三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。マタイ27:46
宇宙にある数億の数億乗の星の中の小さな星でこの言葉が叫ばれた時、宇宙は震えたことでしょう。宇宙の創造から1500億年。かつて一度もこのような言葉が叫ばれたことはありませんでした。無数の神の万軍、天使の軍団はいつでも出動して、小さな地球など一瞬のうちに破壊して神の御子を救出することが出来ました。しかし、神御自身が沈黙されました。それは御子の希望でもあったからです。
御子と父なる神の絆は何事においても途切れることはありませんでした。しかし、この日、途切れたのです。なぜ? 罪のゆえに。御子は全ての人類の罪を一身に背負っていました。その姿は、これ以上ないほど醜悪で、汚れなき神は正視できなかったのです。
アダムとエバの神への離反は人類全体に巨大な罪の覆いをかけました。人類は神が思いもつかない罪を考え出して実行しました。
また自分の息子、娘を火で焼くために、ベン・ヒノムの谷にあるトフェテに高き所を築いたが、これは、わたしが命じたこともなく、思いつきもしなかったことだ。エレミヤ7:31
どれほど多くの罪が地上で行われたことでしょう。人類と神との間には越えがたい深淵が出来ました。しかし、神は愛です。その愛の対象は人間でした。御子はこの越えがたい深淵に橋を掛け、神と人との間に平和をもたらすために人となって地球にやってこられました。そして御自身が人の身代わりとして罪の刑罰を受けられたのです。
それは御子にとって計画通りの行程でした。御子は当然のごとく冷静にその刑罰を受けられたはずです。しかし、いざ、本当に罪の身になった時、全ての人類の罪を負われた時、神との断絶が現実となった時、永遠から永遠まで途切れることの無い絆が断ち切られた時、御子は思わず叫ばれたのです。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」。
本当に見捨てられるべきは私たちです。罪を犯したのは私たちだったのです。御子ではありません。しかし、御子は、私たちを救い、神との絆を取り戻すために、御自身が見捨てられ、死に、地獄の闇に葬られることを願われ、実行されたのです。
神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。Tテモテ2:5(口語訳)
このすばらしい救いは全ての人に与えられています。しかし、全ての人が救われるわけではありません。なぜでしょうか。理由は二つあります。一つは拒絶する人がいることです。もう一つは知らないことです。そんなすばらしいプレゼントでもいらないと拒否すれば受け取ることは出来ません。私は欧米でこのように拒絶する人々が沢山いることを知って驚きました。
一方で、知らない人々がいます。日本人はこの救いについて表面的には知っていますが、本質は知りません。この貴い救いについて誤解と偏見が覆っています。中国ではまだ9億人がこの福音を知らないということです。世界的に見ても、御子が十字架にかかってからもう2000年にもなるというのに人間の半分以上の人々がまだ知らないのです。
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネ3:16
永遠の命とは長い命だけではありません。神と共に生きる新しい命です。御子はこう言っています。
永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。ヨハネ17:3
神とイエス・キリストを知ること、それが永遠の命だというのです。神は十字架で命を捨てられた御子を復活させ永遠の命の証とされました。一度、罪にまみれご自身の身に負って地獄に置いてこられた御子は復活によって永遠の命を表してくださったのです。
愛の故に御子は神との断絶を通られ、愛の故に地獄の中を通られ、永遠の命に復活されました。何と言う激しい愛であることか。「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という御子の叫びは私たちのためであったのです。どんな言葉も表現できない神とキリストの愛。感謝です。