ホームページ・メッセージ100801        小 石  泉

季節でなくとも

翌日、彼らがベタニヤを出たとき、イエスは空腹を覚えられた。葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、そこに来ると、葉のほかは何もないのに気づかれた。いちじくのなる季節ではなかったからである。イエスは、その木に向かって言われた。「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように。」弟子たちはこれを聞いていた。マルコ11:12〜14
夕方になると、イエスとその弟子たちは、いつも都から外に出た。朝早く、通りがかりに見ると、いちじくの木が根まで枯れていた。ペテロは思い出して、イエスに言った。「先生。ご覧なさい。あなたののろわれたいちじくの木が枯れました。」イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。11:19〜24
 この箇所を読んだとき、何か違和感を感じないでしょうか。イエス様が空腹を覚えられたのです。人となられた方は空腹にもなられたのでしょう。それは良いのです。そしてイチジクの木に何かなっていないかと見に行かれました。子供のころ私の家にもイチジクがあって、イチジクは時々、季節でなくても実を残していることがあります。しかし、それは例外で、マルコはここでわざわざ「季節ではなかった」と書いています。だから、そこには実がなっていなかったのです。イエス様はその木を呪いました。するとその木は枯れてしまったのです。変な話ですね。何かやつあたりみたいで、愛の神らしくないですね。
 ここの第一の意味は不信仰なイスラエルを表しているというのが一般的な解釈です。それにしても理不尽ではないですか。イチジクの木がもし口が利けたら「イエス様、私でも季節には実をならせます。今は季節ではないのですから仕方がないではありませんか。」と言ったのではないでしょうか。それなのにイエス様はその木を呪い、その木は枯れてしまったのです。一体、イエス様は何を言われたかったのでしょうか。この後、19節からは信仰による答えについて語って居られます。「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」
 これはちょっとひねった見方ですが、ここでイエス様は信仰について教えられているのではないかと、私は考えました。季節に実をならせることは、当然のことです。信仰は季節で無くとも実を実らせることです。「この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。」これが信仰というものなのです。
 私は28歳で神学校を出たとき、そのような信仰を持っていました。私はどの教会も受け入れてくれなかったので(相当、ひどい神学生でしたから)自分で開拓しようと決めていました。お金はなく、土地も、仕事も、教会も、信徒も、どこからのサポートも、全くありませんでした。誰が考えても“続くはずがない”状態でした。しかし、私には“季節でなくても実を実らせる”信仰だけがありました。
 船橋市で4畳半のアパートを借りて、近所の子供たちを集め、開拓伝道とは呼べないほどのささやかな働きを始めました。途中、ある混血児の青年を扱いかねて、一時断念し宣教師の元で2年間働きましたが、再び船橋市に戻って開拓を始めて、また小さなアパートから集会を始めました。津田沼の駅の前の広場で開いた天幕集会は初日の朝、大風で吹っ飛んでしまいました。その残骸を片付けているところに二人の、今で言うならヒッピー風の若者が現れました。自分で何かをぬたくったTシャツに下駄履きでした。その二人がアパートに来て救われ、彼らが友人を連れてきました。そして小さな集会が出来ました。やがて、合気道場を借りて日曜礼拝を始めましたが不便で仕方がなく、教会を建てたいという切なる祈りが始まりました。船橋で一番苦労したのは会場でした。
 当時、祈る場所がなかったので、ちょっと離れた続橋というところにある浄水場の隣の森に行って祈りました。そこは真ん中が開けていて、皆で切り株に座って祈りました。当時のお金で5千万円を与えてくださいと祈りました。 あるとき一人で祈っていると、森の上を白鷺が飛んで行きました。その時、私は「あの鳥一羽造るのにいくらかかると思うか。」という声を聞いたような気がしました。「5千万円でも無理です。」「その通りだ、わたしにとって5千万円は白鷺一羽にも当たらない」。そのような問答が心の中に起こりました。それからは犬を見ても5千万、猫を見ても5千万。祈りは積まれましたが中々お金は与えられませんでした。ある日の帰り道にはアドナイエレという美容院を見つけて喜んだこともあります。「主に備えあり」ですから。
 間もなく、ひょんなことから土地を借りることが出来ました。私たちはそこに古いプレハブの飯場をもらって建て、そこを仮会堂としました。また粗末なプレハブで住まいも建てました。そして4間に6間24坪の会堂を建てようと、土台の溝を掘って待ちました。しかし、お金は与えられませんでした。
 ある年末の夜、私は古い家をもらった夢を見ました。夜中の3時ごろ、私は起きて考えました、もう土地はあるのに家をもらってもなあ。しかし、ふと思ったのです、そうだ古い家をもらって自分たちで建てよう。翌年の正月3日、私たちはあてもなく教会にできる家を探しに行ったのです。自衛隊ならあるかもしれないと、木更津の自衛隊に行きました。自衛隊の外にある公園に行って休んでいると、古い壊れた建物があります。近づいてみるとぼろぼろでも柱や梁はしっかりしています。そして、その建物は4間の6間でした。
 私たちは半信半疑で船橋に帰り、正月休暇が終わるのを待って、木更津市役所に行きました。「あの建物を払い下げてください」「あんなものどうするんですか?」「教会を・・・」と言いかけて止めました。「教会の倉庫を作りたいので」あんまり汚くて教会とは言えなかったのです。それから許可が下りるまでの長い日々・・・そして許可が下りました。「払い下げ」ではなく「廃棄処分」でした!
 それから解体作業が始まりました。ちょうど青年たちが大学や就職に付く春休みの時でした。7人の若者たちと私は毎日車で解体作業に向かいました。素人ばかりでした。ほとんど解体が済んだとき、大きな問題がありました、それは7メートルもある屋根の合掌の骨組みをそのまま運びたかったのですが、そんな大きなものを運ぶ方法がなかったのです。
 その建物は軍隊のポンプ小屋で中に巨大なポンプやモーターがありました。市役所に聞くと、それをつけて廃棄しますということだったので、私は途中で見つけたくず鉄屋さんにそれを買ってもらうことにしました。彼は韓国系の人で、偶然ですがクリスチャンでした。その人はその鉄屑を7万円で買ってくれたのですが、7本の合掌を見て、「先生、これどうするんですか?」と聞くのです。「困っているんですよ」「じゃあ、私がクレーンつきの大型車を持っているから運んであげますよ」「でも、お金がないんです」「ただで良いですよ」。あの重くていまいましい大きな合掌が軽々と積まれ、運ばれて行く真新しいトラックの後ろからワゴン車で付いていくとき、私たちは無性に笑いました。それは文字通り次の御言葉を体験したのでした。
そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。詩篇126:2
 それから私たちはその古材を組み立てて会堂を建設しました。ある建設会社の社長さんが助けてくださり、古いコンパネをたくさん頂いて外壁にしました。電気工事も資格のある神学校の友人がやってくれました。途中は、前を通る高校生が「汚いの」というのですが、赤い屋根をふき、モルタルを塗り、真っ白に塗装しました。それはまるで醜いアヒルの子のように変身し、美しい教会になりました。
 すべての費用は120万円ほどでした。金もなく、人もなく、人望もない私は、ただ「季節でなくとも実を実らせる」ことを信じただけでした。そして、その後、現在の千葉市に移転するまで、その教会で働きを続けたのです。
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。ヘブル11:1
 見えるものを信じる必要はありません。見えないものを信じるのが信仰なのです。ありうることを信じるのが信仰ではありません。ありえないことを信じるのです。
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。マタイ7:7