ホームページ・メッセージ090920           小 石  泉

立体的な信仰


 ある青年が私に「先生はサタンについてよくご存知ですが、それは神様を見失うことになりませんか」というようなことを聞きました。彼は別にとがめだてをするつもりはなく、率直に疑問を伝えたのです。私は答えました。「とんでもない、サタンについて知れば知るほど、神様の美しさ、清らかさ、愛の大きさ、力の偉大さを知るようになるよ」。

 私には、あるジレンマがあります。それは一般にキリスト教会があまりにもサタンについて無知だということです。そのギャップに悩むことがあります。確かに、闇の中から救われ、神様についてもっと多くのことを知りたいと願っている人々にとって、サタンなんて考えるだけでもいやなことは分かります。しかし、それは善悪の木の実を食べる前のアダムとエバのようです。教会もクリスチャンの両親も、信徒や子供に命の木の実だけを与えようとします。それは確かに健全で美しいことに見えます。しかし、それは脆弱な美です。神様がエデンの園にわざわざ“その実を食べてはならない木”を植えた意味が判っていません。そんな木を植えなければ、人間はこんなに悲惨な歴史を通ることも無かったでしょう。しかし、神様はあえて人間が罪の闇を知ることを求められました。闇を知らなければ光の価値は分からないからです。

 時々、欠陥住宅のニュースが流れます。高いお金を出してやっと買った夢の住まいが欠陥住宅だった! 憤慨、絶望、悲嘆。しかし、酷に聞こえるかもしれませんが、私は、そこには買った人の責任もあると思います。私なら人生の大半の収入をつぎ込む住まいの購入なら、土台の建設現場から完成まで毎日でも見届けます。
 サタンについて無知な教会は欠陥住宅だと思います。どんなに美しく華やかで多くの人が集まっていても土台は大丈夫でしょうか? それはいわゆるリバイバル集会でもナントカ聖会でも同じことです。確かに神様の守り、聖霊の助けはあるでしょう。しかし、人間の側の最低限度の責任もあるはずなのです。

 牧師は戦争で言えば最前線で戦う部隊長のようなものです。しかし、戦闘の最中に、その部隊長が敵の現在位置を把握していなかったらどうでしょうか。

「隊長、敵はどこにいるのですか?」
「わからん、どこでもいいから撃ちまくれ!」

 教会やクリスチャンが美しく、華やかであればあるほど、サタンはねたみます。レベッカ・ブラウン*という女性の伝道者は「サタンは霊的に美しいものを、激しくねたむ」と言っています。それは彼が「もともと天において最も美しい存在だったから」です。
「人の子よ。ツロの王について哀歌を唱えて、彼に言え。神である主はこう仰せられる。あなたは全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった。あなたは神の園、エデンにいて、あらゆる宝石があなたをおおっていた。赤めのう、トパーズ、ダイヤモンド、緑柱石、しまめのう、碧玉、サファイヤ、トルコ玉、エメラルド。あなたのタンバリンと笛とは金で作られ、これらはあなたが造られた日に整えられていた。 わたしはあなたを油そそがれた守護者ケルブとともに、神の聖なる山に置いた。あなたは火の石の間を歩いていた。エゼキエル28:12〜14

サタンとなる前の天使長ヘレル(ラテン語でルシファー)は“全きもの典型”でした。
知恵に満ち、美のきわみである完全な印(口語訳)
お前はあるべき姿を印章としたものであり、知恵に満ち、美しさの極みである。(新共同訳)
You were once an example of perfection. How wise and handsome you were!(TEV)
You were the seal of perfection,Full of wisdom and perfect in Beauty.(KJV)
ヘレルはこんなにも美しかったのです。しかし、その美しさの故に高慢になりサタンとなりました。これは驚くべきことですね。
あなたの行ないは、あなたが造られた日からあなたに不正が見いだされるまでは、完全だった。あなたの商いが繁盛すると、あなたのうちに暴虐が満ち、あなたは罪を犯した。そこで、わたしはあなたを汚れたものとして神の山から追い出し、守護者ケルブが火の石の間からあなたを消えうせさせた。あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものとした。あなたは不正な商いで不義を重ね、あなたの聖所を汚した。わたしはあなたのうちから火を出し、あなたを焼き尽くした。こうして、すべての者が見ている前で、わたしはあなたを地上の灰とした。国々の民のうちであなたを知る者はみな、あなたのことでおののいた。あなたは恐怖となり、とこしえになくなってしまう。」28:15 〜19

