ホームページ・メッセージ100506        小 石  泉

民数記  No. W 不満と裁きと奇跡

 前回、言い漏らしたのですが、10章の最後のモーセの祈りは素晴らしいですね。荘厳で、個人の欲望など微塵もない、偉大な民族の指導者の風格です。我々の祈りと何と違うことか。
契約の箱が出発するときには、モーセはこう言っていた。「主よ。立ち上がってください。あなたの敵は散らされ、あなたを憎む者は、御前から逃げ去りますように。」またそれがとどまるときに、彼は言っていた。「主よ。お帰りください。イスラエルの幾千万の民のもとに」。
ここで新改訳は「幾千万」という言葉を用いていますが、最大に考えても300万人ほどの民族に対して、おかしいと思います。
口語訳は「主よ、帰ってきてください、イスラエルのちよろず(千、万)の人に」。
新共同訳は「主よ、帰って来てくださいイスラエルの幾千幾万の民のもとに。」
KJIVは「Return, o Lord,to the many thousands of Israel」
TEVは「Return, Lord, to the thousands of families of Israel.」
となっていて、納得がいきます。小さなことですが気になります。

さて、ここで問題が起こりました。人々がマナに飽きてしまったのです。
11:1 さて、民はひどく不平を鳴らして主につぶやいた。主はこれを聞いて怒りを燃やし、主の火が彼らに向かって燃え上がり、宿営の端をなめ尽くした。 11:2 すると民はモーセに向かってわめいた。それで、モーセが主に祈ると、その火は消えた。 11:3 主の火が、彼らに向かって燃え上がったので、その場所の名をタブエラと呼んだ。
イスラエル民族はしばしば不信仰とわがままによって神様に不平を言いました。しかし、もし自分がその中にいたら不平を言わなかっただろうかと思うと自信がありません。事ほど左様に人間とは弱いものです。彼らはエジプトで食べた豊富な食材を並べ立てます。奴隷としての苦しい圧迫は忘れて良かったことだけが思い出されるのでしょう。タブエラとは「(神の怒りの炎を)燃え上がらせた」と言う意味です。
11:4 また彼らのうちに混じってきていた者が、激しい欲望にかられ、そのうえ、イスラエル人もまた大声で泣いて、言った。「ああ、肉が食べたい。 11:5 エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。 11:6 だが今や、私たちののどは干からびてしまった。何もなくて、このマナを見るだけだ。」
混じってきていた人々とはイスラエル人の中に混じっていた異邦人のことのようです。彼らはしばしばつまづきとなりました。この中で魚が挙げられているのは興味深いですね。塩野七生さんによれば、ローマ人も肉より魚を良く食べたそうです。魚は海や川の近くに住む人にとって贅沢な食材だったのでしょう。彼らは牛や羊を一緒に連れていたはずですが、食べてしまうのが不安だったのかもしれません。
11:7 マナは、コエンドロの種のようで、その色はブドラハのようであった。 11:8 人々は歩き回って、それを集め、ひき臼でひくか、臼でついて、これをなべで煮て、パン菓子を作っていた。その味は、おいしいクリームの味のようであった。 11:9 夜、宿営に露が降りるとき、マナもそれといっしょに降りた。11:10 モーセは、民がその家族ごとに、それぞれ自分の天幕の入口で泣くのを聞いた。主の怒りは激しく燃え上がり、モーセも腹立たしく思った。
ここにマナの説明があります。不思議な食物です。それでも毎日では飽きてしまったのでしょうか。「おいしいクリームの味のようであった」は他の訳ではこうなります。
口語訳では「その味は油菓子の味のようであった」
新共同訳では「こくのあるクリームのような味であった」
KJVでは「pastry prepared with oil」
TEVでは「bread baked with olive oil.」
ここでも神様はひどく短気で怒りっぽく見えるのですが、実はこれに続く大きな奇跡の表れの為にこのように書かれているのでしょう。あるいはこの文面だけでは判らない邪悪な動機があったのかもしれません。人間は無いものねだりになるものです。
11:11 モーセは主に申し上げた。「なぜ、あなたはしもべを苦しめられるのでしょう。なぜ、私はあなたのご厚意をいただけないのでしょう。なぜ、このすべての民の重荷を私に負わされるのでしょう。 11:12 私がこのすべての民をはらんだのでしょうか。それとも、私が彼らを生んだのでしょうか。それなのになぜ、あなたは私に、『うばが乳飲み子を抱きかかえるように、彼らをあなたの胸に抱き、わたしが彼らの先祖たちに誓った地に連れて行け。』と言われるのでしょう。 11:13 どこから私は肉を得て、この民全体に与えなければならないのでしょうか。彼らは私に泣き叫び、『私たちに肉を与えて食べさせてくれ。』と言うのです。 11:14 私だけでは、この民全体を負うことはできません。私には重すぎます。 11:15 私にこんなしうちをなさるのなら、お願いです、どうか私を殺してください。これ以上、私を苦しみに会わせないでください。」
モーセの嘆きが分かりますね。私も牧師の端くれですが、この何万分の一でも、同じような祈りをしたことがありますから。
