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出エジプト記  No. XXIII 金の子牛


32:1 民はモーセが山から降りて来るのに手間取っているのを見て、アロンのもとに集まり、彼に言った。「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。」 32:2 それで、アロンは彼らに言った。「あなたがたの妻や、息子、娘たちの耳にある金の耳輪をはずして、私のところに持って来なさい。」 32:3 そこで、民はみな、その耳にある金の耳輪をはずして、アロンのところに持って来た。 32:4 彼がそれを、彼らの手から受け取り、のみで型を造り、鋳物の子牛にした。彼らは、「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ。」と言った。 32:5 アロンはこれを見て、その前に祭壇を築いた。そして、アロンは呼ばわって言った。「あすは主への祭りである。」 32:6 そこで、翌日、朝早く彼らは全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえを供えた。そして、民はすわっては、飲み食いし、立っては、戯れた。
私はこの箇所を読むと、いつも悲痛な思いに駆られます。エジプトを出るとき、あの偉大な奇跡を見、意気揚々と出かけてきたイスラエルの民。神の偉大な御手の御業を目の前で見て来た人々が、今や偶像に礼拝を捧げているのです。それもモーセの兄アロンが作った金の子牛です! 人間とは何と弱い者でしょうか。クリスチャンでも、救われたと言いながら、またこの世に帰って行く人々のようです。
 一面、分かるような気もします。モーセがシナイ山に登って40日も経ちました。生きているのか、帰ってくるのか、イスラエルの人々は不安になりました。そしてアロンは民衆の声に屈して金の子牛を作り偶像礼拝をさせました。この人物が大祭司として神とイスラエルを仲介することになるのですから、奇怪な話です。
 これらの金は、あのエジプトから奪い取ったものでした。エジプトを出ると言うことは偶像との決別を意味していたのです。それにもかかわらず、彼らは再び偶像にすがりました。実際、世界のあらゆる地域、あらゆる時代に、無数の偶像が作られ、拝まれていたのは人間の悲惨以外の何物でもありません。それに比べて、本当の神を礼拝する人間の何と少ないことか。これは日本人に言っても、判らないでしょうね。
 あのラリー・ウイリアムズとボブ・コーニュークが証明した本当のシナイ山、サウジアラビヤのラウズ山にはいまでもその金の子牛を祭った石の祭壇があります。




