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聖書の不思議−1 西暦の正しい数え方

 これは17年前に書いた私の本の中にあるものですが、知らない人も多くなったのでお話しします。
日本で西暦というのは欧米ではA.D.と表記されます。ラテン語でAnno Domini、「わが主の統治」という意味です。一方紀元前はB.C.と表記されます。なぜか英語です。
 今年はAD2010年です。でもそれはいつから数えたのでしょうか。一般にはイエスキリストの誕生からと考えられています。しかし、主イエスが生まれたのは西暦元年ではありません。西暦は中世にグレゴリオ暦などを参考に作られたのですが、どこかで間違えた、と言うより、元々はっきりは分からないのです。そればかりか、私が考えるには、誕生から数えるのは間違いです。今、色々な研究からほぼ正確に時間的な経過がわかってきました。
そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。ルカ2:1〜7
 主イエスの誕生を決定するのはこの箇所です。初代ローマ皇帝(カイザルは皇帝にはならなかった)となったアウグストはBC8〜6年に当時の全世界、ローマ帝国の人口調査を命じました。しかし、塩野七世さんの「ローマ人の物語」にもあるように、ローマのような大帝国の人口調査は1年や2年では終わりませんでした。4年以上掛かったということです。そうすると主イエスの誕生はBC8年から4年ぐらいの間です。
 さて、ダニエル書に次のような箇所があります。
あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。それゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから、油そそがれた者、君主の来るまでが七週。また六十二週の間、その苦しみの時代に再び広場とほりが建て直される。ダニエル9:24〜25
 ダニエルはBC587年、バビロンによって滅ぼされた捕囚となった、ユダ王国の貴族階級の青年でした。(それ以前に、北朝イスラエルはBC722年、アッシリアによって滅ぼされその後、10部族は行方不明になりました。)ダニエルは神の霊に満たされた人で、神から多くの預言を頂きました。
この箇所は特にメシヤの到来を予言する重要なところです。それは「エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤが来るまでに69週ある」といっています。
 アッシリアはバビロンに滅ぼされ、バビロンはペルシャに滅ぼされました。ダニエルたちはペルシャの王たちにも厚く用いられました。アッシリア、バビロンは征服した土地を一掃し、その国の文化や宗教を抹殺しようとしたのですが、ペルシャは寛大で、それぞれの国の固有の文化や宗教を重んじました。それでクロス王はBC536年にユダの王家のゼルバベルにパレスチナに帰還して神殿を再建することを命じました。ゼルバベルは約4万人と女性、子供、僕を連れてパレスチナに帰り神殿再建を図りますが困難な仕事で中々完成しませんでした。
 その後、クロス王の後継者の一人アルタシャスタ(アルタクセルクセス)王はBC457年にエズラという祭司に「エルサレムを再建せよ」という命令を下します。エズラは1500名ぐらいの人と帰還し、困難な中でネヘミヤなどの助けにより、エルサレムの城壁の修復をします。
さて、ダニエルは「エルサレムを建て直せ」という命令が出てから、69週の後にメシヤは来るという預言をしました。69週は483日です。これを483年と考えると、それはAD26年になります。もし、主イエスがBC4年に生まれたとすると、この年に主イエスは30歳で、バプテスマのヨハネから洗礼を受け、メシヤとしての歩みを始められました。これはヘンリー・ハレーという人のバイブルハンドブックに載っている計算式です。これが完全に正確だとは言いませんが、あまりにも精密な神ご自身のご計画のようで一つの参考になると思います。
 さて、私たち日本人は天皇がその御世を始めるのが、その天皇の誕生ではなく、前の天皇の崩御による代替わりから数えることを知っています。平成は昭和天皇の死んだときから始まりました。同じように、メシヤの統治もその方の誕生ではなく、即位、すなわち洗礼から数えるべきではないでしょうか。それは不確かな西暦元年ではなくほぼ正確なAD26年とすべきです。そうすると、今年は2010年ではなく1984年になります。
 ところで私がその本を書いた1993年には「ノストラダムスの大預言」という本が空前のベストセラーになっていました。「1999年7の月、恐怖の大王が天から来る」と人々は大騒ぎしていました。クリスチャンまでが「恐怖の大王とはキリストのことではないか」とささやきあっていました。しかし、私は以上の理由から「1999年は普通の年である。何も起こらない。」と書きました。さらに「ノストラダムスよ、参ったか。」とも書きました。そして1999年7の月には何も起こりませんでした。
 私はちょっとだけ書き足しました。「もし、キリストが再臨されるのが、最初の時から2000年目だったら、それはAD2000年ではなく2026年である。」それで、私が2026年に再臨があると言ったことになりました。そして「再臨の時は、主イエスでさえ知らないといっているのに、再臨の時を定めた、とんでもない牧師だ」といわれることになりました。私は小学生のころからその聖書の言葉を知っています。
 さて、最初のダニエルの預言にはメシヤに関して70年が定められていると書かれています。あと1年はどこに行った? それはまだ来ていないと考えます。黙示録にも終わりのときに7年間の特殊な期間があることが書かれています。ダニエルは最初の69週と最後の1週の間に2000年以上の谷間があることを見ることが出来ませんでした。彼の目には最初の峰と最後の峰が重なって見えたのです。
 間もなく、その最後の1週間、7年が来ます。それは一般には大患難時代といわれています。しかし、リチャード・ウオンブランド師の「マルクスとサタン」という本で共産主義を見てきた私には大患難時代は今までにもあったと考えます。ロシア、ルーマニア、ハンガリー、ナチスドイツ、中国、北朝鮮。これらの国々で起こったことは大患難ではなかったでしょうか。クリスチャンはどんな目にあったでしょうか。そして結果はどうだったでしょうか。結局それらの多くの国で共産主義は滅び、主の名が崇められています。恐れることはありません。主イエスは私たちを「孤児とはしない」と言われました。
彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、公義を勝利に導くまでは。マタイ12:20
彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。詩篇84:6

* この本をはじめとする、私の本6冊は絶版となり、入手不可能でしたが、この度、ある方がスキャンしてくださり、CDとして読めるようになりました。