 こうしてサタンは神に逆らう者となり、神に近づく者、美しい信仰をねたむ者となりました。しかし、だからと言って恐れることはないのです。神の許しが無ければサタンは神に従うものに指一本触れることは出来ないのです。
主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」主はサタンに仰せられた。「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは主の前から出て行った。ヨブ1:8 〜12

 神様は愛する者を無意味に苦しみにあわせられることありません。あるクリスチャンの婦人が何か不都合なことに出会って、「ああ、サタンにやられた」と言ったところ、その御主人が「神に守られないなら、サタンを信じた方がいいだろう」と言ったといいます。
主イエスは「あなた方を捨てて孤児とはしない」といわれています。クリスチャンには神の愛のバリアーがあります。しかし、だからと言ってサタンのことに無知で居て良いということになりません。知らなければならないこともあります。そうでないと騙されることがあるからです。ベニー・ヒンは聖霊の器と讃えられ、ハリーポッターは多くの教会の推薦図書となっています。しかし、ベニー・ヒンはクリスチャンですらありません。ハリー・ポッターはサタン礼拝の初級の教科書です。これは私がそう思うと言うのではなく、かつてサタン礼拝者だった人々からの内部告発で知っているのです。私はサタン礼拝で幼児の犠牲を捧げる会場を、実際にそこでやっていた人と共に見ています。彼らは命がけで信仰を守っているのです。
ある日、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンも来てその中にいた。主はサタンに仰せられた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えて言った。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」ヨブ1:6〜7
サタンの現在位置を知ることは重要なことです。サタンは被造物ですから、個体であって、遍在(同時にどこにでもいること)することはできません。世界を見るには移動しなければならないのです。そのために彼は部下を使って国々を支配しています。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。エペソ6:12
そこで彼は言った、「あなたは、わたしがなんのためにきたかを知っていますか。わたしは、今帰っていって、ペルシャの君と戦おうとしているのです。彼との戦いがすむと、ギリシヤの君があらわれるでしょう。ダニエル10:20

 ダニエルに現れた天使はこのように言っています。そこでアメリカの君、日本の君というようにそれぞれの国を支配する天使がいると考えられえます。彼らはさらに多くの部下を用いて支配を続けています。聖書はこれらのサタンの配下の堕落天使全般をサタンと呼ぶこともあります。また、サタンは心から喜んで仕える多くの人間を持っています。多くの場合、彼らはその報酬として豊かな富と地位を与えられます。

 私たちはこのサタンを正確に確認し、有効な対決をしなければなりません。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。 エペソ6:11〜18

 この御言葉の意味するところを、どれだけの人が本当に理解しているでしょうか。敵の姿が明確でなく、漠然としているなら、どうして戦いに勝てるでしょうか。「悪魔の策略」という言葉の意味をどれだけの人が正確に知っているでしょうか。この御言葉は単なる美しい詩ではありません。現実の戦争です。
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。ヨハネ1:5
信仰は平面的なものではありません。立体的なもの。裏も表もあるのです。光を知っていますか、では輝くべき闇も少しは知るべきです。

 
* レベッカ・ブラウンについて

レベッカ・ブラウンはアメリカの女性の伝道者です。非常に深い霊的な戦いを教えてくれます。著書は日本ではエターナルライフミニストリーズ(広島市宇品郵便局私書箱20号FAX082(252)8889)という出版社から出ています。 ただ、私はこの社の別の本については責任を負いません。なお、同姓同名の有名な作家がいますが、その人はクリスチャンかどうか分かりません。