ホームページ・メッセージ100214        小 石  泉

レビ記  No.Y 選民の道徳律とヨベルの年

20章 選民としての道徳律

 ここの目的は次の言葉に集約されます。
20:23 あなたがたは、わたしがあなたがたの前から追い出そうとしている国民の風習に従って歩んではならない。彼らはこれらすべてのことを行なったので、わたしは彼らをはなはだしくきらった。
2節のモレク子供を捧げるという行為は、自分の赤ちゃんや幼児を火で焼いたり、真っ赤に熱した鉄製の牛の空洞の中に子供を投げ入れることです。その子供の断末魔の悲鳴を喜んだのです。その他、性的な罪、占いや呪術についての禁止があります。しかし、これらの禁止をイスラエル・ユダヤはことごとく破りました。というより人間には守れなかったのです。これは異邦人も同じです。だからこそキリストの十字架が必要だったのです。

21章 祭司の道徳律

祭司は特別に清く自分を律さなければなりませんでした。

22章 祭司の道徳律Uと誓願の捧げものの規定

 特に祭司が食べる清い食物についての規定があります。祭司の家族以外は食べてはならないのです。

23章 例祭の規定

 例祭とは毎年定期的に行う祭りについてです。これでみるとイスラエル人は一年中祭りをしていたのだと思いますね。
  1. 安息日 毎週土曜日(キリスト教会が日曜日に集まるのは主の復活を祝うからです。安息日ではありません。)
  2. 過ぎ越しの祭り 第1の月の14日(キリストの十字架の代価による罪の許しを表す。)
  3. 種入れぬパンの祭り 第1の月の15日 (7日間イースト菌を入れないパンを食べる。)
  4. 初穂の祭り 安息日の翌日、日曜日。収穫の最初の束を祭司のところに持って行き祭司はそれを揺り動かす。(人間の初穂としてのキリストの復活。日曜日だった。)
  5. 五旬節 ペンテコスト 初穂の祭りから7週目の翌日、50日目を特別な日とし祝う。全焼のいけにえ、和解のいけにえを捧げる。(使徒行伝で聖霊が注がれた。)
  6. ラッパの祭り 第7の月の1日目 (安息日でなくても休んで集会を開いた。)
  7. 贖罪の日 第7の月の7日目
  8. 完全な安息日 第7の月10日目
  9. 仮庵の祭り 第7の月の15日目から一週間 木の枝で小屋を作りそこに寝た。これは出エジプトを記念して行われた。(日本の天皇家に同じ祭りがある。)

24章 幕屋でのともし火とパンの規定

 会見の天幕の聖所で七枝の燭台にともし火を灯しました。至聖所にはともし火はありませんでしたが、契約の箱に現れる神の臨在の火、シカイナの火によって明るかったのです。これは今、ゴルゴタの丘の下の洞窟の中にある契約の箱にもあるそうです。
 パンを12個二つの山にして並べました。これはかなり大きなものだったはずです。日本の重ね餅のような感じです。ちなみにこの種入れぬパンをモッツアと言います。モチ?
これは安息日ごとに備えられました。これを一週間後に祭司が食べました。おいしかったのかな?

神の御名を呪った者への処罰

 ある青年が神の御名を呪ったために石打の刑で殺されました。御名を冒涜する者は殺されます。今のアメリカなら数千万人が殺されるでしょうね。

25章 ヨベルの年

イスラエル人は7日目に安息日を守ります。そして、7年目に安息年を守ります。この年は種を蒔くことも耕すことも許されません。6年目には3倍の収穫があり、7年目と8年目と9年目は6年目の収穫を食べました。
そして、7年を7倍した49年を大安息年とし、その年の翌年50年目をヨベルの年として祝いました。英語では Jubilee と言います。この年に、売られていた土地や家屋は元の持ち主に無償で返されます。借金は棒引きになり、奴隷は解放されました。土地や家屋の値段はヨベルの年に近づくほど安くなったわけです。特に奴隷でも同胞は丁重に扱われました。それは次のような理由からです。
25:55 わたしにとって、イスラエル人はしもべだからである。彼らは、わたしがエジプトの地から連れ出したわたしのしもべである。わたしはあなたがたの神、主である。
 このヨベルの年は、キリストの十字架と復活による罪と死からの勝利を意味していることは明らかですが、さらにキリストの再臨を意味しているように思えます。すべての負債は帳消しになり、完全な自由が与えられるのです。このことから欧米では7×7は祝福の数字として尊ばれます。アメリカン・フットボールにフォーテイ・ナイナーズForty-ninersなんていうチームがあるのもそのためでしょう。

■ヨベルの年(新聖書辞典より)

 7年ごとに土地を休ませる安息年が7たび巡った翌年の第50年目の年である(レビ25:8以下).ヨベルは「雄羊の角」(ヨシ6:4)という意味で,この年の第7月の10日に角笛を鳴り響かせる(レビ25:9)ところからこの名がつけられたと思われる.
この年には3つの特筆すべきことがある.第1は畑の休耕.これは安息年と同じ規定が適用された.前年に引き続く2年の休耕に対する反対や不安を想定して,第6年目に3年分の収穫を生じさせると神は約束された(レビ25:21‐22).
第2は,売却されていた土地もこの年に自動的に売主のものに復帰すること.土地は神に属するものであり,人は所有者ではなく預託されているにすぎず,土地を売買する際は買い戻しの権利が認められ,いつでもそれを行使できたのである.余裕がなく買い戻せない時も,この年には無償で売主のもとに返された(レビ25:10‐33).したがって土地の売買は,次にヨベルの年が来るまでの年数に基づいて,その地上耕作権と収穫高が値踏みされた(レビ25:15‐16).城壁のある町の住民の買い戻し権は1年に限られ,ヨベルの年に返されることはなかった(レビ25:29‐30).しかし城壁のない村落の家とレビ人の町の家には,ヨベルの年の規定が適用された(レビ25:31‐33).
第3は,全住民の解放の宣言である(レビ25:10).土地と同じく人も神の所有であり,同胞を奴隷として仕えさせることが禁じられた.貧困のためやむなく身売りした場合は雇い人としての身分が与えられ,彼らもこのヨベルの年には解放された(レビ25:39‐43,54).
この年の基本理念は原状回復であった.富の偏在の悪を是正する効果もあったと考えられる.またこの年によって,土地も人も神の所有であることの確認が繰り返された.これらはイザ61:1‐3等で言及され,イエスはこのイザヤ書の箇所を指して「きょう……実現しました」(ルカ4:21)と言っている.ヨベルの年は,旧約の諸規定と同じく,罪にとらわれている罪人のイエスによる解放と回復という福音をあらかじめ描いたものである.
なおこの規定が実際に実行されたという記事は旧約聖書の中に見出すことができない.