ホームページ・メッセージ120708        小 石  泉

原発と詩篇

わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。
わが助けは、天と地を造られた主から来る。
主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。
見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない。
主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。
昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。
主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう。詩篇121:1〜8(口語訳)
 何という不安な時代に私たちは生きていることでしょう。私は第二次世界大戦を一応経験しました。地面を揺るがしながら近づいてくるB29の編隊の爆音を覚えています。爆弾の炸裂する音、燃え上がる民家、乏しい食料。しかし、今ほど不安な時はないと思います。福島の原発は安全になったとは言い難く、もしもう一度大きな地震があると壊滅的な打撃を受けると言われています。本当に関西以西に逃げるか、外国に移住するか考え、実行している人も多いようです。しかし、誰でも出来るわけではありません。
 この時代に、詩篇は大きな安心を与えてくれます。ダビデは「わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る」と歌っています。放射線や原爆から自分たちを守る手段を私たちは持ちません。ただ、いつでもどこでも最も安全なのは「主」のふところです。天と地を創られた方が放射線も創りました。この方が「まどろむこともなく、眠ることもなく」守ってくださると聖書は約束しています。ダビデは「昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない」とも歌っていますが、一般には昼間の太陽による災いは日射病、夜の月による災いは精神的な病を表していると言われています。しかし、太陽からは大量の放射線が出ています。それはおもに地球を取り巻くバンアレン帯やオゾン層によって地上に来ることをさえぎられていますが、神様は原発からの放射線もさえぎってくださるでしょう。「主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、またあなたの命を守られる」とあることは単なる詩的な修飾語や口先の約束事ではありません。「主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう」とありますが、私たちは、今、町中に設置されている監視カメラ以上に、神様の注目の中にあるのです。
全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。
喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。
知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。
感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。
主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。詩篇100:1〜5
 ここに人間の存在の理由と条件が書かれています。私たちは「主に造られ」、「主のもの」であり、「その牧場の羊」なのです。このように徹底した信頼と委任が出来るならば、それこそ恐れるものは何もないでしょう。私たちに出来ること、またすべきことは「喜びの声をあげ」、「喜びを持って主に仕え」、「喜び歌いつつ御前に来る」ことです。
そして彼らに言った、「あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です」ネヘミヤ8:10(口語訳)
 こんな時代、こんな国で喜ぶことなんて出来ないと思っていませんか。毎日毎日のわずらわしい勤めや人間関係に疲れてふさぎこんでいませんか。「主を喜ぶこと」があなたの力です。憂いてはならないと命じられています。喜べなくとも喜ぶのです。そう命じられているのです。
さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。詩篇95:1
 最近、時々、外部の人から、教会に行くことが苦痛だと言う話を耳にします。困ったことです。教会はエデン(喜びの園)でなければならないのです。そして、「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に」入り、「主に感謝し、御名をほめたたえる」場所でなければならないのです。祈りましょう。喜びの爆発を期待して。