最近のニュースで岩魚(いわな)や山女(やまめ)から放射性セシウムが検出されて、渓流釣りが禁止されたというのを聞いて本当に背筋がぞっとしました。とうとうそこまで来てしまったのかと思いました。岩魚や山女は川の最上流部の清流にだけ生息する最も清らかなおいしい魚です。日本の川の上流部は森林地帯から流れ出る清らかな水源です。そこまで汚染されたのです。私はもう一度黙示録の「苦よもぎ」を思い出しました。
第三の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちて来て、川々の三分の一とその水源に落ちた。 この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。8:10〜11
ここに書かれている事態は、福島原発のことではなく、もっと大きな災害だと思われます。しかし、「水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ」ということは無関係ではありません。最近、福島では突然死する人が増えているといいます。
1986年ソビエトのウクライナのチェルノブイリ原子力発電所で事故が起こる数日前に、私たちは教会の小さな聖書研究会で黙示録のこの箇所を学んでいました。その時、この「苦よもぎ」というのは放射能のことに違いないと私は説明しました。それから数日たってチェルノブイリの事故が起こり、チェルノブイリとはロシア語で「苦よもぎ」という意味だと新聞に載っていたと小泉兄弟が言ったとき私はびっくりしました。神様が教えてくださったと思いました。聖書は水源が汚染されるとはっきり書いているのです。
この箇所をもう一度読んでいると、今まであまり気にしていなかった言葉が目に飛び込んできました。ちょっと長いですが引用します。
小羊が第七の封印を解いたとき、天に半時間ばかり静けさがあった。それから私は、神の御前に立つ七人の御使いを見た。彼らに七つのラッパが与えられた。また、もうひとりの御使いが出て来て、金の香炉を持って祭壇のところに立った。彼にたくさんの香が与えられた。すべての聖徒の祈りとともに、御座の前にある金の祭壇の上にささげるためであった。香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。それから、御使いは、その香炉を取り、祭壇の火でそれを満たしてから、地に投げつけた。すると、雷鳴と声といなずまと地震が起こった。すると、七つのラッパを持っていた七人の御使いはラッパを吹く用意をした。
第一の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、血の混じった雹と火とが現われ、地上に投げられた。そして地上の三分の一が焼け、木の三分の一も焼け、青草が全部焼けてしまった。
第二の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、火の燃えている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして海の三分の一が血となった。 すると、海の中にいた、いのちのあるものの三分の一が死に、舟の三分の一も打ちこわされた。
第三の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちて来て、川々の三分の一とその水源に落ちた。 この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。
第四の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一とが打たれたので、三分の一は暗くなり、昼の三分の一は光を失い、また夜も同様であった。
また私は見た。一羽のわしが中天を飛びながら、大声で言うのを聞いた。「わざわいが来る。わざわいが、わざわいが来る。地に住む人々に。あと三人の御使いがラッパを吹き鳴らそうとしている。」8:1〜13
ここに「すべての聖徒の祈りとともに」と言う言葉があります。それも二度も表れているのです。私たちは黙示録の出来事は私たちとは関係なく神様が一方的に働かれる裁きの時だと思っています。ところが神の裁きを行う御使いは「聖徒の祈りとともに」行動しているのです。このような祈りとはどんな祈りなのでしょうか。この聖徒とは私たち神に従うものを総称していると考えられます。では、そのような祈りを私たちは捧げているでしょうか。
この御使いの解いた封印はその後のラッパの災害と鉢の災害の全てを含んだものです。いわば終末の最初に表れる災害なのです。私たちはその最初の災害の最初の部分に立ち会っているのです。その際、私たちは御使いと一緒に神の裁きの動力となっています!
私たちの祈りといえば、おもに願い事でしょう。ああしてください、こうしてください。個人的な願いばかりです。しかし、この箇所の前には壮大で悲痛な祈りがあります。
小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。6:9〜11
正義が世界に表れるように。神の正しい裁きが行われるように。このような祈りがクリスチャンの祈りとして捧げられなければなりません。私たちの祈りは御使いの働きの重要なパートナーであることを覚えましょう。原発のこともクリスチャンの祈りによって方向付けが行われるに違いありません。