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特別メッセージ ソドムの幼子たち

そこで主は仰せられた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。 わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行なっているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」
創世記18:20〜21
 これはアブラハムに現れた3人の御使の中の、恐らくは受肉(人間となること)前の主イエスが言われた言葉です。ソドムとゴモラは罪に満ちていました。神様はその事を実際に調べるために御使いを遣わし、御子だけが残ってアブラハムに話されたのでした。
 先日、報道された幼い二人の子供の死を知ったとき、私はこの御言葉を思い出しました。この国はソドムとゴモラのようになっているではありませんか。不信仰ははびこり、気の向くままに自分の欲望のままに生き、愛らしい幼子さえ平気で、捨てる、暴力を振るう、殺す。
 神様はすでに、この国に御使いを送っているのではないでしょうか。
夜の間、夜の見張りが立つころから、立って大声で叫び、あなたの心を水のように、主の前に注ぎ出せ。主に向かって手を差し上げ、あなたの幼子たちのために祈れ。彼らは、あらゆる街頭で、飢えのために弱り果てている。
エレミヤ哀歌2:19
乳飲み子の舌は渇いて上あごにつき、幼子たちがパンを求めても、それを裂いて彼らにやる者もない。4:4
 紀元前586年、エルサレムがバビロンに包囲され、飢餓がエルサレムを覆いました。エレミヤはその事を預言し、警告していたのですが誰も聞きませんでした。そしてエレミヤの預言どおりになりました。いつも最大の犠牲者は最も弱いものです。
しかし、今、日本は豊かで、飢餓どころかダイエットに悩んでいる状態です。その中で、飢えて死ぬ幼子があり、パンを裂いて彼らにやるものも居ません。これほど罪深いことがあるでしょうか。これはひとりあの若い母親だけの問題ではないような気がします。日本全体が狂っています。
神様はこの国をいつまでこのまま許されるでしょうか。幼子たちの叫びをいつまで放置されるでしょうか。私はあまり遠くないと思います。
あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。詩篇8:2

民数記  No. [ 神に近づくルート

 1ヶ月近く、民数記をお休みしていましたが、前回6月27日ではコラとダタンとアビラムの反乱のことを学びました。ちょっと寄り道すると、40年前にベストセラーとなった「日本人とユダヤ人」の作者はイザヤ・ベン・ダサンという名前でした。このベン・ダサンはヘブル語ではベン・ダタンになります。ベンは子、息子の意味ですから、ダタンの子です。コラとかダタンというのはユダヤ人なら忌まわしい名として避けるはずです。そのことから、これは訳者の山本七平さんが架空のユダヤ人になって書いたことが判ります。イザヤ=いざや・さあ、ベン=弁・語り、ダサン=出さん。さあ語り出しましょう。というしゃれでしょう。その後、有名になって困ったようですね。
 さて、この大反乱の終わった時、神様は神に近づく者のルートをはっきりとさせる必要を覚えられたのでしょう。ここにある奇跡をもってその事を証明されます。
17:1 主はモーセに告げて仰せられた。 17:2 「イスラエル人に告げて、彼らから、杖を、父の家ごとに一本ずつ、彼らの父祖の家のすべての族長から十二本の杖を、取れ。その杖におのおのの名を書きしるさなければならない。 17:3 レビの杖にはアロンの名を書かなければならない。彼らの父祖の家のかしらにそれぞれ一本の杖とするから。 17:4 あなたはそれらを、会見の天幕の中のわたしがそこであなたがたに会うあかしの箱の前に置け。 17:5 わたしが選ぶ人の杖は芽を出す。こうしてイスラエル人があなたがたに向かってつぶやく不平をわたし自身が静めよう。」 17:6 モーセがイスラエル人にこのように告げたので、彼らの族長たちはみな、父祖の家ごとに、族長ひとりに一本ずつの杖、十二本を彼に渡した。アロンの杖も彼らの杖の中にあった。 17:7 モーセはそれらの杖を、あかしの天幕の中の主の前に置いた。
 神様はイスラエルの十二部族の長たちの杖をすべて集めよと命じられました。杖は普通軽い材質の木で、全く乾燥したものを自分なりに加工していたようです。その十二本の杖が会見の幕屋の中に置かれました。
17:8 その翌日、モーセはあかしの天幕にはいって行った。すると見よ、レビの家のためのアロンの杖が芽をふき、つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実を結んでいた。 17:9 モーセがその杖をみな、主の前から、すべてのイスラエル人のところに持って来たので、彼らは見分けて、おのおの自分の杖を取った。 17:10 主はモーセに言われた。「アロンの杖をあかしの箱の前に戻して、逆らう者どもへの戒めのため、しるしとせよ。彼らのわたしに対する不平を全くなくして、彼らが死ぬことのないように。」 17:11 モーセはそうした。主が命じられたとおりにした。 17:12 しかし、イスラエル人はモーセに言った。「ああ、私たちは死んでしまう。私たちは滅びる。みな滅びる。 17:13 主の幕屋にあえて近づく者はだれでも死ななければならないとは。ああ、私たちはみな、死に絶えなければならないのか。」
 翌朝、モーセが行ってみると十二本の内、アロンの杖だけが芽をふき、つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実を結んでいました。日本も霊的には乾いていますが、アロンの杖のように芽を葺き、花を咲かせ、実が実りますように。
アーモンドは春に桜に良く似た花を咲かせます。それでユダヤ人が日本に来ると故郷に帰ったような気がするそうです。その実がアーモンドとなります。ちなみに昔の日本語の聖書では「あめんどう」となっていたので何のことか判らなかった人が多かったようです。
ここで神様は御自分に近づく者のルートをはっきりとさせられたのですが、イスラエルの人々はそれで神を敬うのではなく、またしてもネガティブに反応しています。困ったものですね。
 この後18章では再びアロンの祭司職の確認が語られます。
  1. 聖所にかんする罪はアロンとその子らが責任を持つこと。
  2. レビ族がそのサポートをすること。

