ホームページ・メッセージ111113        小 石  泉

満ち満ちているもの

神はその力をキリストのうちに働かせて、彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、彼を、すべての支配、権威、権力、権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのである。そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。エペソ1:20 〜23
 この御言葉を、私たちはどの程度正確に理解しているでしょうか。書かれていることはあまりにも壮大で、私たちの実情と想像力をはるかに越えています。私たちは死んで御国に行ったときやっと理解できるでしょう。世界のあらゆる宗教、国家、権力者、建造物などのどれを採ってもこの御言葉を補足することさえ出来ないのです。
 サタンは自分が偉大でキリストを越えることが出来ると思い、あらゆる方策を用いて世界を導こうとしていますが、それは実に貧弱で哀れな結果しか生み出しません。しかし、人間の目に見える範囲はサタンのすることを驚き敬うのです。間もなく、私たちはこの違いをはっきりと見ることが出来るでしょう。
あなたが見た十本の角は、十人の王たちで、彼らは、まだ国を受けてはいませんが、獣とともに、一時だけ王の権威を受けます。この者どもは心を一つにしており、自分たちの力と権威とをその獣に与えます。この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。黙示録17:12〜14
 この十本の角、十人の王とは、終わりのときに現れる国家群の支配者で、その中の一人が反キリストです。今や私たちはその胎動を見ています。ヨーロッパの教会ではEUがその組織だと思われています。しかし、神の小羊キリストはこの組織と支配者に勝利するのです。小羊こそ主の主、王の王だからです。
 トランプの四人の王は、ダビデ、カエサル、アレキサンダー、カール大帝だと言われていますが、これらの人々は王の王と言えるでしょう。しかし、この四人に秦の始皇帝を足してもキリストを表すには足りません。王とは一国の支配者で皇帝とは多くの国の支配者です。キリストは永遠から永遠まで、宇宙の果てから果てまですべて治める皇帝です。
 キリストは「すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかた」だとありますが、この言葉の真意を私たちの貧しい理性では到底把握できません。しかも、その方が「満ち満ちているもの」が教会だといわれては、あっけにとられるばかりです。結局、私たちの理解を越える、何か壮大で偉大なものだということだけは分かるのです。
 この教会とは個々の教会ではなく、歴史上のすべての教会を総合し、聖化された教会のことです。それは「すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているもの」です。何と言う偉大なものでしょうか。ただ驚くほかありません。
キリストのうちには、知恵と知識との宝が、いっさい隠されている。コロサイ2:3
キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、2:9
 地上のあらゆる知恵、知識がどんなに誇ってもキリストにおよぶことはありませんが、その事実を人類は全く知りません。パウロは何を見てこう言ったのでしょうか。何か私たちには見えないものを見ていたに違いありません。
 キリストはパーフェクトです。全ての全てです。御自身がこう言っておられます。
イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」ヨハネ14:6
 どんな宗教の教祖でも「私は道を知っている」ぐらいは言ったかもしれませんが、自分自身が「道であり真理であり命である」とは言わなかったでしょう。これは途方も無い言葉です。こんなことを言う人は頭がおかしいか、本当にそういう人なのです。この方についていけば永遠の命に至ることは間違いありません。主イエスはこう言っています。
永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。ヨハネ17:3
 興味深い言葉ですね。永遠の命という質量が、神とキリストを知ることだと言うのです。これも理解を越えた言葉です。結局、これも神の御国に行かなければ本当に理解することは出来ないでしょう。私はなんだかアインシュタインの相対性理論を聞いているような気がします。物質とエネルギーが同一であると言うような論理です。ただ信仰だけが理解を越えて私たちを導くのです。だからペテロもこう言っています。
この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。使徒4:12
 これらの言葉が本当の意味で分からなくても、聞くとき、読むとき、何かのときめきをもって私たちの血の中に溶け込んでいく様な気がします。教会の小さな細胞の一つであるあなたにもこの血が流れていて、満ち満ちている方が満ちてくるのを感じることが出来るでしょう。