ラウズ山の麓にある子牛の祭壇









32:7 主はモーセに仰せられた。「さあ、すぐ降りて行け。あなたがエジプトの地から連れ上ったあなたの民は、堕落してしまったから。 32:8 彼らは早くも、わたしが彼らに命じた道からはずれ、自分たちのために鋳物の子牛を造り、それを伏し拝み、それにいけにえをささげ、『イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ。』と言っている。」
 神の激しい憤りを感じますが、悲鳴にも似た悲しみを感じます。神様は邪悪さや裏切りという暗黒面には、あまりにもイノセントであられるのです。人間が犯す罪に驚き、唖然とされているのです。エレミヤ書には、イスラエル人が自分の子供たちを偶像に焼いて捧げる行為を驚き、「そんなことは考えたこともない」と言っておられます。神は全能者ですが、罪や邪悪さというものには無垢であられることが判ります。
またベンヒンノムの谷にあるトペテの高き所を築いて、むすこ娘を火に焼いた。わたしはそれを命じたことはなく、またそのようなことを考えたこともなかった。エレミヤ7:31(口語訳)
 偶像は単なる物質ではなく、その後ろにサタンや悪霊がいます。どんなに神が愛を注がれても、人間はサタンや悪霊の方に流れて行くのは情けないことです。
32:9 主はまた、モーセに仰せられた。「わたしはこの民を見た。これは、実にうなじのこわい民だ。 32:10 今はただ、わたしのするままにせよ。わたしの怒りが彼らに向かって燃え上がって、わたしが彼らを絶ち滅ぼすためだ。しかし、わたしはあなたを大いなる国民としよう。」 32:11 しかしモーセは、彼の神、主に嘆願して言った。「主よ。あなたが偉大な力と力強い御手をもって、エジプトの地から連れ出されたご自分の民に向かって、どうして、あなたは御怒りを燃やされるのですか。 32:12 また、どうしてエジプト人が『神は彼らを山地で殺し、地の面から絶ち滅ぼすために、悪意をもって彼らを連れ出したのだ。』と言うようにされるのですか。どうか、あなたの燃える怒りをおさめ、あなたの民へのわざわいを思い直してください。 32:13 あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルを覚えてください。あなたはご自身にかけて彼らに誓い、そうして、彼らに、『わたしはあなたがたの子孫を空の星のようにふやし、わたしが約束したこの地をすべて、あなたがたの子孫に与え、彼らは永久にこれを相続地とするようになる。』と仰せられたのです。」 32:14 すると、主はその民に下すと仰せられたわざわいを思い直された。
 “うなじ”というのは首の後ろのことです。うなじがこわいと言うのは、頑固と言う意味です。神様は失望され、モーセ一人からもう一度民族を起こすと言われました。ノアのときを思い出します。しかし、この神の激しい怒りの前にモーセは立ちはだかりました。これを執り成しと言います。一人の人間が神の前に出て、執り成すとはなんと言う偉大な勇気でしょうか。この箇所はイエス様の十字架の上のお言葉を思い出させます。苦しい釘付けの中で、自分の下着をくじ引きで分け合っている兵士たちを見て言われました。
そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。ルカ23:34
 私たちには永遠の執り成し手があります。神と人をつなぎとめる主イエスの両手があります。十字架の釘跡のある御手です。
32:15 モーセは向き直り、二枚のあかしの板を手にして山から降りた。板は両面から書いてあった。すなわち、表と裏に書いてあった。 32:16 板はそれ自体神の作であった。その字は神の字であって、その板に刻まれていた。 32:17 ヨシュアは民の叫ぶ大声を聞いて、モーセに言った。「宿営の中にいくさの声がします。」 32:18 するとモーセは言った。「それは勝利を叫ぶ声ではなく、敗北を嘆く声でもない。私の聞くのは、歌を歌う声である。」 32:19 宿営に近づいて、子牛と踊りを見るなり、モーセの怒りは燃え上がった。そして手からあの板を投げ捨て、それを山のふもとで砕いてしまった。 32:20 それから、彼らが造った子牛を取り、これを火で焼き、さらにそれを粉々に砕き、それを水の上にまき散らし、イスラエル人に飲ませた。 32:21 モーセはアロンに言った。「この民はあなたに何をしたのですか。あなたが彼らにこんな大きな罪を犯させたのは。」
 モーセには何が起こっているのか判りませんでした。それで、神御自身の指で十戒が書かれた石の板を持って山から下りました。モーセに仕えて控えていたヨシュアも共に下りました。そしてそこで見たものは、金の子牛の周りを踊り狂うイスラエルの人々でした。神の怒りと失望は、モーセの怒りと失望に変わりました。あまりの醜態に、モーセは神の書かれた尊い石の板が、彼らにはふさわしくないと思ったのでしょう。何と砕いてしまったのです。お前たちにこの尊い宝を与えることが出来るだろうか。そして、もしそのまま置いておいたら、たちまちこの石の板が偶像になる危険性も感じたのでしょう。そして、アロンを詰問します。アロンの言葉は、何とも苦しい言い訳です。
32:22 アロンは言った。「わが主よ。どうか怒りを燃やさないでください。あなた自身、民の悪いのを知っているでしょう。 32:23 彼らは私に言いました。『私たちに先立って行く神を、造ってくれ。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。』 32:24 それで、私は彼らに、『だれでも、金を持っている者は私のために、それを取りはずせ。』と言いました。彼らはそれを私に渡したので、私がこれを火に投げ入れたところ、この子牛が出て来たのです。」 32:25 モーセは、民が乱れており、アロンが彼らをほうっておいたので、敵の物笑いとなっているのを見た。 32:26 そこでモーセは宿営の入口に立って「だれでも、主につく者は、私のところに。」と言った。するとレビ族がみな、彼のところに集まった。 32:27 そこで、モーセは彼らに言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられる。おのおの腰に剣を帯び、宿営の中を入口から入口へ行き巡って、おのおのその兄弟、その友、その隣人を殺せ。」 32:28 レビ族は、モーセのことばどおりに行なった。その日、民のうち、おおよそ三千人が倒れた。 32:29 そこで、モーセは言った。「あなたがたは、おのおのその子、その兄弟に逆らっても、きょう、主に身をささげよ。主が、きょう、あなたがたに祝福をお与えになるために。」 32:30 翌日になって、モーセは民に言った。「あなたがたは大きな罪を犯した。それで今、私は主のところに上って行く。たぶんあなたがたの罪のために贖うことができるでしょう。」
 この時、モーセと共に立ち上がったのがレビ族でした。彼らはおとなしく優しい祭司ではありませんでした。神のためなら、あえて武力を行使するのです。
32:31 そこでモーセは主のところに戻って、申し上げた。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。 32:32 今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら――。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」 32:33 すると主はモーセに仰せられた。「わたしに罪を犯した者はだれであれ、わたしの書物から消し去ろう。 32:34 しかし、今は行って、わたしがあなたに告げた場所に、民を導け。見よ。わたしの使いが、あなたの前を行く。わたしのさばきの日にわたしが彼らの罪をさばく。」 32:35 こうして、主は民を打たれた。アロンが造った子牛を彼らが礼拝したからである。
 モーセは再び神の元に戻って行きます。そして、「あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください」と、自分の“永遠の命”を差し出して、イスラエルの為に執り成します。ここにも主イエスの雛形としてのモーセの姿があります。