さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。マタイ16:13〜17
ピリポ・カイザリヤはイスラエルの北端にあって、ヘルモン山の伏流水が流れ出る美しい町です。紀元前1世紀に皇帝アウグストからこの地をもらったヘロデは大理石の皇帝像を作り神殿を建設して皇帝礼拝を強制しました。その子ピリポはこの町を拡張整備して時の皇帝テベリウスに捧げ、町を皇帝(カイサル)にちなんでピリポ・カイザリヤと命名しました。ここは昔からバアル礼拝、ギリシャ神話のパン礼拝が盛んな偶像信仰の町でした。ヘロデ大王が皇帝アウグストに捧げたカイザリヤは地中海沿岸にあり、そこと区別するためにピリポ・カイザリヤとしたのです。現在はバニアスと呼ばれています。この地でイエス様の質問に答え、ペテロは「あなたこそ生ける神の子キリストです」(口語訳)と答えました。これは命がけの告白でした。ローマ皇帝に逆らったのですから。
紀元前1世紀、世界は麻のごとく乱れ、民族は民族に国は国に敵対し、血で血を洗う戦争が絶えませんでした。農民は穀物を作っても略奪され、商人は旅の途中で強盗や山賊に会い、身包みはがれ殺されました。海には海賊が横行していました。当然、経済は立ち行かず、弱者は貧困にあえいでいました。そこに次第に力をつけてきたのは都市国家ローマでした。ローマは有能な指導者によって徐々に拡大していましたが、そこに彗星のごとく現れたのは天才ユリウス・カイサル(ジュリアス・シーザー)です。彼は類まれな戦術と人身把握によってたちまち近隣諸国を平定し、ローマを当時の地中海世界の覇者にします。しかし、元老院議員のねたみによって無残にも暗殺されてしまいます。その後、ローマはオクタヴィアヌス、ポンペイウス、アントニウスなどの三頭政治になりますが結局、ユリウス・カイサルが指名していたオクタヴィアヌスが勝利します。
カエサルが軍事の天才ならオクタヴィアヌスは統治の天才でした。カエサルは18歳のオクタヴィアヌスのその才能を見抜いていたのです。地中海世界はローマの圧倒的な軍事力と道路網によって完全に管理されました。その結果、争いは終わり、略奪はなくなり、地中海の西から東まで何の不安もなく旅ができるようになりました。都市は繁栄し、農村は安心して耕作に励めるようになりました。地中海地帯は空前の繁栄を謳歌するようになったのです。ここにいわゆるパックスロマーナ(ローマの平和)がやってきたのです。
人々はオクタヴィアヌスを賞賛し、アウグスト(偉大なるもの)という称号を与えました。そして、人々は、これこそギリシャ神話の最高神ゼウスの子に違いないと言い始めました。彼は“生ける神の子”と呼ばれました。そして世界を流血と荒廃から救った“救世主(キリスト)”と讃えました。そして当時の世界中で、彼こそ“平和の君”と呼ばれました。これらは当時の世界の常識だったのです。これに対してペテロは「あなたこそ生ける神の子キリストです」と言ったのです。それもアウグストの神殿の立つピリポ・カイザリヤで。アウグストのローマ帝国はその後分裂しますが1500年ぐらい続きます。
このアウグストが出した命令によってヨセフとマリヤはベツレヘムに行きイエスさまを生みました。そしてローマの絶大な権力の元で成長し、3年半の伝道の後にローマの死刑様式である十字架によって殺されました。しかし、どんな権力者も果たせなかった復活によって人類の最大の敵「死」に勝利したのです。キリスト教はローマと激しく対立しますが、やがて4世紀には皇帝コンスタンチヌスによって国教となります。キリスト教は武器によらないでローマを征服しました。
生ける神の子キリストと呼ばれたアウグストは墓に伏していますが、主イエスは天にあって再び来られる時を待って居られます。来られたら本当の平和の時、パックス・クリスチ―ナが実現するでしょう。アウグストは奇妙な対照によってイエス様の来臨のモデルとなったのです。
カエサル・オクタヴィアヌス・アウグスト