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出エジプト記  No. XVII  契約の箱


 モーセはシナイ山でこれから作る聖所(天幕の神殿)の設計図を示されますが、モーセは天にある本当の聖所を見せられたのです。これは非常に驚くべきことです。案外多くのクリスチャンが意識していないことですが、聖所とかモーセの幕屋と言われる天幕の神殿は天にある本当の神殿の模型なのです。
彼らは、天にある聖所のひな型と影とに仕えている者にすぎない。それについては、モーセが幕屋を建てようとしたとき、御告げを受け、「山で示された型どおりに、注意してそのいっさいを作りなさい」と言われたのである。ヘブル8:5
そして、天にある神の聖所が開けて、聖所の中に契約の箱が見えた。また、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴と、地震とが起り、大粒の雹が降った。黙示録11:19
また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。ヘブル9:12
キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所にはいられたのではなく、天そのものにはいられたのです。そして、今、私たちのために神の御前に現われてくださるのです。ヘブル9:24

 モーセはシナイ山で、幻かそれとも本当に行ったのか分かりませんが、天の聖所を見せられてそれを見た通りに作るように命じられました。
25:1 主はモーセに告げて仰せられた。 25:2 「わたしに奉納物をささげるように、イスラエル人に告げよ。すべて、心から進んでささげる人から、わたしへの奉納物を受け取らなければならない。 25:3 彼らから受けてよい奉納物は次のものである。金、銀、青銅、 25:4 青色、紫色、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、 25:5 赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、 25:6 燈油、そそぎの油とかおりの高い香のための香料、 25:7 エポデや胸当てにはめ込むしまめのうや宝石。 25:8 彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。 25:9 幕屋の型と幕屋のすべての用具の型とを、わたしがあなたに示すのと全く同じように作らなければならない。

 アラビヤの砂漠にいたイスラエル人はエジプトから剥ぎ取った財宝で非常に豊かでした。神様はその一部から捧げものをするように命じられました。元々、それは彼らのものではなかったのですが、それにもかかわらず「すべて、心から進んでささげる」ように言われました。そのように捧げるという行為は、常に自発的なものであるべきです。

 さて、出エジプト記はモーセの誕生から80歳までの準備期間に始まります。神様はイスラエルを救うために、その指導者を80年掛けて準備されました。次に十の災いに始まるエジプトからの脱出、紅海が割れる奇跡、砂漠の奇跡などスケールの大きなビジュアルな書物です。(ですからセシル・B・デミル監督は「十戒」というすばらしい映画を作ることが出来ました。)しかし、ここに来て、モーセだけがシナイ山の上で、たった一人で神と対面して神殿を作る設計図を与えられています。モーセだけが静かな空間に居ます。
25:10 アカシヤ材の箱を作らなければならない。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト半。 25:11 これに純金をかぶせる。それは、その内側と外側とにかぶせなければならない。その回りには金の飾り縁を作る。 25:12 箱のために、四つの金の環を鋳造し、それをその四隅の基部に取りつける。一方の側に二つの環を、他の側にほかの二つの環を取りつける。 25:13 アカシヤ材で棒を作り、それを金でかぶせる。 25:14 その棒は、箱をかつぐために、箱の両側にある環に通す。 25:15 棒は箱の環に差し込んだままにしなければならない。抜いてはならない。 25:16 わたしが与えるさとしをその箱に納める。

 聖所の設計図はその中心である契約の箱から始まります。契約の箱に関しては色々な想像図があります。しかし、ここに示すのはロン・ワイアットさんがゴルゴタの丘の下で実際に発見したものの写生です。写真が良いのですが黄金のミストに覆われていてどんなカメラでも撮影できなかったそうです。この契約の箱は今でもゴルゴタの丘の下にあります。取り出すことがあまりにも危険なためです。すでに単なる好奇心や金儲けのために近づいた人が幾人か死んだそうです。またイスラエル国家自身がまだそれを運び出す準備が出来ていないからです。これに関しては徳間書店から林陽著「契約の棺」という本が出ています。またホームページ(Ron Wyattさんの名前だけで出ます)でDVDや本が発売されています。

 アカシヤの木は腐りにくい性質をもっています。それを純金の板で覆いました。この契約の箱は主イエスをあらわすものです。板は主の人性を表し、それを覆う金は神性を表すといわれます。1キュビトは約40センチですから長さは1メートル、幅と高さは60センチの箱です。この箱は聖所の最も奥、至聖所に置かれました。
25:17 また、純金の『贖いのふた』を作る。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。 25:18 槌で打って作った二つの金のケルビムを『贖いのふた』の両端に作る。 25:19 一つのケルブは一方の端に、他のケルブは他方の端に作る。ケルビムを『贖いのふた』の一部としてそれの両端に作らなければならない。 25:20 ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で『贖いのふた』をおおうようにする。互いに向かい合って、ケルビムの顔が『贖いのふた』に向かうようにしなければならない。 25:21 その『贖いのふた』を箱の上に載せる。箱の中には、わたしが与えるさとしを納めなければならない。 25:22 わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう。

