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富の蓄え方

 今月15日から、アメリカで金の取引が禁止されるそうです。おそらくネックレスや指輪など庶民の商品まで規制すると言うことではなく、金融商品としての金の取引が禁止されると言うことなのでしょう。簡単に言えば数万円単位のものではなく数百万、数千万円の取引が禁止されるということなのでしょう。これはアメリカのドルがその位置にふさわしい格付けに引き下げられることを予想して、価値の下がることの無い金に換えておこうということへの防衛なのです。
 金は歴史上、常に富の象徴でした。その取引を禁止すると言うことはこれまでにもあったのでしょうか。とにかく大変な暴挙ではないかと思います。それほどアメリカの財政は逼迫しているのです。第二次大戦後アメリカだけは常に戦争をしていました。朝鮮、ベトナム、中東、東欧、アフガニスタン、イラクと息つく暇も無く戦争をし続けてきました。それらは世界秩序を守るための世界の警察としての働きだと言われてきました。アメリカの外国への派遣軍人を英語ではServicemenと言います。「奉仕している人」と言う意味です。しかし、多くの場合“余計なお世話”に思えます。
 また極度の贅沢な国家の運営で膨大な予算を必要としてきました。その費用は国債によって賄われました。その国債はもう返済できない額になっています。今、現在、アメリカ政府は1分間に、およそ685万ドル(1ドル80円で約5億5千万円)もの政府支出を続けています。アメリカ政府が、今のこの瞬間から国債を発行して借金するのを止めて、1秒あたり1ドルのレートで米国債(借金)を返済し始めるなら、全部支払うには44万年以上かかる計算になるそうです。さらに今、4320万人ものアメリカ人が、食糧切符(生活保護の一種)に頼っています。アメリカの破産はすでに目に見えています。世界のお金持ちはどうやって財産を蓄えたらいいのかと悩んでいることでしょう。金も駄目、土地は変動が激しいし、国の方針によっては共産主義国のように国有化されます。ではどうして自分の財産を守ったらいいのか。(私などそういう悩みは無いですから幸いです!?)
 主イエスは言われました、 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」ルカ6:38
 与えることが一つの方法です。富とは使い道の無い金のことだと私は思うのですが、それなら困っている人に与えることでしょう。例えば東日本の被災者の漁業者の船を買ってあげる、商店の開店資金を用意してあげるならば、彼らが立ち直ったときに返してくれるでしょう。今はすばらしい投資の機会があるとさえ言えます。  しかし、結局、この世に富を蓄えることは無意味なのです。主イエスは言われました。
あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。マタイ6:19
 ソロモンも伝道の書5:10で、こう言っています。
金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。
 最善の方法はこの世の富ではなく神の国に蓄えることであることは言うまでもありません。主イエスは永遠の命を得たいと言う金持ちの若者にこういわれました。
イエスは、彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」マタイ19:21
 間もなく、世界的な金融の危機が訪れるでしょう。どんなことになるのか想像もつきませんが、その時には、人々はこの世の富のはかなさ。保証のなさに唖然とするでしょう。そして、賢い人々は人間であることの意味について考えるでしょう。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。伝道の書3:11
 人間が人間であることの最大の意味は永遠を意識することです。動物は永遠を知りません。そして永遠の管理者、創造者である神を見つけてほしいものです。この世の失われてゆく富や栄誉ではなく永遠に変わることの無い真理に目覚めて欲しいのです。