ホームページ・メッセージ100103 小 石 泉
2010年、本当は何年?
新年おめでとうございます。
2010年が来ました。それにしても、いつから数えて2010年でしょうか。一般にはキリストの誕生からとなっていますが、キリストの誕生はBC7~4年と言われています。これは聖書の記録から類推したものです。
そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。ルカ2:1〜:2
ローマでは14年に一度人口調査が行われました。アウグストの勅令は2度あったようです。クレニオがシリヤの総督であったのはAD7年頃だったと言うことが分かっていました。そのために主の誕生と合わないと、かなり問題でした。ところが近年になって、クレニオは2度シリヤの総督に任命されていたことが分かりました。ですから、ここで最初の住民登録とあるのは最初の就任の時と分かったのです。
ところで、西暦を英語ではADと言いますが、それはラテン語のAnno Domini 「主の統治」と言う意味です。これは昔から多くの国で王の就任から年を数えたからです。日本でも昭和とか平成とか数えます。しかし、西暦が定着したのは15世紀になってからで、ローマのユリウス暦、ローマカトリックのグレゴリオ暦などを参考にして作られたものです。その時に主の誕生の年を間違えてしまったのです。
さて、BC722年北朝イスラエルがアッシリアに、BC587年に南朝ユダがバビロンに、滅ぼされ国の主だった人々が捕囚として連れ去られました。バビロンに連れて行かれた人々の中にダニエルと言う神の預言者が居ました。彼は神様から預言を頂きました。
あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです」。ダニエル9:24 〜:27
これは「エルサレムを建て直せ」と言う命令が出てから7週と62週、つまり69週目にメシヤが現れると言う預言でした。
バビロンはメドペルシャによって滅ぼされ、ユダヤ人たちはペルシャに連れてゆかれました。そして、ペルシャの王クロスがBC536年に政治的指導者ゼルバベルに神殿の再建を許し、BC457年にアルタクセルクセス(聖書ではアルタシャスタ)が祭司エズラに「エルサレムを建て直せ」と言う命令を下しました。
69週は483日です。この一日を一年と数えると不思議なことが分かります。アルタクセルクセスが命令したBC457年から483年目はAD26年です。キリストがBC4年に生まれたとするとAD26年には30歳になっていました。キリストは30歳の時バプテスマのヨハネから洗礼を受けて、メシヤとしての働きを始められました。(これらは全てウイリアム・ハーレーのバイブルハンドブックによります。)
日本人ならすぐ分かることですが、天皇が代わると年号が変わります。昭和天皇が崩御されてから平成天皇が立たれました。平成は今の天皇の誕生から始まったのではありません。平成天皇としての即位の礼(戴冠式)から始まったのです。同じように、西暦「キリストの統治」は誕生からではなく洗礼からすなわちメシヤとしての戴冠式から数えるべきだったのです。
10年ほど前にノストラダムスと言う預言者?の本が大ブームとなりました。そこに「1999年7の月に恐怖の大王が降ってくる」とあったので、もしやこれが再臨されるキリストのことかと話題になりました。しかし、私は「その年には何も起こらない」と本に書きました。それは西暦の間違いから確信していたからです。
ところで、キリストの再臨の時は「誰も知らない」とキリストは言っています。
ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。マタイ24:36
ですから、主の再臨の時を定めるのはとんでもない間違いです。ただ、前のノストラダムスの時に、「もし、2000年目に来られるなら」という前提で「それはAD2000年ではなくAD2026年である」と言うことは出来ると私は書きました。もちろん2000年目に再臨されると言うことはどこにも書かれていませんし、主は御自分でさえ知らないと言っておられるのですから、時を定めるつもりは毛頭ありません。
ただ、はっきりしているのは西暦すなわち「主の統治」は不確定で間違った西暦元年ではなくほぼ明確なAD26年から始めるべきであるということです。今年は、本当はAD1984年であるのです。
ところで、ダニエルの預言に「70週が定められている」とありました。すると、あと1週間があるはずです。それは何時あったのでしょうか。実は、それはまだ来ていません。間もなくその一週間、最後の7年が来ます。