それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」マルコ16:15〜16
3月30日から4月8日まで、中国の家の教会に行ってきました。
往路のフライトが韓国を越えたころ、機内に心臓病患者が発生、急遽、北京ではなく韓国のインチョン空港に着陸するというハプニングで3時間半も遅れ、新川先生を北京の空港で4時間近くも待たせることになりました。その間、空港では一切の説明なし。フライトがキャンセルされたという説明まである始末。中国だー。しかし、それでも深夜まで待っていて下さったので、危うく拾っていただきました。
中国の都市部は良く知られているとおり大発展の最中です。車も人も押し合いへし合い。「信号なんて関係ない」人々が、赤信号でも平然と渡って来ます。中国だー。しかし、何だか明るい。10数年前行った時は自転車の洪水だったのが、今は車の洪水。それもありとあらゆる国籍の機種。ほとんどがライセンス生産のコピーだそうです。
翌々日、北京から某市へ飛びました。北京空港は真新しい壮大な空港です。成田空港の5倍ぐらいはあるでしょうか。うらやましいと思っていましたが、大きいばかりが良いわけではないと痛感させられました。着陸のときもそうでしたが、離陸のときも乗ってから飛び立つまでに30分以上。結局、大きくても運用が上手く行かないと何にもならない。“大男総身に知恵が回りかね”ですね。成田の方が余程スムーズです。
某市の空港から目的地までは立派な高速道路があります。新幹線も建設中。しかし、一旦、田舎に入るとそこは一気に50年ぐらい時間が戻ります。北海道の何倍もあるという大平野は一面の小麦の緑が敷き詰められています。何時間走っても同じ景色。村に入ると舗装もない土の道に灰色のレンガ造りの農家が塀を連ねて並んでいます。薪用の柴、枯葉が道路を占領している。水道も下水もない。トイレは土に細長い穴を開けただけ。お釣りが来るどころか、もう少しで利子がつきそう。新川先生は不思議と使わなくても良くなるそうで・・・さすが宣教師? 零下20度にもなるというのに暖房なし。
最初の家は、新川先生の母教会の援助で内装が完成したという、立派な家でした。大きな部屋が7つぐらいあって、水洗便所もある! ただし、水は出ない。代わりに洗面器が置いてありました。
我々はそれぞれ10畳ほどもある部屋を与えられて、大きなダブルベッドもある。「疲れたー」と倒れこんだら、ガツン。マットはない。板の上に薄い布団があるだけ。それでも、ここら辺では最高の設備なのです。ここには神学校と教会があるのですが、最近、警察の監視が厳しく神学校は別の場所の工場の二階に移っていました。
翌日から過酷なスケジュールとなりました。午前中4時間、午後3時間、夜2時間。ぶっ通しのメッセージ。2時間でも3時間でも続けてください、と言われましたが、やはり1時間もすると遠慮なく、あくびはするわ、居眠りするわ。人間の集中力は45分が限界と言うのは中国人でも同じでしょう。私は1時間に15分ぐらい休憩を入れました。それより何を話したら良いのか。一応、準備していた、復活祭、創世記と終末論、他に福音のメッセージ。これが一箇所で2日続きます。さらに神学校と別の場所での2日間。最初の場所では家の教会のリーダーたち。婦人が多かった。神学校は15〜6歳の人もいる若いグループ。二番目の場所は婦人たちを中心に信徒の人々。農繁期で出席できない人が多かったという。慎ましくやさしい人々。
現地のリーダーたちを教育する必要を感じたので、判っても判らなくても、用意したものを話し続けました。
2000円で一人の伝道者をサポートできると言うことです。この地域は、冬には零下20度にもなることがあると言うことですが、暖房はありません。どうやって過ごしているのか不思議でした。もちろん風呂もシャワーもない家がほとんどです。そして、ある伝道者はかつてここにはハドソン・テーラーが来たことがあると言っていました。ハドソン・テーラーは自ら中国人と同じ弁髪(当時流行していた、頭の頂点の毛だけを長くして束ねた髪型)をし、服装をし、食事をして伝道したイギリス人の伝道者で、彼の影響は今でも中国の内陸部に残っている偉大な神の器です。私はハドソン・テーラーがこんな食事をし、こんなトイレで用を足し、こんなベッドで休み、何日もシャワーも浴びずに過ごしたのだろうかと、つくづく感じ入りました。