ホームページ・メッセージ091227        小 石  泉

起きよ、光を放て

このごろ、私は不思議でなりません。なぜ、神様はこれほど人間の罪と邪悪さ、また、サタンの働きを許容なさるのでしょうか。人間の歴史でどれほどの殺人が行われたでしょうか。物理学で天文学者のヒュー・ロス氏は、もし人類が普通に生存していたら、アダムが760歳のとき、世界の人口は580億人になっていただろうと言っています。そうならなかったのは殺し合ったからだと。そのために神は創造から2000年後にノアの洪水を送り、人類を再出発させましたが、それから4000年後の今日、再び人類の死亡原因の一位は殺人となったと言っています。これら全ての陰にサタンの働きがあると考えられます。
では、なぜ神様はサタンの働きを許されるのでしょうか。元々、サタンとなったヘレル(ルシファー)は最も美しい天使でした。エゼキエル28:12〜15 にはこうあります。
あなたは全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった。あなたは神の園、エデンにいて、あらゆる宝石があなたをおおっていた。赤めのう、トパーズ、ダイヤモンド、緑柱石、しまめのう、碧玉、サファイヤ、トルコ玉、エメラルド。あなたのタンバリンと笛とは金で作られ、これらはあなたが造られた日に整えられていた。わたしはあなたを油そそがれた守護者ケルブとともに、神の聖なる山に置いた。あなたは火の石の間を歩いていた。あなたの行ないは、あなたが造られた日からあなたに不正が見いだされるまでは、完全だった。
しかし、彼の中に悪が生まれました。28:16〜18 にはこうあります。
あなたの商いが繁盛すると、あなたのうちに暴虐が満ち、あなたは罪を犯した。そこで、わたしはあなたを汚れたものとして神の山から追い出し、守護者ケルブが火の石の間からあなたを消えうせさせた。あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものとした。あなたは不正な商いで不義を重ね、あなたの聖所を汚した。わたしはあなたのうちから火を出し、あなたを焼き尽くした。こうして、すべての者が見ている前で、わたしはあなたを地上の灰とした。
これは、人間が創られる前のことだと思われます。天で罪が生まれ、不義がなされました。しかし、この段階では、その後の6000年間に人間と共同で成された驚くべき罪はまだありませんでした。サタンは人間無しではこれほどの罪を犯すことは出来なかったでしょう。
それでは神様はこのような恐るべき暗黒、邪悪、罪を予知できなかったのでしょうか。もし、予知できたら、なぜそれを止められなかったのでしょうか。
一つの考え方として、全能者である神様にも苦手なことがあるということです。それは罪や悪を予知することです。実際、エレミヤ書にはこうあります。
またベンヒンノムの谷にあるトペテの高き所を築いて、むすこ娘を火に焼いた。わたしはそれを命じたことはなく、またそのようなことを考えたこともなかった。エレミヤ7:31(口語訳)
口語訳では「考えたこともなかった」新改訳では「思いつきもしなかった」。どちらにせよ、神様には罪や悪を予知することは苦手なのではないかと思います。それは神の清い御性質にはふさわしくないことです。しかし、罪や悪があるということはご存知だったと思います。光の反対に闇があるように。それは神の中にではなく、創造された天使と宇宙の中に生まれたことでした。其れは予知されていたのでしょう。
たとえば、カインの裁きは極めて寛大です。愛すら感じます。しかし、その後のカインの子孫の暴虐、悪徳までは予知されなかったのではないだろうかと思いそうですが、神様は全てをご存知で、その結果と対処の仕方を完全にご計画されていたのだろうと思います。
それは次のような御言葉で分かります。
すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。エペソ1:4
これによると、神は世界の創られる前から、キリストを送って、私たちを聖く傷のないものにすると決めておられたのです。ということはサタンと人間の罪のコラボレーションを知っておられたのでしょうか。どのように、どの程度、罪と悪をご存知だったのでしょうか。私には分かりません。
ただ、はっきりしているのは、私たちは罪と悪を知り、それによって苦しんでいたと言うことです。世界には平和は無く、恐ろしい殺人や詐欺や邪悪がはびこっています。それで私は考えます、神は何のために世界を創られたのだろう? アダムの創造からわずか2000年で人間の中に「完全な者」はノアしかなく、後の99.99%は滅ぼされなければなりませんでした。何と言う悲劇でしょうか。
その後の2000年間は、アブラハムによってイスラエル民族を創られましたが、それも結局は不信仰の故にアッシリア、バビロンに滅ぼされなければなりませんでした。
しかし、ついに闇が打ち破られるときが来ました。
やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。イザヤ9:2
神の御子イエス様が来られて、十字架の上で贖いをなされました。それからもう一度新しい民族“クリスチャン”が生まれました。それから2000年。キリスト教会は世界を取り戻しました。これこそ神様のご計画の最後の段階でしょう。色々、紆余曲折があったにせよ、これほど神を愛し、神と共に生きた人々が多かった時代はありませんでした。私たちが考えている以上に、教会は神の創造の御業の完成だったのです。
ナポレオンはコルシカ島に流されたとき、「ナザレ人よ、汝は勝てり」と言ったと言います。それは「かつて私のために死ぬ者は何万人もいた、しかし、今私のために死ぬ者はひとりもいない。しかし、千数百年昔に死んだイエスの為に死ぬ者は今でも無数に居るではないか」というわけです。そうです、キリストの為に生き、キリストの為に死んだ人々は歴史上数十億人になるでしょう。教会こそ神の求めておられた御子の花嫁、御体なのです。神が世界に許容した罪も悪も、結局このためだったのです。
また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。黙示録21:1〜:2
罪と悪から贖い出されて、永遠の御国に入るにふさわしい人々を神が捜し求めて6000年の年月が掛かりました。今でも、というより、今こそサタンは勝ち誇って世界を我が物顔に荒らしまわっています。私は一般的なクリスチャンより、少しこの点については知っています。しかし、今でも、神を愛し、キリストの為に生き死ぬことを厭わない人々が世界中に数億人はいるのです。サタンとその追随者がどれほど邪悪や暗黒の力で攻め寄せても、自分の弱さと戦いながらも、いざとなれば命に代えて神の国を選び取る人々が数え切れないほど居ます。エリヤが神様に、「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうとねらっています。」と叫んだとき、神様は、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である。」と答えられました。何とエリヤは知らなかったのですが同じ信仰を堅く守っている人々が7000人も居たのです。
しかし、今、私たちには数億人の仲間が居ます。死に直面しても、サタンにひざをかがめず、偶像に口づけしない人々です。神様の御計画はことごとくサタンに妨害され、失敗に帰したように見えましたが、それは教会の大勝利によって完全に取り戻されたのです。教会こそ神の創造の業の完成であり、勝利なのです。あなたはそのうちに居ますか?
罪も闇も消え去っては居ません。それどころか益々暗く恐ろしく増大しています。しかし、私たちには永遠に消えない光があります。ですからこう言われています。
起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。イザヤ60:1〜:2
 ますます、主を求めて、地の塩、世の光として輝きましょう。