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レビ記  No. T  いけにえ

 今週からレビ記を学びますが、レビ記は聖書の中で最も難解な箇所で、解説も解釈も出来る自信はありません。とにかく書いてある内容を整理するだけになるでしょう。長すぎて、御言葉を記すことが出来ませんから、聖書を側において読みながら学んでください。

1章 全焼のいけにえ(燔祭)

 これは口語訳では燔祭となっていたものです。動物の全てを焼き尽くします。その点から、これは神への献身、完全な信頼の表明なのでしょう。この捧げものは祭司だけではなく、一般人向けのもので自発的なものですが、祭司の聖別、らい病の清め、産後の婦人、ナジル人の誓いには義務付けられました。そして、雄牛、羊、鳩と、その収入に応じて捧げることが出来ました。まず自分の身代わりであることを表すために手を置き、祭壇の北側でほふり、血を祭壇の周りに注ぎ、皮をはぎ、肉を切り分け、内臓は洗って焼きました。鳥の場合は、内臓は灰捨て場に捨てました。血の注ぎは贖罪を表します。主イエスの血の象徴です。贖罪無しに神に近づくことは出来ません。いけにえは、ヘブル語ではコルバーンと言います。

2章 穀物のささげもの(素祭)

 小麦粉、油、乳香を捧げましたが、ひとつかみ(祭司が三つの指でつまんだもの)だけを燃やし、残りは祭司のものとなりました。パン、せんべいは種(ふくらし粉)や蜜(果物のジュースともいう)を入れてないもの。すべて塩で味付けたもの。
 これらが何を意味するかは判りませんが、小麦の白さは当時のものの中で最も純白だったことから、キリストの無垢な純潔を表すとも言われます。輪形のパンは今のベーグルの原型とも言われます。また初穂の穀物の捧げものは今のポプコーンのようにポップされたものです。乳香は主の誕生のときに東の博士たちが捧げたことで有名です。

3章 和解のいけにえ(酬恩祭)

 この祭りは感謝、誓願、自発の三種類があります。牛は雄雌どちらでもかまいませんでした。これが全焼のいけにえとの大きな違いです。この祭りはいわば神との平和を喜ぶ交わりにあるようです。主イエスがしばしば弟子達と食事したことを思い出します。また、ほふる場所も北側と決められていません。さらに内臓を覆う脂肪、二つの腎臓、肝臓の上の小葉などを火で焼き、その残りの肉は祭司と捧げた人が食べました。これは新約時代における聖餐式、愛餐会に似ています。
 羊の場合は特に油尾と呼ばれる尾が捧げられました。これは最もおいしいとされバターのように用いられました。
 ここで厳重に禁じられているのは血と脂肪を食べることです。これはユダヤ教とユダヤ人の今に至るまでの禁止事項です。

4章  罪のためのいけにえ

 これは比較的重大な罪を犯したときの贖罪の規定で、そうすれば「赦される」ためのものです。罪は赦されるものであり、赦されなければならないものです。そのためにキリストはこの動物たちに代わって永遠の犠牲となられたのです。

1. 大祭司の罪

 若い雄牛。手を置きほふった。別の大祭司がその血を持って聖所に入り垂れ幕の前に七回振りかけた。(これは過ぎ越しの祭りと違うことに注意してください。契約の箱の贖いのふたの上に注ぐのではありません。このことからこの場合の罪は原罪ではなく、犯罪であると思われます。)さらに香の壇の角に塗ります。残りの血は祭壇の土台に注がれます。その牛の脂肪と腎臓肝臓の上の小葉を焼きました。これは和解のいけにえと同じです。残りの肉や皮や内臓はゴミ捨て場で焼かれました。罪のための捧げものは穢れたものだからです。食べてはいけませんでした。

2. 全会衆の罪

 大祭司の場合と同じ。

3. 指導者の罪

 雄山羊。他は前の二つと同じ。

4. 一般人の罪

 雌山羊。同じ。

5章1〜6章7節まで 罪過のいけにえ

罪過の具体例と例外

1.証言拒否

2.獣の死体との接触

3.軽率な言葉

 これらの軽度な罪を罪過と呼んでいる。そのための規定は、雌山羊をいけにえとする。買えない場合は山鳩とあひる二羽。一羽は全焼のいけにえとし、一羽は罪のいけにえとする。鳩が買えない場合は小麦粉10分の1エパ(2.3リットル)。

5. 聖なるものに対する罪

これは良く分かりません。神への不実、過失についてそれが分かったとき償いをするように定められています。

6. 他人に対する罪

他人のものを預かったり、欺いたり、ゆすったり、落し物をねこばばしたりしたときに罪に定められます。祭司にところに行き雄羊を捧げて赦されます。