葉機からロケットに発展しています。これはもう行き着くところまで行き着いた状態と言えるでしょう。そして、ここは終末の核戦争を言っているように思います。
 イエス様はこの御言葉の前にこう言っておられます。
イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。た、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。マタイ24:3〜14
 終わりの日に次のようなことが起こります。

  • 多くの偽キリスト、偽預言者が現れます。
  • 戦争や飢饉や地震が起こります。
  • 迫害が起こります。
  • 福音が全世界に伝えられます。  驚くべきことに、このような危機と災難の時代の真ん中で、福音が伝えられているのです。誰が伝えているのでしょう? 今に生きる私たちです。かつてなく今後もない時代はまた福音もかつてなく今後もないほど伝えられる時代なのです。
     今はテレビ、映画、ラジオ、レコーダー、印刷技術、交通手段、オーデオなど福音を伝える有効な手段が豊富にあります。そして、事実それらを使ってかつてなく今後もないような伝道が行われているのです。
     かつてなく今後もない患難の時は、かつてなく今後もない宣教の時でもあります。私たちは終わりの日の災難や迫害を恐れているのではなく、むしろ最後で最大のチャンスを迎えているのだということを覚えたいのです。
    また私は、もうひとりの御使いが中天を飛ぶのを見た。彼は、地上に住む人々、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音を携えていた。彼は大声で言った。「神を恐れ、神をあがめよ。神のさばきの時が来たからである。天と地と海と水の源を創造した方を拝め。」黙示録14:6〜7
     ここで中天を飛ぶ御使いが現れています。私はどうしてもこれはテレビ、ラジオなど電波を使った伝道のような気がしてなりません。ところが驚くことに、この箇所は黙示録の数的な順番によれば、反キリストが現れた究極の迫害の時期のあとなのです! 不思議ですね、私たちは反キリストが現れたらキリスト教そのものが存亡の危機に瀕すると思いがちです。しかし、この御使いは大胆に神の裁きを伝え、悔い改めを迫っています。
     誰が、どんなメデアを使って福音を伝えるのでしょうか。そんな時に使える電波の供給があるのでしょうか。それともどこかに隠れながらポータブルな無線機で伝えているのでしょうか。もしかするとインターネットならば可能かもしれません。
     終わりの日には福音宣教はしぼんでしまうのではなく、ますます活発に大胆に宣べ伝えられるのです。かつてなく今後もない時代の伝道はかつてなく今後もない形で行われるでしょう。私たちはそのための心備えをしておくべきでしょう。
     さて、冒頭の御言葉の続きは次のようなものです。
    もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。そのとき、『そら、キリストがここにいる。』とか、『そこにいる。』とか言う者があっても、信じてはいけません。にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる。』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる。』と聞いても、信じてはいけません。人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。マタイ24:22 〜27
     最後の災厄の期間は“選ばれた者”のために短くされます。私はそれが核兵器による戦争と思っているのですが、それすら神の御心によって長くも短くもされるのです。もちろんそんなことがない無いほうが良いに決まっていますが、人の心の邪悪さを完全に洗い出すには、どうしても無くてはならないのです。
     私たちは人間が創造されてからこの方、最も終わりの場面に直面しているのです。
    わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。ヨシュア1:9