30:1 私があなたの前に置いた祝福とのろい、これらすべてのことが、あなたに臨み、あなたの神、主があなたをそこへ追い散らしたすべての国々の中で、あなたがこれらのことを心に留め、 30:2 あなたの神、主に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、 30:3 あなたの神、主は、あなたを捕われの身から帰らせ、あなたをあわれみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。 30:4 たとい、あなたが、天の果てに追いやられていても、あなたの神、主は、そこからあなたを集め、そこからあなたを連れ戻す。 30:5 あなたの神、主は、あなたの先祖たちが所有していた地にあなたを連れて行き、あなたはそれを所有する。主は、あなたを栄えさせ、あなたの先祖たちよりもその数を多くされる。 30:6 あなたの神、主は、あなたの心と、あなたの子孫の心を包む皮を切り捨てて、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きるようにされる。
驚くべきことに、イスラエルはこの御言葉の通りになりました。散らされ、2000年の後に帰ってきたのです。「再び集め」られたのです。歴史は神のご計画の通りに動いているとしか言い様がありません。その条件が「心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛」することです。私はいつもここを読むとき、私たちの信じる神と他の神々の違いを思います。どの神が“自分を愛することを”要求するでしょうか。愛すると言うことは人格の交流です。神を愛することは神との人格的な一致を持つことです。不思議ですね。どんな修行も難行苦行も要求されていません。ただ愛することです。
30:7 あなたの神、主は、あなたを迫害したあなたの敵や、あなたの仇に、これらすべてののろいを下される。 30:8 あなたは、再び、主の御声に聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を、行なうようになる。 30:9 あなたの神、主は、あなたのすべての手のわざや、あなたの身から生まれる者や、家畜の産むもの、地の産物を豊かに与えて、あなたを栄えさせよう。まことに、主は、あなたの先祖たちを喜ばれたように、再び、あなたを栄えさせて喜ばれる。 30:10 これは、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従い、このみおしえの書にしるされている主の命令とおきてとを守り、心を尽くし、精神を尽くして、あなたの神、主に立ち返るからである。
現在のイスラエルがこのように主に立ち返っているとは思えませんが、そのための準備をさせられているのでしょう。今はまだとにかく集められ、栄えつつあるのです。信仰的な回復はこれからでしょう。
30:11 まことに、私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない。 30:12 これは天にあるのではないから、「だれが、私たちのために天に上り、それを取って来て、私たちに聞かせて行なわせようとするのか。」と言わなくてもよい。 30:13 また、これは海のかなたにあるのではないから、「だれが、私たちのために海のかなたに渡り、それを取って来て、私たちに聞かせて行なわせようとするのか。」と言わなくてもよい。
30:14 まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行なうことができる。
ここは愉快ですね。「私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない」天の上にあるものでもなく海のかなたにあるものでもない。何だかお父さんが幼子に語りかけているようです。
14節は印象的な言葉です。King James Versionでは、
But the word is very near you, in your mouth and in your heart, that you may do it.
となっています。御言葉は暗唱して、心に蓄えて置くものだと言うことが分かります。
30:15 見よ。私は、確かにきょう、あなたの前にいのちと幸い、死とわざわいを置く。 30:16 私が、きょう、あなたに、あなたの神、主を愛し、主の道に歩み、主の命令とおきてと定めとを守るように命じるからである。確かに、あなたは生きて、その数はふえる。あなたの神、主は、あなたが、はいって行って、所有しようとしている地で、あなたを祝福される。 30:17 しかし、もし、あなたが心をそむけて、聞き従わず、誘惑されて、ほかの神々を拝み、これに仕えるなら、 30:18 きょう、私は、あなたがたに宣言する。あなたがたは、必ず滅びうせる。あなたがたは、あなたが、ヨルダンを渡り、はいって行って、所有しようとしている地で、長く生きることはできない。 30:19 私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、 30:20 あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。確かに主はあなたのいのちであり、あなたは主が、あなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地で、長く生きて住む。
「あなたは命を選びなさい。」神様の御言葉ですが、モーセが自分の兄弟姉妹に語っているようです。イスラエルはこの戒めを守ることは出来ませんでした。何度か回復のときもあったのですが、結局、不信仰になり偶像礼拝に走りました。彼らは聖霊が内に住まわれるという経験をしていません。肉のままなのです。他の民族となんら変わりません。だから無理もないとも言えます。彼らにとってメシヤ・キリストは約束だけで現実ではなかったのです。そしてキリストが与えたもう神の霊はまだ来ていませんでした。
