ホームページ・メッセージ110313 小 石 泉
申命記 No. ]U モーセの遺言]U
26:1 あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地にはいって行き、それを占領し、そこに住むようになったときは、 26:2 あなたの神、主が与えようとしておられる地から収穫するその地のすべての産物の初物をいくらか取って、かごに入れ、あなたの神、主が御名を住まわせるために選ぶ場所へ行かなければならない。 26:3 そのとき、任務についている祭司のもとに行って、「私は、主が私たちに与えると先祖たちに誓われた地にはいりました。きょう、あなたの神、主に報告いたします。」と言いなさい。 26:4 祭司は、あなたの手からそのかごを受け取り、あなたの神、主の祭壇の前に供えなさい。 26:5 あなたは、あなたの神、主の前で、次のように唱えなさい。「私の父は、さすらいのアラム人でしたが、わずかな人数を連れてエジプトに下り、そこに寄留しました。しかし、そこで、大きくて強い、人数の多い国民になりました。 26:6 エジプト人は、私たちを虐待し、苦しめ、私たちに過酷な労働を課しました。 26:7 私たちが、私たちの父祖の神、主に叫びますと、主は私たちの声を聞き、私たちの窮状と労苦と圧迫をご覧になりました。 26:8 そこで、主は力強い御手と、伸べられた腕と、恐ろしい力と、しるしと、不思議とをもって、私たちをエジプトから連れ出し、 26:9 この所に導き入れ、乳と蜜の流れる地、この地を私たちに下さいました。 26:10 今、ここに私は、主、あなたが私に与えられた地の産物の初物を持ってまいりました。」あなたは、あなたの神、主の前にそれを供え、あなたの神、主の前に礼拝しなければならない。 26:11 あなたの神、主が、あなたとあなたの家とに与えられたすべての恵みを、あなたは、レビ人およびあなたがたのうちの在留異国人とともに喜びなさい。
約束の地カナンに入ったあと、最初の収穫の産物を神に捧げることへの律法です。ここでモーセはイスラエル人を「さすらいのアラム人」と呼んでいます。アラムとは広く中近東一帯の民族を指す言葉で、現在ならアラブ人というところなのでしょうが、現在のアラブ人と同じかどうかはわかりません。ただここで注意したいのはイスラエルが選民となったのは初めからではなくアブラハムの忠実な信仰からだということです。それ以外は普通の民族なのです。
26:12 第三年目の十分の一を納める年に、あなたの収穫の十分の一を全部納め終わり、これをレビ人、在留異国人、みなしご、やもめに与えて、彼らがあなたの町囲みのうちで食べて満ち足りたとき、 26:13 あなたは、あなたの神、主の前で言わなければならない。「私は聖なるささげ物を、家から取り出し、あなたが私に下された命令のとおり、それをレビ人、在留異国人、みなしご、やもめに与えました。私はあなたの命令にそむかず、また忘れもしませんでした。26:14 私は喪のときに、それを食べず、また汚れているときに、そのいくらかをも取り出しませんでした。またそのいくらかでも死人に供えたこともありません。私は、私の神、主の御声に聞き従い、すべてあなたが私に命じられたとおりにいたしました。 26:15 あなたの聖なる住まいの天から見おろして、御民イスラエルとこの地を祝福してください。これは、私たちの先祖に誓われたとおり私たちに下さった地、乳と蜜の流れる地です。」
ここは非常に判りにくい箇所ですが、収穫の什一はレビ人のもので収穫の最初に捧げるものですが、3年目は収穫の終わりにもう一度十分の一を捧げ、レビ人、在留異国人、みなしご、やもめに与えられたように受け取れます。すごい福祉の思想があったのですね。これが忠実に行われたらすばらしい愛に満ちた国家となったことでしょう。
ここに3年目の収穫の十分の一とあります。私たちに適用するなら、 3年目のお給料というべきでしょう。このような捧げものをすることが出来たら幸いですね。
.*初物と10分の1の奉献告白文(26:1‐15)
地の産物の初物が祭司の受け取る分であることは18:3‐5に,毎年の収穫の10分の1がレビ人と祭司の分となることは14:22‐27に,更に「3年の終わりごと」の10分の1が町囲みの中にいるレビ人と貧しい者たちに与えられることは14:28‐29に語られている.本章では,初物を〈主が御名を住まわせるために選ぶ場所〉(2)へ持って行き奉献する時に,また3年目ごとの10分の1を納める時に用いられる告白祈祷文である
初物の奉献文(1‐11).カナンを占領し,そこに定着する時,〈収穫するその地のすべての産物の初物〉をかごに入れて,〈主が御名を住まわせるために選ぶ場所〉へ持参する(2).その場所がエルサレム神殿となるまで,主の幕屋と契約の箱は転々とする.また〈主の祭壇〉(4)が各地にあったことも明らかである.更に,〈私は,主が私たちに与えると先祖たちに誓われた地にはいりました.きょう,あなたの神,主に報告いたします〉(3)という言葉は定住間もない時期を含意している.祭司が主の祭壇に供えると,奉献者は5‐10節の告白祈祷文を唱える.〈私の父〉はエジプトに下ったヤコブを指すが,〈さすらいのアラム人〉と呼ばれている(5).通常,アラムと言えばシリヤを指すが,ここではアブラハムの子孫の内,特にアラム系言語を話す者としてエドムやモアブから区別すると考えてよいだろう.祈祷文は,アブラハム契約の地上的実現として,エジプト滞在中の人口増加と奴隷状態からの救出のみわざと約束の地への導入を告白した上で,〈今,ここに(見て下さい)私は,主,あなたが私に与えられた地の産物(果実)の初物を持ってまいりました〉(10)と言って,主にささげ,主を礼拝する.そして,主が与えられたすべての恵み(良き物)を,家族やレビ人,在留異国人と共に食べる(11)
26:16 あなたの神、主は、きょう、これらのおきてと定めとを行なうように、あなたに命じておられる。あなたは心を尽くし、精神を尽くして、それを守り行なおうとしている。 26:17 きょう、あなたは、主が、あなたの神であり、あなたは、主の道に歩み、主のおきてと、命令と、定めとを守り、御声に聞き従うと断言した。 26:18 きょう、主は、こう明言された。あなたに約束したとおり、あなたは主の宝の民であり、あなたが主のすべての命令を守るなら、 26:19 主は、賛美と名声と栄光とを与えて、あなたを主が造られたすべての国々の上に高くあげる。そして、約束のとおり、あなたは、あなたの神、主の聖なる民となる。
「主の宝の民」「主の聖なる民」何という高貴な民族でしょうか。ただし彼らが神に忠実で「心を尽くし、精神を尽くし」て律法を行うならです。しかし、人間は自分の都合の良いところだけを受け取るものです。
ここで言う律法とはモーセの十戎を含む広い意味での神様からの戒めです。
この言葉とほぼ同じ言葉を、ペテロは教会に向かって書いています。
しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。Tペテロ2:9
ローマ書ではパウロは教会はイスラエルが達し得なかった律法の完成を主イエスのゆえに受け取った教会として描いています。こうして肉のイスラエルと、霊の教会は共に一つの共同体となり、キリストの花嫁である新しいエルサレムを形成します。それは黙示録21章のエルサレムの門がイスラエル12部族、城壁の土台が12使徒の名であることから判るのです。不思議で広大な神のご計画ですね。