ホームページ・メッセージ120415        小 石  泉

永 遠

あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。イザヤ40:28
 最近、次々と親しい人々が天に召され、自分も間もなく行くかもしれないと思うと、天について、永遠について考えさせられます。人間は何もないところから産み出されて、気がついたら人生という時間を与えられています。そして、ある日、突然、時間のないところに移されます。人間という生物、それ以上に宇宙そのものさえ、永遠から永遠の間に生まれて消えるものです。永遠とはどんな世界なのでしょうか。
 宇宙は約150億年前に小さな一点から大爆発(ビッグバン)によって生まれました。それは宇宙の星がみんな青色偏光していることによって導き出されました。科学者たちは、はからずも宇宙には始まりがあることを証明してしまったのです。ではその前は何だったのか? なぜ始まったのか? そこには何もない、無だったこと、神様が始められたことを信じなければならないことが科学的探究の結果として否定しようの無い事実として証明されてしまったのです。しかし、どうしてもそれを信じたくない科学者たちは、何とかしてこれに代わる事態を考えようとしました。そして現在は、無でもなく、有でもない、無と有の交差する“揺らぎ”という状態を想定しています。
 ビッグバンは何もないところ“無”から始まりました。宇宙は何も無い空間に出来たのではなく、星々の誕生と共に空間が出来て行ったのです。永遠の昔は何も無い状態でした。そこに時間のある空間が創られました。そして人間が創られ、今後、新しい天地と共に永遠に続きます。そう考えると宇宙は神のパートナーとしての人間のために創られたのです。
 新しい天と地には時間があるのでしょうか。そうすると時間のある空間と時間のない神の国が平行して存在することになります。私たちは死ぬと時間のない永遠の世界に移動します。時間がないということは広さや長さがあっても測ることが出来ないということです。100キロメートル移動するのに永遠の世界では時間がいくらでもあるので無いと同じことになります。だから一瞬に移動できると同じことです。永遠の世界では広さと長さは測れないのです。
それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである。ヨハネ3:15
 さて、キリストを信じた人々には“永遠の命”が与えられます。永遠の命は長い時間の命ではありません。時間はないからです。イエス様は永遠の命について全く想像もつかない定義をしています。
永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。ヨハネ17:3
 ここには時間の観念はありません。神とキリストを知ることが永遠の命だということは何を意味しているのでしょうか。神とキリストを知ることは完全な充足です。満たされてそれ以上何も要らない状態とも言えるでしょう。
また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。黙示録21:3〜4
 これが永遠の命の姿でしょう。時間は呑み込まれてしまって、思い出すことも無いでしょう。そこには日や月もありません。そこは宇宙空間ではないのです。
都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。黙示録21:23
 永遠の世界では年を取ると言う事は当然ありません。みんな若い青年のようだとも言います。ある臨死体験をした子供は「おじいさんに会った」と言ったそうですが、おじいさんの写真を見せると「違う」と言い、若いときの写真を見せると「この人だ」と言ったそうです。ちなみにおばあさんは居なかったと言ったそうですが、おばあさんはまだ生きていたそうです。
 また、男女の区別はありません。これも理解しにくいことです。天国で夫や妻に会った時どんな気持ちなのでしょうか。一つ考えられるのは、前に断食をしたときのことです。韓国で7日間したのですが、そのころには男女の区別はなくなっていました。そんなことはどうでも良いことになっていました。
 宇宙空間の時間の中に生きるものにとって、永遠の世界を想像することは難しいことです。しかし、確かにそれはあるのです。最近では科学まで異次元空間という言葉で、別の世界の存在を認め始めています。そして永遠という概念を持つことは人間の特権なのです。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。伝道の書3:11