 「贖いのふた」とは契約の箱の上のふたのことです。口語訳聖書では贖罪所と言われていました。これこそ全ての聖所の中心です。このふたは純金で作られていました。その両端にケルビムが羽を広げていました。このふたはアカシヤ材が無く、純金の板だけでしたから、ケルビム(神の最も近くで奉仕する天使)は補強材になっていたのかもしれません。ケルブというのは単数形です。この贖いのふたの上に毎年、大祭司が牛や羊の血を注いで民の罪の贖いをしました。

 ロン・ワイアットさんはこの贖いのふたの上に、キリストが十字架で流された血が落ちていたと言っています。それは十字架刑のとき、地震があり、それによって出来た割れ目から、兵士が槍で刺したわき腹の血が流れ落ちたのです。そんなうまい話があるものかと言われますが、それが事実なら本当の神の子羊の血が贖いのふたの上に注がれたことになります。私はそれを読んだとき鳥肌が立ちました。ワイアットさんは敬虔なクリスチャンです。真のクリスチャンはそんな重大なことをうそで言いませんし、クリスチャンで無いならそんなことに関心を持ちません。私はこの話を神の深いご計画と信じます。肯定するにしても否定するにしても本当に真摯で敬虔な思いでなすべきです。
25:23 机をアカシヤ材で作らなければならない。長さは二キュビト、幅は一キュビト、高さは一キュビト半。 25:24 これを純金でかぶせ、その回りに金の飾り縁を作り、 25:25 その回りに手幅のわくを作り、そのわくの回りに金の飾り縁を作る。 25:26 その机のために金の環を四個作り、その四隅の四本の足のところにその環を取りつける。 25:27 環はわくのわきにつけ、机をかつぐ棒を入れる所としなければならない。 25:28 棒をアカシヤ材で作り、これに金をかぶせ、それをもって机をかつぐ。 25:29 注ぎのささげ物を注ぐための皿やひしゃく、びんや水差しを作る。これらは純金で作らなければならない。 25:30 机の上には供えのパンを置き、絶えずわたしの前にあるようにする。

 机は聖所の中の幕に仕切られた至聖所の外側に置かれた三つの道具の一つです。この机の上には6枚重ねのパンがふた山置かれました。その他の道具も全て純金で作られました。主イエスが「私は命のパンである」と言われたとき、この机の上のパンを意識しておられたことは明らかです。
25:31 また、純金の燭台を作る。その燭台は槌で打って作らなければならない。それには、台座と支柱と、がくと節と花弁がなければならない。 25:32 六つの枝をそのわきから、すなわち燭台の三つの枝を一方のわきから、燭台の他の三つの枝を他のわきから出す。 25:33 一方の枝に、アーモンドの花の形をした節と花弁のある三つのがくを、また、他方の枝にも、アーモンドの花の形をした節と花弁のある三つのがくをつける。燭台から出る六つの枝をみな、そのようにする。 25:34 燭台の支柱には、アーモンドの花の形をした節と花弁のある四つのがくをつける。 25:35 それから出る一対の枝の下に一つの節、それから出る次の一対の枝の下に一つの節、それから出るその次の一対の枝の下に一つの節。このように六つの枝が燭台から出ていることになる。 25:36 それらの節と枝とは燭台と一体にし、その全体は一つの純金を打って作らなければならない。 25:37 それにともしび皿を七つ作る。ともしび皿を上げて、その前方を照らすようにする。 25:38 その心切りばさみも心取り皿も純金である。 25:39 純金一タラントで燭台とこれらのすべての用具を作らなければならない。 25:40 よく注意して、あなたが山で示される型どおりに作れ。
 この七つの枝を持つ燭台はイスラエルを表す重要な象徴となっています。現在のイスラエルの国章もこの燭台です。ヘブル語でメノラーと言います。  この燭台の意味を考えるとき、欠かせないのが黙示録の冒頭に出てくる主イエスとの関係です。ここには七つのメノラーがあって、それは教会を表すと言われています。
わたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。1:20 エペソにある教会の御使いに書き送れ。『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。2:1

 使徒ヨハネは主をこう言い表しています。
「すべての人を照すまことの光があって、世にきた。」ヨハネ1:9 
主は真の光であり、その光を受けた者も世の光になると言われています。

聖所の中にはこの燭台以外に明かりはありませんでした。しかし、至聖所はケルビムの間に光がありました。この光をシカイナまたはシェキナの光と言います。神の臨在の光であり、それは今でもゴルゴタの丘の下の契約の箱を覆っています。