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クリスマスって何だろう


紀元前7年11月12日午後6時から9時半にかけての、エルサレムの南の夜空。

 この時期になると私はいつも喩鬱になります。トナカイ、サンタクロース、もみの木、そり、ベル、そんなものが世間にあふれ出し、主イエスの誕生などはどこにもありません。どれ一つ聖書には登場しないものばかりです。最近ではねずみが主役のように振舞っています。商業主義の陰謀で人々は浮かれ出して、最も下らない日となっています。
 しかし、実はクリスマスを祝う習慣は元々初代教会には無かったのです。一応345年ごろに記録があるそうですが12月25日というのは有り得ません。羊飼いが夜、外で羊を飼うのは秋口までだということです。
 これは1~3世紀にローマや中東で流行した太陽信仰のミトラ教の冬至の祭りを取り入れたものと思われています。また最初の権力者でサタニストが崇めるニムロデの誕生日であると言われています。ニムロデは自分の母セミラミスと結婚したと伝承が伝えることから、マリヤ崇拝の原型とも言われます。(エジプトの神オシリス、イシス、ホルスとも重なる)ですからクリスマスが乗っ取られたと目くじら立てて怒るのもおかしいのかもしれません。
 クリスマスの語源はChrist’s mass 「キリストのミサ《です。良くⅩ’mas と書かれますが、これはギリシャ語のキリストΧριστοςの頭文字を採ったものです。
 それが何時であれ神の子キリストはお生まれになったのです。
 4つの福音書の中で主イエスの降誕に触れているのはマタイとルカだけです。最も古いと言われるマルコとキリストの愛したヨハネは成人してからの主イエスを語っていて、降誕には全く触れていません。それは弟子たちが成人された主と出会い十字架と復活に出会ったために、降誕よりもそちらの方が印象が深かったからでしょう。マタイはユダヤ人に向けて正式な記録を残す必要があったこと、ルカは医者としての探究心から、マリヤや他の人々からの聞き取り調査によって詳しく記録したと考えられます。クリスマスのストーリーで興味深いのは全てが逆転していることです。最初にこのために祝福しに来たのは異邦人の星占い師でした。(バビロン在住のユダヤ人という説もある)
イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。《マタイ2:1~2
 この博士という言葉はペルシャ語でマゴスとあり、占星術師を表す言葉です。しかし、今で言う占い師ではなく天文学者と考えるべきでしょう。近年になって有吊な天文学者のケプラーはこの時期にイスラエルの守護星座である魚座で王を表す木星と苦難を表す土星が3回会合したと発表しました。これは大変分かりやすい話ですが、実際にはそれほど接近したのではないことが分かっています。しかし、東の国のマゴスがはるばると旅をして会いに来るほどの天体の異常があったことは確かなのです。
 次に、天使たちが知らせたのは羊飼いでした。羊飼いは一人前の成人とは見なされませんでした。それは羊の世話をするために安息日が守れないからです。ですから子供や異邦人の奴隷が当たりました。
さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。《すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。《御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。《 そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。ルカ2:8~16
 皮肉と言えば皮肉ですね。王の子の誕生なら貴族や王たちが祝福に訪れるでしょうが、貧しい羊飼いたちだったのですから。そしてそれ以上に異様なのはこの赤ちゃんの寝ているベッドです。
ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。ルカ2:4~7
 ユダヤの飼い葉おけは多くの場合石製です。石をくりぬいて凹みを作りそこに飼葉を入れます。ヨセフとマリヤはよほど貧しかったのでしょう。宿屋の部屋を取ることはできなかったのです。皇帝アウグストの人口調査の命令で多くの宿泊者がいたからでしょう。
 それにしても生まれた赤ちゃんを飼い葉おけに寝かせなければならなかった母の心情はどんなだったのでしょうか。しかし、羊飼いに知らせた御使いがその赤ちゃんを特定する方法として「飼い葉おけに寝ている《と指定したのですから面白いですね。この様にしてキリストは「神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず《人間の姿に、それも最も貧しい階層の人々の中に下ってくださったのです。
 クリスマス、それは最も美しい、最も清らかな、神の御子が宇宙の小さな地球に下ってこられた驚くべき日なのです。