18:1 そこで、主はアロンに言われた。「あなたと、あなたとともにいるあなたの子たちと、あなたの父の家の者たちは、聖所にかかわる咎を負わなければならない。そしてあなたと、あなたとともにいるあなたの子たちが、あなたがたの祭司職にかかわる咎を負わなければならない。
18:2 しかし、あなたの父祖の部族であるレビ族のあなたの身内の者たちも、あなたに近づけよ。彼らがあなたに配属され、あかしの天幕の前で、あなたと、あなたとともにいるあなたの子たちに仕えるためである。 18:3 彼らはあなたのための任務と、天幕全体の任務を果たすのである。しかし彼らは、聖所の器具と祭壇とに、近づいてはならない。彼らも、あなたがたも、死ぬことのないためである。 18:4 彼らがあなたに配属され、天幕の奉仕のすべてにかかわる会見の天幕の任務を果たす。ほかの者があなたがたに近づいてはならない。 18:5 あなたがたが聖所の任務と祭壇の任務を果たすなら、イスラエル人に再び激しい怒りが下ることはない。
厳格な戒めを見ると、神に奉仕することは軽々しくすべきではないということを痛感しますね。これは現在でも同じことです。神の働き人たちは責任と資格が問われるのです。畏れつつなすべきことです。若いときに、そうと知っていたら…牧師にならなかったかもしれません。これらの聖職者を神様は贈り物と呼んでおられます。
18:6 今ここに、わたしは、あなたがたの同族レビ人をイスラエル人の中から取り、会見の天幕の奉仕をするために、彼らを主にささげられたあなたがたへの贈り物とする。
この後、もう一度レビ記の復習のような記録がありますが省略します。
18:21 さらに、わたしは今、レビ族には、彼らが会見の天幕の奉仕をするその奉仕に報いて、イスラエルのうちの十分の一をみな、相続財産として与える。 18:22 これからはもう、イスラエル人は、会見の天幕に近づいてはならない。彼らが罪を得て死ぬことがないためである。
十分の一は第一義的には聖職者のものでした。しかし、これを現在の献金と同一に考えることは出来ません。
18:29 あなたがたへのすべての贈り物のうち、それぞれ最上の部分で聖別される分のうちから主へのすべての奉納物を供えなさい。 18:30 またあなたは彼らに言え。あなたがたが、その最上の部分をその中から供えるとき、それはレビ人にとって打ち場からの収穫、酒ぶねからの収穫と同じようにみなされる。 18:31 あなたがたもあなたがたの家族も、どこででもそれを食べてよい。これは会見の天幕でのあなたがたの奉仕に対する報酬だからである。 18:32 あなたがたが、その最上の部分を供えるなら、そのことで罪を負うことはない。イスラエル人の聖なるささげ物を、あなたがたは汚してはならない。それは、あなたがたが死なないためである。」
 レビ人と祭司は奉納物の最上のものを神に捧げました。残り物や半端ものを神に捧げないようにしましょう。19章に不思議な話が出てきます。
19:1 主はモーセとアロンに告げて仰せられた。 19:2 「主が命じて仰せられたおしえの定めは、こうである。イスラエル人に言い、傷がなく、まだくびきの置かれたことのない、完全な赤い雌牛をあなたのところに引いて来させよ。 19:3 あなたがたはそれを祭司エルアザルに渡せ。彼はそれを宿営の外に引き出し、彼の前でほふれ。 19:4 祭司エルアザルは指でその血を取り、会見の天幕の正面に向かってこの血を七たび振りかけよ。 19:5 その雌牛は彼の目の前で焼け。その皮、肉、血をその汚物とともに焼かなければならない。 19:6 祭司は杉の木と、ヒソプと、緋色の糸を取り、それを雌牛の焼けている中に投げ入れる。
 この赤い雌牛の話が、最近イスラエルでニュースになりました。何か終末に関することだったように記憶しています。しかし、どういう意味なのか判りませんでした。旧約聖書の深い内容は、本当の信仰を持ったユダヤ人の聖書教師に聞くしか方法はないようです。
 この後は別の動きとなりますので、今日はここまでにします。