ホームページ・メッセージ091121        小 石  泉

出エジプト記  No. XXVI 幕屋の建造(出エジプト最終回)


 35章から39章は幕屋の建造に関する記述です。ここは特に一つ一つ説明を要しないと思いますので、必要なところだけを取り上げます。
] 35:1 モーセはイスラエル人の全会衆を集めて彼らに言った。「これは、主が行なえと命じられたことばである。 35:2 六日間は仕事をしてもよい。しかし、七日目には、主の聖なる全き休みの安息を守らなければならない。この日に仕事をする者は、だれでも殺されなければならない。 35:3 安息の日には、あなたがたのどの住まいのどこででも、火をたいてはならない。」 35:4 モーセはイスラエル人の全会衆に告げて言った。「これは、主が命じて仰せられたことである。 35:5 あなたがたの中から主への奉納物を受け取りなさい。すべて、心から進んでささげる者に、主への奉納物を持って来させなさい。
 ここで重要なのは、神へのささげものは「心から進んでささげる」ものだと言うことです。口語訳では「心から喜んで」とあります。これは捧げることの大原則でした。
35:20 イスラエル人の全会衆は、モーセの前から立ち去った。 35:21 感動した者と、心から進んでする者とはみな、会見の天幕の仕事のため、また、そのすべての作業のため、また、聖なる装束のために、主への奉納物を持って来た 35:25 また、心に知恵のある女もみな、自分の手で紡ぎ、その紡いだ青色、紫色、緋色の撚り糸、それに亜麻布を持って来た。 35:26 感動して、知恵を用いたいと思った女たちはみな、やぎの毛を紡いだ。35:27 上に立つ者たちはエポデと胸当てにはめるしまめのうや宝石を持って来た。 35:28 また、燈火、そそぎの油、かおりの高い香のためのバルサム油とオリーブ油とを持って来た。 35:29 イスラエル人は、男も女もみな、主がモーセを通して、こうせよと命じられたすべての仕事のために、心から進んでささげたのであって、彼らはそれを進んでささげるささげ物として主に持って来た。
 男たち女たちが息弾ませて、神の宮の建設に捧げている姿が目に浮かぶようです。彼らは「心から進んで」捧げたのです。
35:30 モーセはイスラエル人に言った。「見よ。主はユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルを名ざして召し出し、 35:31 彼に、知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たされた。 35:32 それは彼が金や銀や青銅の細工を巧みに設計し、 35:33 はめ込みの宝石を彫刻し、木を彫刻し、あらゆる設計的な仕事をさせるためである。 35:34 また、彼の心に人を教える力を授けられた。彼とダン部族のアヒサマクの子オホリアブとに、そうされた。 35:35 主は彼らをすぐれた知恵で満たされた。それは彼らが、あらゆる仕事と巧みな設計をなす者として、彫刻する者、設計する者、および、青色、紫色、緋色の撚り糸や亜麻布で刺繍する者、また機織りする者の仕事を成し遂げるためである。
ここでモーセ神様は御指示に従って特定の人物を指名しました。彼らはそれぞれの分野で有能な匠でした。嬉しいことですね、私たちの才能も神様の御用に役立つことがあるのです。あなたの得意な分野は何ですか? もしかしたらそれも神様の御用に役立つかもしれません。
36:1 ベツァルエルとオホリアブ、および、聖所の奉仕のすべての仕事をすることのできる知恵と英知を主に与えられた、心に知恵のある者はみな、主が命じられたすべてのことを成し遂げなければならない。」 36:2 モーセは、ベツァルエルとオホリアブ、および、主が知恵を授けられた、心に知恵のある者すべて、すなわち感動して、進み出てその仕事をしたいと思う者すべてを、呼び寄せた。 36:3 彼らは、聖所の奉仕の仕事をするためにイスラエル人が持って来たすべての奉納物をモーセから受け取った。しかしイスラエル人は、なおも朝ごとに、進んでささげるささげ物を彼のところに持って来た。 36:4 そこで、聖所のすべての仕事をしていた、知恵のある者はみな、それぞれ自分たちがしていた仕事から離れてやって来て、 36:5 モーセに告げて言った。「民は幾たびも、持って来ています。主がせよと命じられた仕事のために、あり余る奉仕です。」 36:6 それでモーセは命じて、宿営中にふれさせて言った。「男も女も、もはや聖所の奉納物のための仕事をしないように。」こうして、民は持って来ることをやめた。 36:7 手持ちの材料は、すべての仕事をするのに十分であり、あり余るほどであった。39:42 イスラエル人は、すべて、主がモーセに命じられたとおりに、そのすべての奉仕を行なった。 39:43 モーセが、すべての仕事を彼らが、まことに主が命じられたとおりに、したのを見たとき、モーセは彼らを祝福した。
 イスラエルの人々は喜び勇んでささげものを持ってきました。ついにそれは多すぎる量になりました。そのためにモーセは持ってくることを止めさせなければなりませんでした。何と幸いなこと。教会の建設でもそうであってほしいですね。
40:1 主はモーセに告げて仰せられた。 40:2 「第一の月の一日に、あなたは会見の天幕である幕屋を建てなければならない。 40:3 その中にあかしの箱を置き、垂れ幕で箱の前を仕切り、 40:4 机を入れ、その備品を並べ、燭台を入れ、そのともしび皿を上げる。 40:5 あなたは香のための金の壇をあかしの箱の前に置き、垂れ幕を幕屋の入口に掛ける。 40:6 会見の天幕である幕屋の入口の前に、全焼のいけにえの祭壇を据え、 40:7 会見の天幕と祭壇との間に洗盤を据えて、これに水を入れる。 40:8 回りに庭を設け、庭の門に垂れ幕を掛ける。 40:9 あなたは、そそぎの油を取って、幕屋とその中のすべてのものにそそぎ、それと、そのすべての用具とを聖別する。それは聖なるものとなる。
