ホームページ・メッセージ120715        小 石  泉

塵のように灰のように

見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。イザヤ60:2
 見ず知らずの人に刺された、自殺の練習をさせられていた、老後の蓄えを電話だけで騙し取られた。世の中は暗い話題で一杯です。人々の心の中は真っ暗で希望が無いので狂気のように暴走するのでしょうか。こんなことはいつまでも続かないでしょう。神様は長く忍耐をしておられますがいつまでもそのままにしておかれるわけではありません。
 南米のインカ、アステカ、マヤなどの文化は驚くほど高い知識と教養を持っていました。しかし、スペインの侵略によって滅び去りました。どうしてあれほどの文化があれほど徹底的に消されたのでしょうか。実はこれらの南米の文化は恐ろしい儀式に特徴があります。巨大なピラミッドの下には無数の幼児のいけにえの跡があります。彼らは太陽神に生きた幼児の心臓を捧げたのです。その他にも選手同士が互いに殺しあう非常に残虐なスポーツの祭りがありました。このような文化を神様はいつまでも許してはおかれません。メソポタミア、エジプト、ギリシャ、ローマ、にも同じような儀式はありましたが、南米の人身御供は際立っています。日本には橋を作るときの人柱などの話は残っていますが、人身御供の風習はあまりなかったようです。その点は幸いでした。
 今、日本の若者の心が心配です。空虚で暗黒でどこにも希望は無く自暴自棄に走る傾向が見られます。
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。ローマ1:20〜21
 この御言葉の通りですね。もっとも神を知っていながらと言うのは当てはまらないですが。「思いは空しく、無知な心は暗くなった」とは本当ですね。
 一体どうしたらいいのでしょうか。一番大切なことは自分の誇りを捨て、へりくだることなのです。これは非常に難しいことです。私は多くの人々と出会いましたが問題を抱えている人には誇り高い人が多いと言うことに気がつきました。
主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。詩篇34:18
神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。51:17
 昔、イスラエルの人々は悲しい時、ちりや灰を被り、衣を引き裂いて嘆きました。神様は悔いし砕かれた魂を軽しめられません。今、日本に必要なことはこの悔い改めなのです。ダビデがあのような大罪を犯したのに許されたのは魂が砕かれていたからです。日本人全体がへりくだって神の前に出ることが必要です。しかし、そんなことは見たところありえない状況です。
 最近、WATOTOというコンサートに行きました。それはウガンダの孤児たちのダンスと歌のコンサートでした。生き生きと歌い踊る少年少女たちの顔は喜びに輝いていました。食べるものも、住む家もなく捨てられた経験を持つ彼らは、宣教師の運営する孤児院に拾われたのです。そこで食べるもの着るものを与えられ教育も受けた彼らは希望にあふれています。物質に満ち足りた日本人の子供たちには決して見られない目の輝きでした。
 「悔い改めなさい。ちり灰のようになって。神様の前に泣き崩れて。何時間でも祈りなさい。『あなただけが私の救いです』と叫びなさい。答えを得るまで何日でも主の前にひれ伏しなさい」と叫びたい気持ちです。しかし、答えは空しいでしょう。人々は笑ってあざけるでしょう。
 かつて日本では“天に代わりて不義を打つ”という歌が歌われました。ロシアに勝ち、中国で連戦連勝の勢いでこの歌を歌ったのです。軍部はうぬぼれのぼせて高慢の限りを尽くしました。それに対して神様は厳しい裁きをもたらしたではありませんか。同様に、もし、現代の日本人が悔い改めないなら、神様は別の方法で悔い改めをもたらすでしょう。私にはその時が間近であるという予感がします。悔い改めよ! 荒野で呼ばわるものになりましょう。