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レビ記  No. W 食物、出産、らい病の戒め

 11章 は食べてよいものと悪いものの戒めです。

これらの戒めはまだ衛生観念のない時代に健康管理を警告する貴重な文章と言えるでしょう。中には食べたくないものもありますがわれわれ日本人からすると、ちょっと困るなと言うものもあります。

1.食べて良い動物と悪い動物

ひづめが割れているものと反芻するもの。これは牛がまず第一にあげられます。今の若い人にはひづめとか反芻と言う言葉は分からないかもしれません。ひづめは動物の足の先についている爪のようなものです。馬はひづめが分かれていませんから食べてはいけなかったのです。反芻とは牛などが一度胃に入れたものをもう一度口に戻して噛みなおし第二の胃に入れる行為です。農村に住んでいればいつでも見ることが出来ますね。岩だぬき、野うさぎ、豚などが禁じられていました。これらの動物の肉は腐敗しやすく細菌、ウイルスのような衛生面でも納得できます。

2.魚

  ひれとうろこを持ったものは食べて良い魚でした。うなぎ、たこ、いか、エビは悪かったのです。私には耐えられない・・・。

3.鳥

  わしやダチョウなど一般にあまり食欲がわかないものが禁じられています。やはり健康面から考えても納得できるものばかりです。もっとも、最近、日本ではダチョウを食べるようですが。

4.昆虫

  ばった、こおろぎ以外はほとんど禁じられていました。

5.爬虫類

  とかげ、もぐら、カメレオンなども禁じられていました。
これらの死体を処置した場合は汚れ(不衛生)ました。それは器、土、水にまで及びました。結局それは次の言葉によって目的が定められます。
11:43 あなたがたは群生するどんなものによっても、自分自身を忌むべきものとしてはならない。またそれによって、身を汚し、それによって汚れたものとなってはならない。 11:44 わたしはあなたがたの神、主であるからだ。あなたがたは自分の身を聖別し、聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。地をはういかなる群生するものによっても、自分自身を汚してはならない。 11:45 わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した主であるから。あなたがたは聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。」

12章 は出産についての戒めです。

 女性が出産した場合男の子の場合は7日間プラス33日間汚れるとあります。女の子の場合は14日間プラス66日間汚れるからこもらなければなりませんでした。出産という喜びが汚れという言葉で戒められていることに違和感を感じるかもしれませんが、これは母体の保護を目的としているのだと私は思います。パールバックの「大地」を読むと、中国の主婦が家で子供を産み、そのまま畑に行って耕す光景が書かれています。出産は女性の体にとって非常に危険なものですから、このような表現で保護することを決められたのでしょう。主婦は多くの労働と心労を伴う仕事をすぐにでもやらされるからです。 男の子と女の子の違いは良く分かりませんが、母との密接な時間を持つことは良いことです。東南アジアのある地域では、出産した母子は小さな小屋にこもって外出を禁じられ、食事は外から補給されることがあるそうですが、これも生まれたばかりの子供にとって、母との密接なつながりとして大きな意味があるそうです。その後、全焼のいけにえと罪の贖いのいけにえを捧げて感謝を表しました。収入に応じて小羊、鳩を捧げました。汚れからの清めとか罪の贖いとか、我々の感覚とは違っていますがこれも喜びの表現なのでしょう。

13章 はらい病についての戒めです。

 このらい病が現在ハンセン氏病として知られる病気と同一の物なのかどうか分かりません。ここにはその診断と処置が書かれていますが、今から3500年前の衛生学と考えるとすごいことですね。今でも未開の民族の間では呪術やシャーマンの祈りによって病を癒すことが行われています。
 ここで特に興味深いのは全身がらい病になると清いとされることです。
13:12 もし吹き出物がひどく皮膚に出て来て、その吹き出物が、その患者の皮膚全体、すなわち祭司の目に留まるかぎり、頭から足までをおおっているときは、 13:13 祭司が調べる。もし吹き出物が彼のからだ全体をおおっているなら、祭司はその患者をきよいと宣言する。すべてが白く変わったので、彼はきよい。 13:14 しかし生肉が彼に現われるときは、彼は汚れる。 13:15 祭司はその生肉を調べて、彼を汚れていると宣言する。その生肉は汚れている。それはらい病である。 13:16 しかし、もしその生肉が再び白く変われば、彼は祭司のところに行く。 13:17 祭司は彼を調べる。もしその患部が白く変わっているなら、祭司はその患者をきよいと宣言する。彼はきよい。
 全身がらい病になって、一ヶ所も健康な肉がなくなるとその人は清いとされたのです!
ここには驚くべき霊的な教えがあります。私たちも自分は全くの罪人で、一ヶ所も清いところ、神の前に正しいとするところがないと自覚するときだけ清いとされるのです。少しでも頼りとするところ、自己を義とするところがあると思っているなら、それは汚れているのです。自分には一ヶ所も義なるところはないと信じる人こそ、本当のクリスチャンのです。この真理がどれだけのクリスチャンに分かっていることでしょうか。私はこれが分かっていない自称クリスチャンに沢山会ってきました。自分は全くの罪人で、ただキリストの贖いによってだけ神の前に義とされると信じることがキリスト教なのです。

14章 はらい病人が清められたときの捧げものについての教えです。

 らい病が清められたことの保障を祭司がしました。これはその後の長い間の偏見や差別を防ぐ意味で大きな意味があったと思います。こんな昔に、そのような安全保障をされていた民族とは何と幸いなことでしょうか。このらい病は衣服、器、住居にまであるとされています。

15章 は痔ろうや婦人病の教えです。

 これは特に性病に対する衛生と考えられます。ウイルスや細菌の知識のない時代の衛生学と考えましょう。これらの教えには、清潔、消毒、隔離といった衛生の観念があったのです。これは驚くべきことです。