 ついに天幕は完成しました。ここで注意したいのは、モーセが前に、神様と会うために建てた個人用の天幕と同じ言葉「会見の天幕」と言う言葉が使われていることです。それは同じ目的の為に、そう名づけられたのでしょう。第一の月と言うのはアビブの月と呼ばれて、日本で言えば7月に当たります。
40:1 主はモーセに告げて仰せられた。 40:2 「第一の月の一日に、あなたは会見の天幕である幕屋を建てなければならない。 40:3 その中にあかしの箱を置き、垂れ幕で箱の前を仕切り、 40:4 机を入れ、その備品を並べ、燭台を入れ、そのともしび皿を上げる。 40:5 あなたは香のための金の壇をあかしの箱の前に置き、垂れ幕を幕屋の入口に掛ける。 40:6 会見の天幕である幕屋の入口の前に、全焼のいけにえの祭壇を据え、 40:7 会見の天幕と祭壇との間に洗盤を据えて、これに水を入れる。 40:8 回りに庭を設け、庭の門に垂れ幕を掛ける。 40:9 あなたは、そそぎの油を取って、幕屋とその中のすべてのものにそそぎ、それと、そのすべての用具とを聖別する。それは聖なるものとなる。 40:10 あなたは全焼のいけにえの祭壇と、そのすべての用具に油をそそぎ、その祭壇を聖別する。祭壇は最も聖なるものとなる。 40:11 洗盤とその台とに油をそそいで、これを聖別する。
 いよいよ幕屋、天幕の神殿が建てあげられました。どんな喜びが沸き起こったことでしょう。これは天にある本当の天幕の雛形、コピーです。
40:12 アロンとその子らを会見の天幕の入口に近づかせ、水で彼らを洗い、 40:13 アロンに聖なる装束を着けさせ、彼に油をそそぎ彼を聖別する。彼は祭司としてわたしに仕える。 40:14 彼の子らを近づかせ、これに長服を着せなければならない。 40:15 あなたは、彼らの父に油をそそいだように、彼らにも油をそそぐ。彼らは祭司としてわたしに仕える。彼らが油をそそがれることは、彼らの代々にわたる永遠の祭司職のためである。」 40:16 モーセはそのようにした。すべて主が彼に命じられたとおりを行なった。
 祭司はメシヤと呼ばれました。油をそそがれたからです。王と預言者も同じです。アロンと子供たちは栄光の働きに召されました。これ以降、イスラエルでレビ族は特別な尊敬を持って扱われます。
40:17 第二年目の第一月、その月の第一日に幕屋は建てられた。 40:18 モーセは、幕屋を建てるとき、台座を据え、その板を立て、その横木を通し、その柱を立て、 40:19 幕屋の上に天幕を広げ、その上に天幕のおおいを掛けた。主がモーセに命じられたとおりである。 40:20 また、彼はさとしを取って箱に納め、棒を箱につけ、「贖いのふた」を箱の上に置き、 40:21 箱を幕屋の中に入れ、仕切りのために垂れ幕を掛け、あかしの箱の前を仕切った。主がモーセに命じられたとおりである。
40:22 また、彼は会見の天幕の中に、すなわち、幕屋の北のほうの側で垂れ幕の外側に、机を置いた。 40:23 その上にパンを一列に並べて、主の前に供えた。主がモーセに命じられたとおりである。 40:24 彼は会見の天幕の中、机の反対側の幕屋の南側に、燭台を置いた。 40:25 そうして彼は主の前にともしび皿を上げた。主がモーセに命じられたとおりである。
40:26 それから彼は、会見の天幕の中の垂れ幕の前に、金の壇を置き、 40:27 その上でかおりの高い香をたいた。主がモーセに命じられたとおりである。
40:28 彼は、幕屋の入口に垂れ幕を掛け、 40:29 全焼のいけにえの祭壇を、会見の天幕である幕屋の入口に置き、その上に全焼のいけにえと穀物のささげ物とをささげた。主がモーセに命じられたとおりである。 40:30 また彼は、会見の天幕と祭壇との間に洗盤を置き、洗いのために、それに水を入れた。 40:31 モーセとアロンとその子らは、それで手と足を洗った。 40:32 会見の天幕にはいるとき、または、祭壇に近づくとき、彼らはいつも洗った。主がモーセに命じられたとおりである。
40:33 また、幕屋と祭壇の回りに庭を設け、庭の門に垂れ幕を掛けた。こうして、モーセはその仕事を終えた。40:34 そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。 40:35 モーセは会見の天幕にはいることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。 40:36 イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。 40:37 雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。 40:38 イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである。
「主がモーセに命じられたとおりである」。何度も何度も繰り返されるこの言葉は、これらの神殿の建造とその祭式が、人間の発想によるものではないと言うことを強く印象付けます。設計も建造も、そこで行われる儀式も全ては神の計画によって成されたのです。なぜならそれは「神の家」だからです。
神に至る道は、人間が自分勝手に考え、これぐらいなら良いだろうと作られるものではありません。厳密な規則があるのです。そうでなければ、人間の高慢や野心や邪悪さが入って来るでしょう。それは一本道です。日本には宗教を表す次のような歌があります。
「分け上るふもとの道は多けれど、同じ高嶺の月を見るかな。」 色々、道はあるけれど結局、皆同じさと言う意味です。しかし、聖書の神、全能の神に関しては、この考えは許されません。人間が作り出す千も万もの道は神にとって汚れています。この幕屋は、結局はイエス・キリストを表すのです。
この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。使徒4:12