ホームページ・メッセージ100711        小 石  泉

天のDNA

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。ヨハネ1:1〜6
すべての人を照すまことの光があって、世にきた。彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。1:9〜13
 私は昔から子供が好きでした。スーパーで可愛い赤ちゃんを見つけると、つい後についていってしまうので、家内から怪しまれるから止めるように言われました。ですから孫が生まれると聞いたときは、まあ、普通に可愛いだろうなと思っていました。しかし、いざ生まれてみると予想外でした。私は夢中になってしまったのです。何かが違うのです。それは血のつながりに対する特別な感情と、年齢差による感情のように思います。そして、アブラハムもイサクに同じように感じたのではないだろうかと思いました。
 アブラハムにとってイサクは孫どころかひ孫や玄孫(やしゃご)にも当たる年齢差です。アブラハムは神様を忘れてしまうほどイサクに夢中になりました。それで、何とイサクを捧げるように命じられます。何と残酷な! しかし、それほど神様のアブラハムに対する思いは深かったのでしょう。まるで三角関係のようです・…?
アブラハムにとってイサクは初めての子ではありません、前にハガルによってイシマエルを生んでいます。しかし、イシマエルの母ハガルはエジプト人だったのでいわば混血児です。正妻サラによる血統の正しい子供はイサクでした。イサクはヘブル人のDNAを持った子供でした。
 サタン礼拝者たちは非常に血統を重んじます。三代以上サタン礼拝者でないと重要な地位に付けません。悪霊はもともと人間に寄生しないと安らぎを得ないからです。イエス様はこう言っています。
汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。マタイ12:4
 この“水の無いところ”と言うのが何を指すのか判りませんが、悪霊にとって好ましいところではないようです。あのガダラ人の地に居た悪霊たち、レギオン(ローマの6000人の連隊をさす言葉)というほど多くの悪霊たちは、追い出すなら豚に入ることを許して欲しいとイエス様に頼みます。結局、豚は湖に落ちて死に、彼らの願いは聞き届けられなかったのですが。彼らも寄生している宿主から追い出されることを非常に恐れていました。
 世界で最も有名なサタニストの某家の当主は、世界の王族や大統領が額づいて拝謁することを願うのですが。唯一、日本の天皇陛下だけはその当主自ら飛行機のタラップの下に迎えに行きます。(陛下 陛=御殿の階段の下に居る取次ぎの人の意)それは現在、世界で2000年に近い血統を保っているのは日本の天皇家だけだからです。
 しかし、私たちは天のDNAを頂いています。それは「血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れ」るのです。それはただ、信仰によって与えられます。
そこで、あなたがたに言っておくが神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。Uコリント12:3
マリヤが聖霊によって身重になったように、私たちも聖霊によって生まれます。天のDNAは血による継承ではなく、ただ信じるだけで与えられるのです。それはアブラハムが持っていたDNAです。信ずるとは何と偉大なことか。
イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。 彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。 そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。マタイ16:13〜17
「あなたこそ、生ける神の子キリストです」というペテロの告白は「血肉ではなく、天にいますわたしの父」であるとイエス様は言われました。イエス様を神の子という言葉は天の父によらなければ言えないのです。それこそ天のDNAを与えられた者だけに言える言葉なのです。
 ゴルゴタの丘の下から(正確には丘の上ではなく麓です)流れ出した、主の血潮は、それを受け取る人々の新しいDNAとなりました。
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。Uコリント5:17
すべてが新しくなった! それは肉のDNAではなく、霊のDNAです。作り変えられたのは霊であって、魂(心)でも肉体でもありません。清められ、新しくされた霊は、それにふさわしい魂と肉体になるように苦しみます。
そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている。Uコリント5:2
 肉のDNAはアダムから続いています。しかし、私たちは新しいアダム、主イエスのDNAを、霊に受け取ったのです。
聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。Tコリント15:45
DNAはまるで言葉のようです。すべての生命体に固有の、言葉による文章としか言えないようなDNAの配列があります。主イエスも日本語の聖書は「言葉」と訳しています。
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。ヨハネ1:1
 主イエスの「言葉」はそれを信じる人の中で神の子のDNAとなります。
しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。ヨハネ1:12
 感謝ですね。あなたには神の子のDNAが与えられたのです。(この場合の“神の子”は英語の場合先頭が大文字ではなく小文字です)
 先日、私は、ふと「私には祖父がいなかった」と思いました。私の両親の実家はそれぞれ石川県と福島県で遠いことと、二人とも明治時代にクリスチャンとなり、家族から断絶されたので、私はおじいちゃん、おばあちゃんと会ったことがありません。自分が孫を愛する気持ちを考えると、何か大きなものをもらわなかったような気がします。
しかし、父と母が「血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよら」ないDNAを私に継承してくれたことを感謝します。あなたの信仰のDNAを子供や孫に継承することは非常に大切なことです。