しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。使徒1:8
新川先生と中国と北朝鮮への伝道に行ってきました。最初、A市を出発して北朝鮮との国境の町に行きました。前に行ったときは長い凸凹の一般道で6時間ぐらいかかったのですが、今回はすばらしい高速道路で2時間ぐらいで着きました。そこからB市へ一般道で2時間半ぐらい。そこには北朝鮮への支援活動をしている女性執事のCさんがいます。彼女の話では北朝鮮の新義州一帯では窮乏のきわみにあります。このあたりは、冬は零下10度になることはざらですが、家の煙突から煙の出ていない家があり、開けてみると一家全員が餓死しているというようなことは日常茶飯事だそうです。中国から物資は入っているのですが、一月の収入が10元(130円ぐらい)ということですから、それを食べることが出来ません。私たちは新義州のための義捐金を集め45万円ほどになりましたのでそれを持って行ったのですが、それがどんなに大きな価値があるかご想像下さい。
翌日、私たちはバスで3時間もかけて田舎からやってきた脱北者の二人の婦人と会いました。彼女たちは10年ほど前に中国に仕事があると騙されて船で脱北し、中国に上陸すると嫁の来てのない農村の男性に8000円ぐらいで売られました。逃げ出せば捕まって、送還されれば死刑か重労働。帰っても餓死するのですから泣く泣くそのまま止まり子供をもうけて住み続けています。二人とも笑顔とは程遠いさびしい顔をしていました。新川師が励ましを与え、いくばくかのお金を握らせると少しだけ表情が緩みました。日本では日本の苦しみがあり、北朝鮮には北朝鮮の苦しみがありますが、何だか日本の苦しみが小さく見えました。
その日、A市のクリスマスパーテーで出会ったD市のE氏に会うために350キロほど凍りついた道を移動しました。E氏は手広くレストランを経営する実業家ですがその一つ郊外の山の山小屋風のレストランの広大な敷地に、プレハブの家を建てて祈祷院と神学校を運営しています。そして驚いたことにその敷地内に壮大な校舎と寮とチャペルと1000名収容するホールを建設していました。東北神学院というその施設は日本の○○学院に匹敵するものでその大きさに圧倒されました。何度も、ここは本当に中国なのか、韓国ではないのかと思ったことです。また一人の実業家がそんな計画を立てて実行する大胆さに驚きました。彼らは世界中の国々の旗を立てて祈っていました。そして若者たちはエルサレムまで伝道するのだと燃えていました。
翌日、F市に向かいました。立派な高速道路が整備され時速150キロで600キロを走破しました! F市ではG先生の弟さんが運営している神学校でお話しました。神学校と言っても小さな家の薄暗い部屋に中学高校生ぐらいの若い人々が集まっていました。日本だったらゲームだ、ディズニーランドだと遊びほうけている時代ですが、彼らは学校が終わった後、聖書の学びを、目を輝かせて待っているのです。私の話にも熱心な反応があり、非常に感動しました。4月に行った省でも、神学生はこのような少年少女でした。
その国の未来はその国の若者を見れば分かります。このような純真な魂を持つ若者が無数にいる中国の未来が輝いて見えました。
今回改めて、宣教師の仕事は本当に貴いことだと思わされました。ある国では大したことがないお金でも飢餓に苦しむ何百人も救うことが出来ます。日本円で1000円は一回の食事代ですが北朝鮮の人々にとっては家族が数ヶ月食べることが出来るのです。それを可能にするのは宣教師の仕事です。
しかし、宣教師は孤独との戦いでもあると痛感させられました。新川先生のように中国人から「あんたは日本語が上手いね」と言われる人でも、何時間もの移動の間や、良くて安ホテル、悪くすれば泊まるところもない夜。周りは全て外国人です。危険とも隣り合わせです。新川先生は、今までに財布を盗まれたことが5回。騙されることも数知れず。私はつくづく主イエスが弟子たちを二人ずつ遣わされたことの意味を思わされました。
また、十二弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになった。マルコ6:7
彼らの岩が、彼らを売らず、主が、彼らを渡さなかったなら、どうして、ひとりが千人を追い、ふたりが万人を敗走させたろうか。申命記32:30
夫婦でも良いのでしょうが、同労者がいることはやはり心強いでしょう。私は何の役にも立たないかもしれませんが、これからも一緒に中国に行きたいと思いました。
日本に帰ってきて成田から帰るとき、痛感するのは空の青さと緑の多さです。中国では特に冬は、大都市はスモッグとほこりで太陽もぼんやりとしか見えません。緑も一生懸命植えて、伐採すれば重罪になる道路沿いの林がかろうじてあるだけです。合計2500キロのドライブの間一箇所もトンネルがありませんでした。どこまでも広がる平野と畑です。車は2〜3日で真っ黒になります。洗車ビジネスが盛んです。そしてホテルの水のまずいこと。もちろん沸かしてからお茶にするのですが、まるで重金属のような味がします。食事もどこか日本と違う味付け。そんな過酷な現実をこともなげにクリアーする神経がないと宣教師は務まらないと思いました。
羽根が生えたように軽々と歩く新川先生のあとを必死で追いながら、2キロも歩かされて食べたお粥の朝食は一生忘れないでしょう・・・・。それが宣教の現実です。しかし、何ともいえない達成感。喜びがあふれました。