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愛の使徒ヨハネ

 ヨハネは“愛の使徒”と言われています。愛と言う言葉はヨハネの福音書では39回、3つの書簡でも39回使われています。合計78回で新約聖書全体では282回(新改訳)ですからヨハネだけで4分の1以上使っていることになります。
 ご存知のように、新約聖書の書かれたギリシャ語には愛という言葉は三種類あります。男女の愛を表す場合はエロース、深い友情や母の愛、愛国心などの場合はフィレオー、そして、ここで語られている至高の愛はアガペーです。罪ある人のためにご自分の御子を十字架につけた神の愛です。ヨハネは神を「愛のある方」ではなく「愛である」と言っています。一体、世界のどの宗教に愛という資質を持った神がいるでしょうか。
愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。Tヨハネ4:7〜8
 愛の神が宇宙を創り人間を創られました。宇宙の物質の内、まだ大部分は解明されていません。ですから科学者たちはそれをダークマター(暗黒物質)と呼んでいます。しかし、聖書は宇宙の根本原因は愛だと言っています。暗黒どころか光輝く神の愛です。この方は、そのお名前をヤハウエと言います。「在りて有る者」存在の根源と言う意味です。
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。ヨハネ1:3
 存在という名の神が愛によってすべての物を創造されました。なんと言う美しい物語でしょうか。宇宙は愛に満ちています。宇宙はそのはじめから希望にあふれていたのです。
 しかし、人間は神の愛から歩みだして暗黒の王サタンに従ってしまいました。その結果すべての物が暗闇に閉ざされてしまいました。
地を見ると、見よ、苦難とやみ、苦悩の暗やみ、暗黒、追放された者。イザヤ8:22
見よ、暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう。しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる。60:2(口語訳)
 聖書の最大のテーマは回復です。希望に満ちて始まって順調に育まれたというのではなく、希望に満ちて始まったものが、一旦破壊され、それが回復されるということなのです。なぜ神様はそんな回り道をされたのでしょうか。それは闇を知らない者は光のありがたさが判らないからです。夜のない国に生まれたら、昼間の光は判りません。明るいということが当たり前の国では明るさへの感謝がないのです。日本では晴れた日を良い天気といいますが、地球のある地域では雨の日が良い天気なのです。
 神様は回復も愛によってなさいました。
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。Tヨハネ4:9〜11
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し」て下さったとヨハネは言っています。神様はヨハネという人を通して御自分の意思を示されました。これほどまでに念入りな記述はヨハネでなければ書けなかったでしょう。「もう、十分です!」と言いたいほどです。ヨハネは永遠に神の愛の記録をしたのです。
 しかし、このヨハネもはじめからそんな人物ではありませんでした。イエス様に“ボアネルゲ”「雷の子」とあだ名されたほど短気でした。そのヨハネが、神が愛であることを永遠に記録する者となりました。ヨハネは神が愛であると全ての歴史にわたって宣言したのです。私たちは神の愛について全てを理解することは不可能かもしれません。
いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。4:12〜13
 互いに愛し合うなら、神が私たちのうちにいるということ人々は知ると言われています。では具体的に、どうすればたがいに愛し合うことができるのでしょう。
 それについてはパウロが語っています。
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。Tコリント13:4〜7(口語訳)