ホームページ・メッセージ100513 小 石 泉
民数記 No.X ミリヤムの反抗
12:1 そのとき、ミリヤムはアロンといっしょに、モーセがめとっていたクシュ人の女のことで彼を非難した。モーセがクシュ人の女をめとっていたからである。 12:2 彼らは言った。「主はただモーセとだけ話されたのでしょうか。私たちとも話されたのではないでしょうか。」主はこれを聞かれた。 12:3 さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。
ミリヤムはモーセの姉です。彼女はモーセが赤ちゃんの時に、かごに入れられてナイル川に流されるのを見届け、それがパロの娘に拾われたのを見て、乳母を紹介すると言って、結局、実の母親に育てさせた功労者です。機転の利く賢い女性だったのでしょう。そういう姉としての誇りがあったのかもしれません。モーセ一人が神に厚く用いられることに嫉妬したのでしょう。こういう霊的な嫉妬心、競争心は聖書の中で何度か出てきます。最初のカインのアベル殺人事件も霊的嫉妬心が原因だったことを思い出してください。また、アロンの長男と次男の事件も学んだばかりです。
ちょっと寄り道になりますが、よく聞かれるところなので、この際、説明しておきます。第一列王記13章に奇妙な話があります。ある若い預言者が神様から命じられてヤロブアム王に警告を与えたために、ヤロブアム王が「その人を捕らえよ」と言って伸ばした手が枯れてしまって動かなくなってしまったという事件がありました。王はその預言者に懇願して手を癒してもらいます。この話を聞いた、ある老預言者は息子に頼んでこの若い預言者を連れ戻させます。そして食事を勧めますが、若い預言者は神様から、その町では食事をしてはならないと言われていると断りました。すると老預言者は、自分は神からあなたに食事を提供するように示されたと偽りを言います。その帰途、その若い預言者は獅子に襲われて死にます。それに対して老預言者は「それは神の命令に背いたからだ」と言うのです。これなどちょっと理解しにくい箇所ですが、結局、老預言者の嫉妬なのです。
同じようにミリヤムもアロンもモーセに対する嫉妬からこのような行動に出たのです。兄であり姉であるという肉親の関係がもう一つの理由でしょう。
ここでモーセは「地上にだれにもまさって謙遜だった」という言葉があります。これはモーセがこの書の著者であったことを考えるとおかしいかもしれませんが、モーセが書いたのではなく書記がいたのです。そして、そう書かずにはいられないほど謙遜だったのでしょう。
12:4 そこで、主は突然、モーセとアロンとミリヤムに、「あなたがた三人は会見の天幕の所へ出よ。」と言われたので、彼ら三人は出て行った。 12:5 主は雲の柱の中にあって降りて来られ、天幕の入口に立って、アロンとミリヤムを呼ばれた。ふたりが出て行くと、 12:6 仰せられた。「わたしのことばを聞け。もし、あなたがたのひとりが預言者であるなら、主であるわたしは、幻の中でその者にわたしを知らせ、夢の中でその者に語る。 12:7 しかしわたしのしもべモーセとはそうではない。彼はわたしの全家を通じて忠実な者である。 12:8 彼とは、わたしは口と口とで語り、明らかに語って、なぞで話すことはしない。彼はまた、主の姿を仰ぎ見ている。なぜ、あなたがたは、わたしのしもべモーセを恐れずに非難するのか。」 12:9 主の怒りが彼らに向かって燃え上がり、主は去って行かれた。
「主は去って行かれた」。まるで人間性すら感じさせるような神様ですね。これほどまでに信頼される人間がいるのですね。
12:10 雲が天幕の上から離れ去ると、見よ、ミリヤムは、らい病にかかり、雪のように白くなった。アロンがミリヤムのほうを振り向くと、見よ、彼女はらい病にかかっていた。 12:11 アロンはモーセに言った。「わが主よ。私たちが愚かで犯しました罪の罰をどうか、私たちに負わせないでください。 12:12 どうか、彼女を、その肉が半ば腐って母の胎から出て来る死人のようにしないでください。」
12:13 それで、モーセは主に叫んで言った。「神よ。どうか、彼女をいやしてください。」
12:14 しかし主はモーセに言われた。「彼女の父が、彼女の顔につばきしてさえ、彼女は七日間、恥をかかせられたことになるではないか。彼女を七日間、宿営の外に締め出しておかなければならない。その後に彼女を連れ戻すことができる。」 12:15 それでミリヤムは七日間、宿営の外に締め出された。民はミリヤムが連れ戻されるまで、旅立たなかった。 12:16 その後、民はハツェロテから旅立ち、パランの荒野に宿営した。
ミリヤムはらい病になりました。モーセの祈りに神は答えられますが、七日間待つように命じます。「彼女の父が、彼女の顔につばきしてさえ、彼女は七日間、恥をかかせられたことになるではないか」。何だかミリヤムの勝気な性格が見えます。神様の皮肉も感じます。そして神と接触することの厳粛さを感じます。彼女が癒されるまで300万のイスラエルは動くことが出来ませんでした。ちなみにミリヤムのギリシャ語形がマリヤです。意味は「ふくよかな、美しい」。やせぎすの女性が美しいと言うのは最近だけですよ。
