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御子の血の汗が流された星


それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」と言われた。そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。ルカ22:39〜44
 十字架に掛かれる前日、主イエスはその試練を取り除けてくださいと祈りました。その試練とは「杯」を飲むことでした。主イエスが恐れたのは十字架ではなかったのです。杯の中身です。そこには人類の全ての罪が入っていました。殺人、詐欺、憎しみ、裏切り、およそ神の御子の性質とは全くかけ離れ下水の水よりも汚れた汚濁のエキスです。それは汚れのない純白な御子の本質を汚す恐るべき「罪」です。
神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。Uコリント5:21
 御子は罪を負っただけではなく、わたしたちの“罪そのもの”となられたのです。歴史上これほど恐るべき醜いものはありませんでした。御子は天を去って地上に来られる時、その事を目的とし十分に覚悟を決めてこられたはずです。しかし、いざ本当に罪そのものを負われる時、思わずためらい、一度だけ神様に再考を願っています。これは珍しいことです。それほどこれは憎むべき実態だったのです。良く、映画や絵画で主イエスの十字架の苦しみが描かれますが、イエス様が苦しまれたのは十字架の上よりこのゲッセマネの祈りの時でした。
 ところで「汗が血のしずくのように地に落ちた」とありますが、この汗は血のように赤かったと考えられています。実は人間は血の混じった汗を流すことがあるのです。本当に苦しむ時に流します。私の甥の実君は生まれつきの心臓疾患で幼い時から苦しい思いをし7歳で天に召されました。彼が召される数日前に真っ赤な汗を流したと姉から聞きました。タオルが赤く染まるほどの汗だったといいます。病院の人々はみんな驚いたといいます。
 主イエスは血の汗を流されました。それは私たちの罪のためです。その汗のひとしずくひとしずくは私とあなたの罪のためです。そしてその汗はゲッセマネの園の地面に落ちました。宇宙の太陽系の3番目の小さな星の土の上に神の御子の血の汗が吸い込まれたのです。そして間もなく、御子の血そのものさえゴルゴタの丘の土の上に流されたのです。この星は御子の血さえも染み込んだ星です。それは神の愛の究極の決意でした。
 ところで私たちは、最近、さまざまな破局を経験し想定しています。地震、津波、火山の噴火、戦争、原発の事故。何が起こるだろうかと不安な毎日です。しかし、覚えましょう、この地球は神の愛の注がれた星なのです。創造者の御子の血の汗と血がこの星の土の上に吸い込まれています。何が起ころうとそれは全能者のご計画の中で起こることで、支離滅裂にむやみやたらに起こることではないのです。
 神と御子が一番関心を持っていることは、この星の上で御子の血を受け、感謝をもって従う人々です。世界の創造は神がこの人々を獲得するためでした。それは新しく創られた民であり、新しく、霊から生まれた人々です。御子の血の汗と血はそれらの人々のために流されたのです。永遠の御国、御子の花嫁である新しいエルサレムに住む住民です。その人々は、あのゲッセマネの園で流された血の汗と十字架から流された血を、自分のDNAに受けとめた人々です。この人々は永遠に神と御子と共に生きるでしょう。その日まで少しばかりの生みの苦しみはあるでしょうが、確実にやってきます。
 あなたには主イエスの血の汗が見えますか?