ホームページ・メッセージ120205        小 石  泉

援  軍

また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野のすべての獣とに名をつけたが、人にはふさわしい助け手が見つからなかった。 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。創世記2:18〜22
 ここで「ふさわしい助け手」の「助け手」という言葉は、原語では「援軍」と言う意味だそうです。妻とは援軍なのです。何とふさわしい名前でしょうか。
 私は25歳の時に勤めていた日本航空を辞めて神学校に入りました。それは本当に大きな決断でした。私は牧師にだけはなりたくないと思っていました。貧しい家庭に育ったので少しは楽な生活がしたかったし、自分の性格が牧師には全く向いていないことが分かっていました。会社に不足はなかったし世界中にただで行けるのは何よりも魅力でした。
 しかし、19歳の時、浜名湖のキャンプ場で受けた不思議な呼びかけが24時間頭を離れませんでした。「あなたも(宣教の場に)行きなさい」。まさか、この僕が? 周りの人々も誰も賛成しませんでした。むしろ反対する人々が多かったです。ですから決断までには6年間もかかったのです。そして誰も頼らない、自分と神だけの進路でした。そんな私にとって神学校は想像を絶する苦痛の場所でした。元々、協調性が無く、束縛されることが大嫌い、およそ神学校にとって好ましからざる生徒だったでしょう。
 2年後、宮川美智子という可愛い女性が神学校に入ってきました。彼女は北海道出身で真面目でひたむきな人でしたから、彼女から見れば私は最も嫌いなタイプだったようです。彼女は25歳まで浄土真宗の家庭に育ち、自分も熱心に道を求めていました。彼女の口癖は「私の前途に真の光明があれば、身を粉にしても証すべし」でした。毎日4時に起き、町中の神社仏閣に祈りを捧げ、集会にも休まず出席して精進の毎日でした。会社も北海道では有名な文具関係の会社でバリバリ働いていました。しかし、毎日の無理がたたって、ある日会社で倒れました。会社の上司は働かせすぎたといったそうですが、その後、彼女の仕事を3人で分担したそうです。
 会社の医務室で寝ている時、彼女は自分の霊が自分の体から離れて、真っ暗な空間にさ迷いだすのを感じました。「降ろして、私を降ろして!」彼女は叫びました。周りの人はみんな死ぬと思ったそうです。
 家に帰ってから療養の日々に、さらに信仰の精進をしたのですがやはり光明は見えませんでした。そんな彼女を見かねたお兄さんが「教会に行って見ないか」と言ったそうです。「何で外国の宗教に行かなければならないの?」「でも見てみるだけなら良いだろう」お兄さんはクリスチャンでは無かったのですが、あまりの消耗に見るに見かねての発案だったのでしょう。そして近くの小さな教会の門をくぐりました。会堂に入ったとき、彼女はものすごい光を見ました。これは何だろう? 明るくて、暖かくて、平安がある。その日から彼女は毎日教会に行きました。毎朝の早天祈祷会などお安いことでした。間もなく洗礼を受けて、それから何と3ヶ月目に神学校に入ってきたのです。そんな彼女と私が結ばれるなんて有り得ないことですが、神様は私の援軍として選ばれたのです。
 私は神学校卒業後当然ながらどこからも要請はなく、教会もなく、信徒もなく、どこからのサポートもなく、何もないところから始めました。最初の住まいは船橋市の四畳半。それから合気道場で礼拝を始め、やがて芝山の地に土地を借り、そこに拾ってきた!会堂を建てました。やがて現在の千葉の地に移転するまでいろいろな事がありました。時には食べるものもないようなこともありましたが、そんな時も彼女は一緒について来てくれました。彼女は本当に力強い援軍でした。雄々しい、ひたむきな一生でした。感謝。