11:16 主はモーセに仰せられた。「イスラエルの長老たちのうちから、あなたがよく知っている民の長老で、そのつかさである者七十人をわたしのために集め、彼らを会見の天幕に連れて来て、そこであなたのそばに立たせよ。 11:17 わたしは降りて行って、その所であなたと語り、あなたの上にある霊のいくらかを取って彼らの上に置こう。それで彼らも民の重荷をあなたとともに負い、あなたはただひとりで負うことがないようになろう。
この箇所は旧約聖書では珍しい、聖霊の降臨の記録です。24節にこの続きが書かれています。その前に神様は肉を与えると言う約束をします。どんな方法で? 
11:18 あなたは民に言わなければならない。あすのために身をきよめなさい。あなたがたは肉が食べられるのだ。あなたがたが泣いて、『ああ肉が食べたい。エジプトでは良かった。』と、主につぶやいて言ったからだ。主が肉を下さる。あなたがたは肉が食べられるのだ。 11:19 あなたがたが食べるのは、一日や二日や五日や十日や二十日だけではなく、 11:20 一か月もであって、ついにはあなたがたの鼻から出て来て、吐きけを催すほどになる。それは、あなたがたのうちにおられる主をないがしろにして、御前に泣き、『なぜ、こうして私たちはエジプトから出て来たのだろう。』と言ったからだ。」 11:21 しかしモーセは申し上げた。「私といっしょにいる民は徒歩の男子だけで六十万です。しかもあなたは、彼らに肉を与え、一月の間食べさせる、と言われます。 11:22 彼らのために羊の群れ、牛の群れをほふっても、彼らに十分でしょうか。彼らのために海の魚を全部集めても、彼らに十分でしょうか。」 11:23 主はモーセに答えられた。「主の手は短いのだろうか。わたしのことばが実現するかどうかは、今わかる。」
300万人の人々に肉を飽きるほど食べさせる? どうやって? 何だか神様がモーセと謎かけをしているようです。
11:24 ここでモーセは出て行って、主のことばを民に告げた。そして彼は民の長老たちのうちから七十人を集め、彼らを天幕の回りに立たせた。 11:25 すると主は雲の中にあって降りて来られ、モーセと語り、彼の上にある霊を取って、その七十人の長老にも与えた。その霊が彼らの上にとどまったとき、彼らは恍惚状態で預言した。しかし、それを重ねることはなかった。
11:26 そのとき、ふたりの者が宿営に残っていた。ひとりの名はエルダデ、もうひとりの名はメダデであった。彼らの上にも霊がとどまった。――彼らは長老として登録された者たちであったが、天幕へは出て行かなかった。――彼らは宿営の中で恍惚状態で預言した。 11:27 それで、ひとりの若者が走って来て、モーセに知らせて言った。「エルダデとメダデが宿営の中で恍惚状態で預言しています。」 11:28 若いときからモーセの従者であったヌンの子ヨシュアも答えて言った。「わが主、モーセよ。彼らをやめさせてください。」 11:29 しかしモーセは彼に言った。「あなたは私のためを思ってねたみを起こしているのか。主の民がみな、預言者となればよいのに。主が彼らの上にご自分の霊を与えられるとよいのに。」
ここに70人の長老に聖霊が下ります。旧約聖書のペンテコストです。しかし、70人だけでした。新約聖書では求めるものには誰でも与えられると約束されています。
あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。 してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。ルカ11:11〜13
彼らの状態を見た、一人の若者とヨシュアはその聖霊体験を止めさせようとします。これは良くあることで、優れた霊的体験に危機感やねたみを感じると言うことが起こるものです。これに対するモーセの答えは立派ですね。「あなたは私のためを思ってねたみを起こしているのか。主の民がみな、預言者となればよいのに。主が彼らの上にご自分の霊を与えられるとよいのに。」これは何かの地位にある人に起こりがちなお山の大将的な狭い心とは正反対の大きな心ですね。
11:30 それからモーセとイスラエルの長老たちは、宿営に戻った。 11:31 さて、主のほうから風が吹き、海の向こうからうずらを運んで来て、宿営の上に落とした。それは宿営の回りに、こちら側に約一日の道のり、あちら側にも約一日の道のり、地上に約二キュビトの高さになった。
11:32 民はその日は、終日終夜、その翌日も一日中出て行って、うずらを集め、――最も少なく集めた者でも、十ホメルほど集めた。――彼らはそれらを、宿営の回りに広く広げた。 11:33 肉が彼らの歯の間にあってまだかみ終わらないうちに、主の怒りが民に向かって燃え上がり、主は非常に激しい疫病で民を打った。 11:34 こうして、欲望にかられた民を、彼らがそこに埋めたので、その場所の名をキブロテ・ハタアワと呼んだ。 11:35 キブロテ・ハタアワから、民はハツェロテに進み、ハツェロテにとどまった。
その肉とはうずらでした。うずらはこの地方では大群をなして春と秋に移動します。うずらは強い羽がなく太っているので高く飛べません。地上1メートルぐらいを何万羽と群れを成して飛びます。骨ごと食べられるとてもおいしい鳥です。彼らは少ない者でも10ホメル、約220リットルも集めたと言います。
 この後、不平不満によって神様に悪態をついた者たちが疫病で死にました。余程ひどい態度だったのでしょう。