ホームページ・メッセージ100425 小 石 泉
黙示録の連想
第五の御使が、ラッパを吹き鳴らした。するとわたしは、一つの星が天から地に落ちて来るのを見た。この星に、底知れぬ所の穴を開くかぎが与えられた。そして、この底知れぬ所の穴が開かれた。すると、その穴から煙が大きな炉の煙のように立ちのぼり、その穴の煙で、太陽も空気も暗くなった。黙示録9:1〜:2
第五の者が、その鉢を獣の座に傾けた。すると、獣の国は暗くなり、人々は苦痛のあまり舌をかみ、その苦痛とでき物とのゆえに、天の神をのろった。そして、自分の行いを悔い改めなかった。16:10 〜11
これは聖書の黙示録の一節です。この記事が今回のアイスランドの噴火を指すと言うわけではなく、もっと大規模で全く違ったものと思うのですが、あの噴火の映像を見ていると、何だかこの記事を思い出してしまいました。
ここに獣の国とありますが、EUこそ獣の国となるのではないかと思っています。昨年、ルーマニアに行ったY師によれば、ルーマニアの牧師たちが異口同音にEUが反キリストの国だと言っていたそうです。長年、ノルウエーにいたM師も「違和感無くそう思う、日本人は知らな過ぎます。」と言っています。
黙示録は出エジプト記と連携しています。出エジプトのとき、エジプトに10の災害が起こりました。それとよく似た、しかし、はるかに大規模な災害が終わりの時に予言されています。
出エジプトの災害
1.ナイル川が血になった。2.かえるが出て来た。3.ぶよ。4.あぶ。5.動物の疫病。6.はれもの。7.雹。 8.いなご。9.暗闇。10.長男の死。
黙示録の災害
1.白い馬の騎士。2.戦争。3.飢饉。4.青い馬の騎士。5.クリスチャンの殉教。
6.太陽と月の異変。7.7つのラッパの天使。
この7つのラッパは次のような災害をもたらします。
1.血の混じった雹と火によって地上の3分の1が焼ける。
2.火の燃える山のようなものが海に投げ込まれ海の3分の1が荒廃する。
3.星が落ち、川の水の3分の1が汚染され、人が死ぬ。(苦よもぎ=放射能?)
4.太陽と月と星の3分の1が暗くなる。
5.星が落ち、不思議ないなごが出てくる。
6.2億の軍隊が東から来る。人類の3分の1が死ぬ。
7.天の声によって、稲妻、声、雷鳴、地震、雹が降る。その後、サタンと天使の戦いがあり、サタンは地に落とされる。
黙示録は時間を系統だって表してはいないので、非常に難しいところなのですが、何が起こるかはかなり明白に判ります。これらの災害の一部は、核戦争によるものとも考えられます。もちろん神ご自身のもたらされる災害が中心ですが。
ところで、黙示録には想像を絶する災害が起こります。それにもかかわらず、人間は神様の前に悔い改めることがありません。
これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。9:20 〜:21
これらの災害の中で生き延びた世界の人々は、悔い改めないで、悪霊や偶像を礼拝し、殺人や魔術や不品行や盗みなどの罪を犯し続けるというのです。規模は小さいにしても、今、起こっていることはこれが本当であることを証明しています。まるで毎日の新聞を読んでいるようにさえ感じます。
しかし、こんな中でも、キリストの福音は語られ続けます。
また私は、もうひとりの御使いが中天を飛ぶのを見た。彼は、地上に住む人々、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音を携えていた。 彼は大声で言った。「神を恐れ、神をあがめよ。神のさばきの時が来たからである。天と地と海と水の源を創造した方を拝め。」14:6〜7
「中天を飛ぶ御使い」とは、まるでテレビやラジオの電波で語られる福音のようではありませんか。ここで私が注目するのは、この御使いが、可能性思考や癒しや慰めを語っていないことです。神の存在と、その方を拝むべきこと。神は裁く方であると言うことです。今、どうしてキリスト教会は天地を創造された方を拝むべきことを第一に語らないのでしょうか。私にとって福音とは、まず神の存在であり、その方が人間に関わると言うことです。奇跡やしるしなど、その第一のテーマではありません。今、行われるキリスト教会のイベントがほとんど癒し、奇跡であることは実に奇妙に感じます。病が癒されようと、死人がよみがえろうと、まず、神への礼拝、畏れ、信頼、交わりがないがしろにされるなら、全く無意味です。人間の好奇心や欲を満たすことが福音ではありません。
また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。20:11〜15
お気に召そうと召すまいと、間もなくこの時がやってきます。すべての人は、神の前に出なければなりません。圧倒的な神の御臨在の前に出るのです。そして「いのちの書」が開かれます。歴史上のすべての人類の中から、選ばれたものだけがここに書かれています。それ以外は滅ぼされます。この書は別名を「小羊のいのちの書」と言います。
しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都にはいれない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる。21:27
小羊とはキリスト・イエスのことです。神の御子が十字架の上で流された血潮によって書かれたこの書に名が記されていないものは滅びるのです。奇妙に感じるかもしれませんが、この書に名をしるされることはとても簡単なことです。ただ「イエスをキリストと信じます」と告白するだけです。そんな簡単なことが永遠の運命を定めるとは、信じられない話です。しかし、信仰とは簡単なことなのです。「信仰の父」と言われたアブラハムは、子供を与えると言うことを信じただけです。
今なら間に合います。早く、イエスをあなたのキリスト、あなたの罪を取り除く神の小羊と信じてください。十字架は永遠の救いを与えるために立っているのです。