ホームページ・メッセージ120422        小 石  泉

神をほめたたえよ

ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。いと高き所で主をほめたたえよ。
主をほめたたえよ。すべての御使いよ。主をほめたたえよ。主の万軍よ。
主をほめたたえよ。日よ。月よ。主をほめたたえよ。すべての輝く星よ。
主をほめたたえよ。天の天よ。天の上にある水よ。
彼らに主の名をほめたたえさせよ。主が命じて、彼らが造られた。
主は彼らを、世々限りなく立てられた。主は過ぎ去ることのない定めを置かれた。
地において主をほめたたえよ。海の巨獣よ。すべての淵よ。
火よ。雹よ。雪よ。煙よ。みことばを行なうあらしよ。
山々よ。すべての丘よ。実のなる木よ。すべての杉よ。
獣よ。すべての家畜よ。はうものよ。翼のある鳥よ。
地の王たちよ。すべての国民よ。君主たちよ。地のすべてのさばきづかさよ。
若い男よ。若い女よ。年老いた者と幼い者よ。彼らに主の名をほめたたえさせよ。
主の御名だけがあがめられ、その威光は地と天の上にあるからだ。
主は、その民の角を上げられた。主の聖徒たち、主の近くにいる民、イスラエルの子らの賛美を。
ハレルヤ。 詩篇148編
 若いころ、上高地の奥穂高岳に登ったことがあります。穂高小屋に行く途中、夕日を浴びて漆黒の山肌に輝く黄金の紅葉に息を呑みました。こんな美しいものを創造された神様を誉めたたえる人が何人いるだろうかと思いました。その夜、星が見たくて山小屋の外に出ました。平地では見ることの出来ない星の数と大きさ。ぎらぎらと輝く星に圧倒され、怖くなって早々に小屋に戻りました。また数年前、ハワイのオアフ島を一周した時、ワイキキの反対側、ノースショアからの道で見た海の美しさに驚嘆しました。白い砂浜から紺青の沖合いまで、次第に濃くなってゆく海のグラデーションに目を奪われました。その時、神様が創造の日に「はなはだ良かった」と言われたことが本当に理解できたと思いました。 世界は神様の創造の美に溢れています。トマトときゅうりとナスを並べてみてください。その形といい、色といい、なんとすばらしい芸術であることか。一匹の小さな昆虫から、ライオン、巨大な象に至るまで何と言う驚異であることか。そして、その御業をほめたたえる人のなんと少ないことか。世界の美を創造の御業とほめたたえる人々がもっともっといなければなりません。私たちクリスチャンにはその責任があります。
 私たちは全てのものを神様から頂いています。しかし、一つだけ神にお返しすることが出来ることがあります。それは神様をほめたたえることです。
 詩篇は聖書の中で一つだけ人間から神様に語りかける書だと読んだことがあります。詩篇は神様への賛美に満ちています。この詩篇では太陽、月、星、火、雹、雲、煙、など無生物から、獣、鳥、家畜などの生物に至るまで神をほめたたえよと言っています。してみると無生物も生物も神をほめたたえることが出来るのでしょう。実際、花々が咲き誇り、小鳥がさえずるのを聞くと神様をほめたたえているのかもしれないと思います。
 私たちが神様との接点を持つのは、主に祈りでしょう。それは多くの場合、願い事です。ああしてください、こうしてください、癒してください、物事が上手く行きますように。考えてみるとこれらは神様との取引・・・のようです。
 神様が私たちに求めているのは、慕い求めて、救助を期待することですが、もう一つ大事なことは虚心になって神をほめたたえることです。賛美はそのためにあります。しかし、賛美歌を歌っている時、本当に“神をほめたたえて”いるでしょうか。神の偉大さ、恵、愛に驚き、感謝を持って心から“ほめたたえて”いるでしょうか。
 科学者たちは宇宙に知的生物がいるかもしれないと、南米に巨大なアンテナを作り、人工的な電波を捉えようと必死になっています。しかし、もう何十年もやっているのに全く音沙汰がありません・・・当然ですが。この宇宙には私たちの耳で聞き、目で見ることの出来ない大合唱がこだましています。それは創造者をほめたたえる歌声です。
神はテマンから来られ、聖なる方はパランの山から来られる。その尊厳は天をおおい、その賛美は地に満ちている。ハバクク3:3
 賛美は、賛美するにふさわしい人によって歌われなければなりません。心から神を喜び、無心になって歌う人です。
正しい者たち。主にあって、喜び歌え。賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい。詩篇33:1
 賛美は楽しく麗しいのです!
ハレルヤ。まことに、われらの神にほめ歌を歌うのは良い。まことに楽しく、賛美は麗しい。147:1
 賛美は神の住まいです!
けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。詩篇22:3
 賛美はまず先に神をほめたたえる心がなければなりません。 今も、私たちの教会の外の森で鶯が賛美を歌っているのが聞こえます。私たちも負けずに賛美しましょう。神を心からほめたたえる人があまりにも少ないですから。