ホームページ・メッセージ120129        小 石  泉

今日を感謝して

だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。マタイ6:25〜34(新改訳)
 最近、離島や僻地で自給自足の生活をする人の話しを耳にします。うらやましいと思う反面、大変なこともあるだろうと思います。イエス様の話されたこの様な生活を実践しようとしたらそれこそ離島の自給自足の生活になるかもしれません。難しい要求ですね。しかし、何と平安な思想でしょうか。これが本来人間のあるべき姿なのでしょう。
 最近、自分の病気や家内のケアを通して、日本がすごい福祉国家だと思わされています。こんな充実した福祉は中東の産油国か北欧の少数の国でなければ有り得ないと思います。アメリカなどでこんな医療を受けるには莫大なお金が必要でしょう。中国やアジアの国々では言うに及ばずです。これではいくら税金があっても足りないのも分かります。
 人生には色々な心配、悩みがあります。それらを考えていたらそれだけでストレスがたまって病気になるでしょう。あるがんセンターに働いている人が「がんを心配する人ほどがんになる」と言っていました。
 イエス様のこの教えのように生きることが出来たら精神的にも肉体的にも健康でしょう。このように生きた人々も居ます。アッシジのフランシス、マザー・テレサ、インドのサンダー・シング。ただ、普通の生活者はこのようには生きられません。だから心の底の基準として捕えて置くことになるでしょう。
 ところでこの新改訳聖書の最後の言葉はひどい訳ですね。「あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」
 ここでイエス様が言われたことは、「あすを思い煩うな」ということであって、口語訳や新共同訳や英語の聖書のように「その日だけで十分だ」というのが本旨でしょう。
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。口語訳
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。新共同訳
"But seek first the kingdom of God and His righteousness, and all these things shall be added to you."Therefore do not worry about tomorrow, for tomorrow will worry about its own things. Sufficient for the day is its own trouble.KJV
Instead, be concerned above everything else with the Kingdom of God and with what he requires of you, and he will provide you with all these other things.So do not worry about tomorrow; it will have enough worries of its own. There is no need to add to the troubles each day bringS.TEV
 新改訳聖書を読んでいると、日本語を知らない人が訳しているのだろうかと思うことがあります。「労苦はその日その日に十分あります」では、悩みに悩みを積み重ねるかのようです。ところどころすばらしい訳もあるのですが。
 何よりもまず「神の国と神の義を求めなさい」という言葉に注目しましょう。意外に分かったようで分からない言葉ではないでしょうか。具体的にどうすればいいのでしょうか。
 「神の国を求める」とは、この世だけではなく、違った世界、次元、時間があるということを意識することです。人間だけが永遠を知ることが出来るのです。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。伝道の書3:11
 「神の義を求める」とは全てのことは神の御手の中にあって神が正しく裁かれると信じることです。そしてその義を自分のものとすることです。さらに言えば「義」という言葉は羊の下に我と書きます。ですから御子イエスの血の下に自分を置くことです。結局、御子イエスを救い主として信じ受け入れることといえます。今日を感謝して生きましょう。