Gone are the days when my heart was young and gay,
Gone are my friends from the cotton fields away,
Gone from the earth to a better land I know,
I hear their gentle voices calling "Old Black Joe"
若くて元気な日々は過ぎて
友たちは綿畑から去って行った
地上から、もっと良い地へ
私を呼ぶ彼らの優しい声が聞こえる
有名な“オールド・ブラック・ジョー”です。アメリカの黒人奴隷の霊歌です。改めて読んでみるといい歌ですね。私もいつの間にかこういう歳になったなあと思います。ただ、この歌のどこにも主イエスも神も歌われていないのが淋しいですけれど。
人間はいつか死にます。その時、どんな思いがするのでしょうか。良く耳にする言葉があります。「思い残すことは無い」「成すべきことは成した」。極め付きはパウロ先生の言葉でしょう。
わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。
Uテモテ4:6〜8
(口語訳)
さすがですね。私には到底言えない言葉です。私の正直な気持ちとしたら、「何も出来なかった。ただ、哀れみによって生かされた。」です。私としたら、まるであのゴルゴタの十字架の強盗のように「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」というのが精一杯です。
歳を取って楽しみなのが孫です。これは想定外の楽しみでした。そこには新しい命があります。まだ汚れていない、純な魂があります。見ているだけで感動します。これから悪を知り、葛藤や、苦悩を経験するのでしょう。しかし、今のイノセント(無邪気)な命自身が神様からの尊い賜物だと思います。
先日、病院に行ったらお医者さんが「このままだと、人工透析ですね」と言いました。「透析を受けないとどうなりますか?」「死にます」思わず「それは良い!」と言ってしまいました。お医者さんも看護師さんも「・・・・」でしたが、本当にそう思いました。
病院に行くと、一分一秒でも生きたい、生かさなければならないという人々で一杯です。誰に聞いても「死にたくない」というのでしょうか。それが正常なことなのでしょうか。しかし、果たして生きることがそんなに大事なことでしょうか。体中にパイプを差し込まれれて無理矢理生かされたり、人間の体内で出来る薬品や機能を、外部から注入して、一年でも二年でも長生きすることがそんなに必要なことなのでしょうか。挙句の果てに他人の臓器を移植してまで生きたいのでしょうか。私は人の臓器の寿命もその人の寿命だと思います。もちろん一家の主(あるじ)であったり、幼子を持つ母ならば生きてほしいですが、もう人生の峠を越え、さほど世の中に役に立たない人間なら無理矢理生かすことも無いと思うのです。自分自身がそうですから。
ただ、死ぬという時間までの間、体の不調がどれほどのものか判りません。それを緩和することが出来るなら治療も良い選択かもしれません。あっさりと死ねればいいのですが、あちこち不具合になって苦しむのはいやですから、生きるということに執着しないにしてもなるべく楽に行きたいものです・・・・人間は身勝手なものですね。
今、日本中で大問題になっている老人介護も、なまじっか長生きするから発生する問題で、昔のように60〜70で死んでいたら問題にもならなかったでしょう。
主よ、あなたは世々われらのすみかでいらせられる。山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。
あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。
あなたの目の前には千年も過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。
あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。われらはあなたの怒りによって消えうせ、あなたの憤りによって滅び去るのです。
あなたはわれらの不義をみ前におき、われらの隠れた罪をみ顔の光のなかにおかれました。
われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。
われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。
だれがあなたの怒りの力を知るでしょうか。だれがあなたをおそれる恐れにしたがってあなたの憤りを知るでしょうか。われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。
主よ、み心を変えてください。いつまでお怒りになるのですか。あなたのしもべをあわれんでください。あしたに、あなたのいつくしみをもってわれらを飽き足らせ、世を終るまで喜び楽しませてください。あなたがわれらを苦しめられた多くの日と、われらが災にあった多くの年とに比べて、われらを楽しませてください。 あなたのみわざを、あなたのしもべらに、あなたの栄光を、その子らにあらわしてください。われらの神、主の恵みを、われらの上にくだし、われらの手のわざを、われらの上に栄えさせてください。われらの手のわざを栄えさせてください。詩篇90:1〜17
この詩は「神の人モーセの祈」と書かれています。偉大な神の人の荘厳な祈りです。そして、この通りだと思います。ここにも人間の平均寿命は70、健やかでも80と書かれています。そしてその一生は楽しいことばかりではないとも書かれています。人の寿命を決めるのは神御自身です。問題はその後です。あのオールド・ブラック・ジョーにも書かれているように、「地上から、もっと良い地」へ行ける希望があるかどうかです。
ところが、改めて、その「もっと良い地」が現実のものに近づいて見て、実際には何も知らないことに気がつきました。知ることが出来るのは聖書だけです。それ以外の知識は良くて臨死体験者の証言、あとはほとんどがオカルトの馬鹿話です。
私たちが海外旅行をするとき、いろいろなパンフレットや旅行案内でその国のことを知ろうとします。しかし、実際に行ってみると図上のものと現実の違いを痛感します。特にヨーロッパはそうでした。イスラエルに行ったときは聖書の印象と実際が圧倒的に違いました。
それでも私たちには御国に関しては聖書以外に無いのですから、聖書を頼りに行くしかありません。ただ一つ、地上の旅行と天の旅行の違いは主キリストに会えるという体験です。あの方だけが頼りなのです。あの方に会えば、全ては解決するのです。
神である主、常にいまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」黙示録1:8
そこで私は、私に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。それらの燭台の真中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。その足は、炉で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、 生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。1:12〜18
間もなく、この方に会うのです! 興奮しますね。出来ることなら、イスラエルを歩かれた柔和で優しいお姿にお会いしたいですが。 ええ! お前は行けるのかですって。
しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。使徒2:21
こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。ヘブル10:19
とあるではありませんか。だから多分、大丈夫と思いますよ・・・・。大丈夫ですとも。