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申命記  No.X モーセの遺言X

 15章では7年目の免除について書かれています。借金と奴隷から免除されます。これはイスラエル人同士の間の決まりです。外国人は対象外でした。この7年を7倍した49年目をヨベルの年と言います。これは全ての負債や土地の所有権が元の持ち主に無償で返されます。これについては別のところで見ることになるでしょう。この7年目というのはその人が借りたり、奴隷になってからではなく、カレンダーにしたがって決まっていました。
15:1 七年の終わりごとに、負債の免除をしなければならない。 15:2 その免除のしかたは次のとおりである。貸し主はみな、その隣人に貸したものを免除する。その隣人やその兄弟から取り立ててはならない。主が免除を布告しておられる。 15:3 外国人からは取り立てることができるが、あなたの兄弟が、あなたに借りているものは免除しなければならない。 15:4 そうすれば、あなたのうちには貧しい者がなくなるであろう。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えて所有させようとしておられる地で、主は、必ずあなたを祝福される。
 これは非常に細かい心理的な要素まで述べています。7年目に近くなったとき、貸すことを惜しんではならないとまで言っています。これは兄弟同胞だからです。
15:7 あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたのどの町囲みのうちででも、あなたの兄弟のひとりが、もし貧しかったなら、その貧しい兄弟に対して、あなたの心を閉じてはならない。また手を閉じてはならない。 15:8 進んであなたの手を彼に開き、その必要としているものを十分に貸し与えなければならない。 15:9 あなたは心に邪念をいだき、「第七年、免除の年が近づいた。」と言って、貧しい兄弟に物惜しみして、これに何も与えないことのないように気をつけなさい。その人があなたのことで主に訴えるなら、あなたは有罪となる。 15:10 必ず彼に与えなさい。また与えるとき、心に未練を持ってはならない。このことのために、あなたの神、主は、あなたのすべての働きと手のわざを祝福してくださる。 15:11 貧しい者が国のうちから絶えることはないであろうから、私はあなたに命じて言う。「国のうちにいるあなたの兄弟の悩んでいる者と貧しい者に、必ずあなたの手を開かなければならない。」
 次に奴隷についての規定があります。イスラエル人がイスラエル人の奴隷になるというのも不思議なのですが、そういうこともあったのでしょう。例えば親族がみんな死んだ子供などが考えられます。彼らも7年目には自由になりました。
15:12 もし、あなたの同胞、ヘブル人の男あるいは女が、あなたのところに売られてきて六年間あなたに仕えたなら、七年目にはあなたは彼を自由の身にしてやらなければならない。 15:13 彼を自由の身にしてやるときは、何も持たせずに去らせてはならない。 15:14 必ず、あなたの羊の群れと打ち場と酒ぶねのうちから取って、彼にあてがってやらなければならない。あなたの神、主があなたに祝福として与えられたものを、彼に与えなければならない。 15:15 あなたは、エジプトの地で奴隷であったあなたを、あなたの神、主が贖い出されたことを覚えていなさい。それゆえ、私は、きょう、この戒めをあなたに命じる。
 この後、非常に重要な決まりがあります。それは自発的な奴隷、解放奴隷のことです。奴隷といっても、今で言うなら従業員と言い換えることもあるかもしれません。現在の日本のように日付が変わるまで仕事をさせるなんていうことは奴隷でもありませんでした。
15:16 その者が、あなたとあなたの家族を愛し、あなたのもとにいてしあわせなので、「あなたのところから出て行きたくありません。」と言うなら、 15:17 あなたは、きりを取って、彼の耳を戸に刺し通しなさい。彼はいつまでもあなたの奴隷となる。女奴隷にも同じようにしなければならない。 15:18 彼を自由の身にしてやるときには、きびしくしてはならない。彼は六年間、雇い人の賃金の二倍分あなたに仕えたからである。あなたの神、主は、あなたのなすすべてのことにおいて、あなたを祝福してくださる。
 7年目が来て、自由が約束されても、その主人が良い人で、解放されたくないと奴隷が思ったら、自発的に奴隷として仕えることが出来ました。その場合、耳にピアスをしました。ピアスはこれが始まりです。このような奴隷を持つことは名誉なことでした。寛容で豊かな人格者とされるからです。
 この後、牛や羊の初子を使役したり、毛を刈ってはならないとあります。また欠陥があれば捧げものにしてはならないのです。
 16章では過ぎ越しの祭り、種を入れないパンの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りなどの決まりがありますが、これは省略します。そして裁判官についての決まりがあります。これなど何時の時代でも裁判にかかわる人が覚えるべきでしょう。賄賂を禁じ、正義を求めるように教えています。
16:18 あなたの神、主があなたに与えようとしておられるあなたのすべての町囲みのうちに、あなたの部族ごとに、さばきつかさと、つかさたちを任命しなければならない。彼らは正しいさばきをもって民をさばかなければならない。 16:19 あなたはさばきを曲げてはならない。人をかたよって見てはならない。わいろを取ってはならない。わいろは知恵のある者の目をくらませ、正しい人の言い分をゆがめるからである。 16:20 正義を、ただ正義を追い求めなければならない。そうすれば、あなたは生き、あなたの神、主が与えようとしておられる地を、自分の所有とすることができる。
 次に、特にアシェラ像について禁じています。
16:21 あなたが築く、あなたの神、主の祭壇のそばに、どんな木のアシェラ像をも立ててはならない。 16:22 あなたは、あなたの神、主の憎む石の柱を立ててはならない。
 この信仰は非常に悪質で、長い間イスラエルから離れませんでした。
■アシェラ (〈ヘ〉aserah, aserah) アシュタロテと共にカナン宗教の肥沃祭儀の礼拝の対象とされていた女神で,古代オリエント全域で信奉されていた.アシェラはイスラエルにおいて,唯一の真の神ヤハウェに対する信仰が自然および自然の力を信奉する宗教に堕落する時には,必ず入り込んできた.そして至高神の妻として崇拝される偶像となった.アシェラはこのようにアシュタロテ,アナテと共に有力な女神とされ,それらの相手になる男神としては一般的にバアルがあげられている.その祭は農業宗教的要素を持ち,きわめて官能的,性的傾向に走った.後にエルサレムの神殿にアシェラ像が立ち,神殿男娼の部屋が設けられ,その像に掛ける幕を織る女たちがいたことが記されている(U列23:7).