31:1 それから、モーセは行って、次のことばをイスラエルのすべての人々に告げて、 31:2 言った。私は、きょう、百二十歳である。もう出入りができない。主は私に、「あなたは、このヨルダンを渡ることができない。」と言われた。 31:3 あなたの神、主ご自身が、あなたの先に渡って行かれ、あなたの前からこれらの国々を根絶やしにされ、あなたはこれらを占領しよう。主が告げられたように、ヨシュアが、あなたの先に立って渡るのである。 31:4 主は、主の根絶やしにされたエモリ人の王シホンとオグおよびその国に対して行なわれたように、彼らにしようとしておられる。 31:5 主は、彼らをあなたがたに渡し、あなたがたは私が命じたすべての命令どおり、彼らに行なおうとしている。 31:6 強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。
モーセの最後の最後の言葉です。まるでモーセの息遣いが聞こえるようです。これが3000年も前に書かれたのです。
31:7 ついでモーセはヨシュアを呼び寄せ、イスラエルのすべての人々の目の前で、彼に言った。
「強くあれ。雄々しくあれ。主がこの民の先祖たちに与えると誓われた地に、彼らとともにはいるのはあなたであり、それを彼らに受け継がせるのもあなたである。 31:8 主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。」 31:9 モーセはこのみおしえを書きしるし、主の契約の箱を運ぶレビ族の祭司たちと、イスラエルのすべての長老たちとに、これを授けた。
ヨシュアへの委譲です。偉大な指導者も去らねばならないのです。もう説明は要りません。ただ読むだけでモーセの心が伝わってきます。
31:10 そして、モーセは彼らに命じて言った。「七年の終わりごとに、すなわち免除の年の定めの時、仮庵の祭りに、 31:11 イスラエルのすべての人々が、主の選ぶ場所で、あなたの神、主の御顔を拝するために来るとき、あなたは、イスラエルのすべての人々の前で、このみおしえを読んで聞かせなければならない。 31:12 民を、男も、女も、子どもも、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も、集めなさい。彼らがこれを聞いて学び、あなたがたの神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばを守り行なうためである。 31:13 これを知らない彼らの子どもたちもこれを聞き、あなたがたが、ヨルダンを渡って、所有しようとしている地で、彼らが生きるかぎり、あなたがたの神、主を恐れることを学ばなければならない。」
神様から直接、命を終わりを告げられ、後継者とともに御前に立ちます。
31:14 それから、主はモーセに仰せられた。「今や、あなたの死ぬ日が近づいている。ヨシュアを呼び寄せ、ふたりで会見の天幕に立て。わたしは彼に命令を下そう。」それで、モーセとヨシュアは行って、会見の天幕に立った。 31:15 主は天幕で雲の柱のうちに現われた。雲の柱は天幕の入口にとどまった。 31:16 主はモーセに仰せられた。「あなたは間もなく、あなたの先祖たちとともに眠ろうとしている。この民は、はいって行こうとしている地の、自分たちの中の、外国の神々を慕って淫行をしようとしている。この民がわたしを捨て、わたしがこの民と結んだわたしの契約を破るなら、 31:17 その日、わたしの怒りはこの民に対して燃え上がり、わたしも彼らを捨て、わたしの顔を彼らから隠す。彼らが滅ぼし尽くされ、多くのわざわいと苦難が彼らに降りかかると、その日、この民は、『これらのわざわいが私たちに降りかかるのは、私たちのうちに、私たちの神がおられないからではないか。』と言うであろう。 31:18 彼らがほかの神々に移って行って行なったすべての悪のゆえに、わたしはその日、必ずわたしの顔を隠そう。 31:19 今、次の歌を書きしるし、それをイスラエル人に教え、彼らの口にそれを置け。この歌をイスラエル人に対するわたしのあかしとするためである。 31:20 わたしが、彼らの先祖に誓った乳と蜜の流れる地に、彼らを導き入れるなら、彼らは食べて満ち足り、肥え太り、そして、ほかの神々のほうに向かい、これに仕えて、わたしを侮り、わたしの契約を破る。 31:21 多くのわざわいと苦難が彼に降りかかるとき、この歌が彼らに対してあかしをする。彼らの子孫の口からそれが忘れられることはないからである。わたしが誓った地に彼らを導き入れる以前から、彼らが今たくらんでいる計画を、わたしは知っているからである。」 31:22 モーセは、その日、この歌を書きしるして、イスラエル人に教えた。
次にヨシュアだけに語られます。厳かな時間が流れます。
31:23 ついで主は、ヌンの子ヨシュアに命じて言われた。「強くあれ。雄々しくあれ。あなたはイスラエル人を、わたしが彼らに誓った地に導き入れなければならないのだ。わたしが、あなたとともにいる。」 31:24 モーセが、このみおしえのことばを書物に書き終えたとき、 31:25 モーセは、主の契約の箱を運ぶレビ人に命じて言った。 31:26 「このみおしえの書を取り、あなたがたの神、主の契約の箱のそばに置きなさい。その所で、あなたに対するあかしとしなさい。 31:27 私は、あなたの逆らいと、あなたがうなじのこわい者であることを知っている。私が、なおあなたがたの間に生きている今ですら、あなたがたは主に逆らってきた。まして、私の死後はどんなであろうか。
31:28 あなたがたの部族の長老たちと、つかさたちとをみな、私のもとに集めなさい。私はこれらのことばを彼らに聞こえるように語りたい。私は天と地を、彼らに対する証人に立てよう。 31:29 私の死後、あなたがたがきっと堕落して、私が命じた道から離れること、また、後の日に、わざわいがあなたがたに降りかかることを私が知っているからだ。これは、あなたがたが、主の目の前に悪を行ない、あなたがたの手のわざによって、主を怒らせるからである。」 31:30 モーセは、イスラエルの全集会に聞こえるように、次の歌のことばを終わりまで唱えた。
イスラエルが堕落し偶像礼拝に走ることがモーセには判っていました。それで繰り返し、繰り返し警告を与えているのです。しかし、人間と言うものは弱いものですね。良い動機も決心もあっという間に失われてしまいます。次に歌で教えを残しました。重要なことは歌にして覚えると忘れないものです。