13:1 主はモーセに告げて仰せられた。 13:2 「人々を遣わして、わたしがイスラエル人に与えようとしているカナンの地を探らせよ。父祖の部族ごとにひとりずつ、みな、その族長を遣わさなければならない。」 13:3 モーセは主の命によって、パランの荒野から彼らを遣わした。彼らはみな、イスラエル人のかしらであった。 13:4 彼らの名は次のとおりであった。ルベン部族からはザクルの子シャムア。 13:5 シメオン部族からはホリの子シャファテ。 13:6 ユダ部族からはエフネの子カレブ。 13:7 イッサカル部族からはヨセフの子イグアル。 13:8 エフライム部族からはヌンの子ホセア。 13:9 ベニヤミン部族からはラフの子パルティ。 13:10 ゼブルン部族からはソディの子ガディエル。 13:11 ヨセフ部族、すなわちマナセ部族からはスシの子ガディ。 13:12 ダン部族からはゲマリの子アミエル。 13:13 アシェル部族からはミカエルの子セトル。 13:14 ナフタリ部族からはボフシの子ナフビ。 13:15 ガド部族からはマキの子ゲウエル。
ここでモーセはカナンの地を探らせるためにスパイを派遣します。この名簿はそれぞれの部族の長であったという説明を読んだことがありますが、それはあまり重要ではありません。問題は彼らの信仰と物事に対する態度です。10人は悲観的であり、2人だけが信仰的で前進的でした。彼らの内で、その後の歴史に覚えられたのは四シュアとなったホセアとカレブだけでした。彼らだけが神への信仰と勇気を持っていました。
13:16 以上は、モーセがその地を探らせるために遣わした者の名であった。そのときモーセはヌンの子ホセアをヨシュアと名づけた。 13:17 モーセは彼らを、カナンの地を探りにやったときに、言った。「あちらに上って行ってネゲブにはいり、山地に行って、 13:18 その地がどんなであるか、そこに住んでいる民が強いか弱いか、あるいは少ないか多いかを調べなさい。 13:19 また彼らが住んでいる土地はどうか、それが良いか悪いか。彼らが住んでいる町々はどうか、それらは宿営かそれとも城壁の町か。 13:20 土地はどうか、それは肥えているか、やせているか。そこには木があるか、ないかを調べなさい。あなたがたは勇気を出し、その地のくだものを取って来なさい。」その季節は初ぶどうの熟すころであった。 13:21 そこで、彼らは上って行き、ツィンの荒野からレボ・ハマテのレホブまで、その地を探った。 13:22 彼らは上って行ってネゲブにはいり、ヘブロンまで行った。そこにはアナクの子孫であるアヒマンと、シェシャイと、タルマイが住んでいた。ヘブロンはエジプトのツォアンより七年前に建てられた。
ホセアとは正確にはホシェアで、意味は「主(ヤハウエ)は助け」です。それに対してモーセはヨシュアと改名させました。意味は「主(ヤハウエ)は救う」です。この名前は後に主イエスの名となったことから非常に大切な名前だったことになります。彼らは非常な危険を犯して偵察に行ったのです。
13:23 彼らはエシュコルの谷まで来て、そこでぶどうが一ふさついた枝を切り取り、それをふたりが棒でかついだ。また、いくらかのざくろやいちじくも切り取った。 13:24 イスラエル人がそこで切り取ったぶどうのふさのことから、その場所はエシュコルの谷と呼ばれた。 13:25 四十日がたって、彼らはその地の偵察から帰って来た。 13:26 そして、ただちにパランの荒野のカデシュにいるモーセとアロンおよびイスラエルの全会衆のところに行き、ふたりと全会衆に報告をして、彼らにその地のくだものを見せた。 13:27 彼らはモーセに告げて言った。「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこにはまことに乳と蜜が流れています。そしてこれがそこのくだものです。 13:28 しかし、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、そのうえ、私たちはそこでアナクの子孫を見ました。 13:29 ネゲブの地方にはアマレク人が住み、山地にはヘテ人、エブス人、エモリ人が住んでおり、海岸とヨルダンの川岸にはカナン人が住んでいます。」 13:30 そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」 13:31 しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。」 13:32 彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。 13:33 そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」
エシュコルとは「ぶどうの房」と言う意味です。何と単純な命名であることか。一房のぶどうを二人でかついだとは大げさなと思われるかもしれませんが、本当にそういう大きなぶどうがあるそうです。パレスタインと言いう種類かもしれません。一粒ずつが大きいわけではなく、数が多いのです。それほどこの地は豊穣な地だったのでしょう。この二人がぶどうをかついでいるデザインはイスラエルの観光協会のシンボルになっています。
こうして彼らは偵察を終えて帰ってきますが、12人の内10人は悲観的で不信仰でした。アナク人はネピリムの系統だったようです。彼らは見たままを報告しましたが、肉の目で見ることと信仰の目で見ることはこんなにも大きな違いがあるのですね。イエス様も信仰による物事の判断を尊重されました。またヘブル書にはこうあります。
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。ヘブル11:1
この不信仰な報告はイスラエルの民に動揺を与えました。