モーセの律法では,「彼らの石柱を打ち砕き,アシェラ像を切り倒さなければならない」と命じられている(出34:13,申7:5,16:21).しかし士師時代にはすでにイスラエルの国中に雑草のごとくはびこり始めたので,主はギデオンに対してバアルの祭壇のそばに立っているアシェラ像を切り倒すように命じられた(参照士6:25‐30).アシェラは「憎むべき像」(T列15:13)と言われたにもかかわらず,ヤロブアム王もレハブアム王も共にこの像を南北両王国内に導入して崇拝した(T列14:15,23).
アシェラということばは前述のように第1に女神であり,第2に女神の彫像を指す.南ユダの王マナセは,エルサレム神殿の中にまでこの彫像を安置した(U列21:7).北王国のアハブがサマリヤのバアル神殿に立てたのもアシェラの彫像であった(T列16:32‐33).しかし第3に,アシェラということばはほとんどの場合,女神の象徴として立てられた木柱を意味した.それは枝が切り取られたまっすぐの棒状の柱であった.この木柱がイスラエル,ユダ両国の山々,高き所の至る所に立てられ礼拝されたのである.このような木柱が考古学的遺物として出土した例はまれであるが,アイにおいて早期青銅器時代の聖所跡で香壇の間から出土した長さ1メートルくらいの炭化した木片がアシェラの木柱であったと思われる.
預言者エリヤがカルメル山上で偶像に仕える預言者たちと対決した時,アシェラの預言者が400人も集められたことを見ても(T列18:19),いかにアシェラ礼拝がはびこっていたかが推察できる.アシェラ礼拝は北王国オムリ,アハブ王時代に最高潮に達した.そしてこの「憎むべき像」は預言者たちの熱心な譴責にもかかわらず,南北両王国の最後まで礼拝の対象となり(参照イザ17:8,27:9,ミカ5:14),王国滅亡の原因となった.
 17章では欠陥のある動物を神に捧げないこと。偶像崇拝の罪への裁きが語られます。
17:1 悪性の欠陥のある牛や羊を、あなたの神、主にいけにえとしてささげてはならない。それは、あなたの神、主の忌みきらわれるものだからである。
17:2 あなたの神、主があなたに与えようとしておられる町囲みのどれでも、その中で、男であれ、女であれ、あなたの神、主の目の前に悪を行ない、主の契約を破り、 17:3 行ってほかの神々に仕え、また、日や月や天の万象など、私が命じもしなかったものを拝む者があり、 17:4 それがあなたに告げられて、あなたが聞いたなら、あなたはよく調査しなさい。もし、そのことが事実で、確かであり、この忌みきらうべきことがイスラエルのうちに行なわれたのなら、 17:5 あなたは、この悪事を行なった男または女を町の広場に連れ出し、男でも女でも、彼らを石で打ちなさい。彼らは死ななければならない。
 さらに死刑の決まりがあります。これは実に明確で今のように複雑怪奇ではありません。
死刑は2〜3人の証言によって下されました。それは石打の刑です。イスラエルでは十字架の死刑はありませんでした。十字架刑はローマ習慣でした。
17:6 ふたりの証人または三人の証人の証言によって、死刑に処さなければならない。ひとりの証言で死刑にしてはならない。 17:7 死刑に処するには、まず証人たちが手を下し、ついで、民がみな、手を下さなければならない。こうしてあなたがたのうちから悪を除き去りなさい。
 その他、争い事の裁き方について。祭司または裁き司の裁きには従順でなければなりませんでした。総じてレビ人、祭司には裁判官の資格が与えられ、尊敬を受けていました。
 また、王について定められています。これはイスラエルにとってはなじみのない習慣でしたが、民の希望によって立てても良いことになっています。
17:14 あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地にはいって行って、それを占領し、そこに住むようになったとき、あなたが、「回りのすべての国々と同じく、私も自分の上に王を立てたい。」と言うなら、 17:15 あなたの神、主の選ぶ者を、必ず、あなたの上に王として立てなければならない。あなたの同胞の中から、あなたの上に王を立てなければならない。同胞でない外国の人を、あなたの上に立てることはできない。 17:16 王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。「二度とこの道を帰ってはならない。」と主はあなたがたに言われた。 17:17 多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。
17:18 彼がその王国の王座に着くようになったなら、レビ人の祭司たちの前のものから、自分のために、このみおしえを書き写して、
17:19 自分の手もとに置き、一生の間、これを読まなければならない。それは、彼の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばとこれらのおきてとを守り行なうことを学ぶためである。 17:20 それは、王の心が自分の同胞の上に高ぶることがないため、また命令から、右にも左にもそれることがなく、彼とその子孫とがイスラエルのうちで、長くその王国を治めることができるためである。
 過度に馬を増やすこと(兵器、武装)、多くの妻を持つこと、神を第一にすることなど、ソロモン以後のイスラエル、ユダの王は全部犯しています。王制は本来、神様の求められるイスラエルの姿ではなかったようです。