ホームページ・メッセージ120722        小 石  泉

天候を支配する力

さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう。」と言われた。そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。 すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって水でいっぱいになった。 ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った、「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」マルコ4:35〜41
 恐ろしい九州の大雨で増水した川の映像を見ていると、昔の人が川のことを龍とかオロチと呼んだのが判る気がします。沸き立ち、怒涛のようにあふれ流れる川は本当に龍のようでした。ヤマタノオロチ退治というのは、実は川の治水事業のことだと何かで読んだ気がします。こんなときイエスさまがおられたらと思いました。
 イエスさまは天候を支配することが出来ました。天地を創造された方なのですから当たり前だと言えば当たり前なのですが。ガリラヤ湖は海抜マイナス200メートルのくぼ地にあります。それで時々、巻き込む風によって激しい嵐が起こりました。この時も突然の嵐でイエスさまと弟子たちの乗った小船は木の葉のように頼りないものとなりました。弟子たちは恐れてイエスさまを起こしました。そんな嵐の中で平然と寝ておられたのです。弟子たちの声でやっと目覚めたイエスさまは嵐を一言で静めました。神様は言葉で世界を創造されました。「神が『光よ。あれ。』と仰せられた。すると光ができた」。嵐も言葉で静めたのです。神の言葉には驚くべき力があります。
 ところが神様は人間にもこの力をお与えになります。
ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」T列王17:1
 エリヤは神に忠実な預言者でした。そして何と「私のことばによらなければ」雨も露も降らないと断言しました。本来なら「神様は雨を降らせないと言っている」と言うべきでしょう。しかし、彼は完全に神の代理人となっていたのです。
 そして、本当に3年間雨は降りませんでした。日本は雨の多い国ですがそれでも半年も降らなかったら大変です。よく四国が数ヶ月雨が降らなくて大騒ぎになります。台風が来るのを待望することもあります。それが3年ですから想像を越えます。時の王アハブは神を侮る悪い王でしたが、この旱魃がエリヤのせいだと思っていました。それでエリヤに会ったときこう言ったのです。
アハブがエリヤを見るや、アハブは彼に言った。「これはおまえか。イスラエルを煩わすもの。」T列王18:17
 この後、エリヤは雨を降らせます。アハブにこう言ったのです。
それから、エリヤはアハブに言った。「上って行って飲み食いしなさい。激しい大雨の音がするから。」T列王18:41
 私たちにこのような力が与えられるとは思えませんが、エリヤも同じ人間でした。その後の彼の惨めな敗北の姿は、彼が私たちと同じような弱さを持った人間であることを示すために神が通された道です。
 イエスさまも弟子たちに「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです」と言っておられますが、この言葉は「あなた方も出来るのに」という意味を含んでいるそうです。あの怒涛のような大水を見ていると私たちも弟子たちと同じように恐れおののくばかりですが。少なくとも、同じ主が居られることは覚えていましょう。
 サタンが世界支配を企てる時、この天候を支配する力も模倣します。その際、サタンは言葉ではなく、意外に思われるかもしれませんが、テクノロジー(科学技術)を用います。クリスチャンはサタンの働きを霊的分野だけだと思っていますが、違います。サタンは人間を使ってテクノロジーによって働きを展開するのです。あの「オズの魔法使い」という物語の魔法使いは科学者でした。あの物語はサタニズムの教則本です。今やサタンは強力な電磁波を使って地震や天候を思いのままに操ることが出来るといいます。アラスカを始め幾つかのところにこのような基地があり、それらは一つの市や町に相当するスペースを持っているということです。私はある程度その情報を入手しています。
 アハブとエリヤ、サタン的な王と神の僕。その対立軸は今も昔も変わりないのです。エリヤのような大預言者にはなれなくとも、祈りをもって主に仕えましょう。