ホームページ・メッセージ090712 小 石 泉
Bible Land museum
バイブルランド博物館
出エジプト記 No. XVI 岩からの水と強い敵
17:1 イスラエル人の全会衆は、主の命により、シンの荒野から旅立ち、旅を重ねて、レフィディムで宿営した。そこには民の飲む水がなかった。 17:2 それで、民はモーセと争い、「私たちに飲む水を下さい。」と言った。モーセは彼らに、「あなたがたはなぜ私と争うのですか。なぜ主を試みるのですか。」と言った。 17:3 民はその所で水に渇いた。それで民はモーセにつぶやいて言った。「いったい、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのですか。私や、子どもたちや、家畜を、渇きで死なせるためですか。」 17:4 そこでモーセは主に叫んで言った。「私はこの民をどうすればよいのでしょう。もう少しで私を石で打ち殺そうとしています。」 17:5 主はモーセに仰せられた。「民の前を通り、イスラエルの長老たちを幾人か連れ、あなたがナイルを打ったあの杖を手に取って出て行け。 17:6 さあ、わたしはあそこのホレブの岩の上で、あなたの前に立とう。あなたがその岩を打つと、岩から水が出る。民はそれを飲もう。」そこでモーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのとおりにした。 17:7 それで、彼はその所をマサ、またはメリバと名づけた。それは、イスラエル人が争ったからであり、また彼らが、「主は私たちの中におられるのか、おられないのか。」と言って、主を試みたからである。
シンの荒野がどこであるかは正確にはわかりません。一般的には死海の南西部の砂漠地帯とされています。しかし、シナイ山がアラビヤ半島だったと言う私が信じる説によればそれはシナイ山の近くにあったのでしょう。ここでも水の不足が起こりました。マラでは飲用に適さない水に、木を投げ込んで変えましたが、ここでは岩から水を出しました。最も水と縁の無いものから水を出したのです。この岩と水はキリストを表しています。
そこで、兄弟たち。私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。私たちの先祖はみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。
そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、 みな同じ御霊の食べ物を食べ、みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。Tコリント10:1〜4
あなたの前に、岩のような障害があっても、主にあっては、不可能はありません。岩を打つとき、そこから命の水が流れ出ます。私たちも祈りの杖を持って岩を打つのです。
マサは「試みる」、メリバは「争う」という意味です。水源が「試みる」「争う」という名であるのも日本人からすると奇妙ですが、中東諸国では良くあることなのでしょう。
17:8 さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った。 17:9 モーセはヨシュアに言った。「私たちのために幾人かを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。あす私は神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」 17:10 ヨシュアはモーセが言ったとおりにして、アマレクと戦った。モーセとアロンとフルは丘の頂に登った。
アマレク人はヤコブの兄エソウの孫から生まれた民族です。民数記で異邦人の預言者バラムがモアブの山の頂からアマレク人の地を見渡し「アマレクは国々の中で首位のもの、しかしその終わりは滅びに至る」民24:20と預言したことから見ても、当時、アマレクは非常に強大な民族だったようです。アラブ人の特性から、国家を成すようにはならなかったようですが、個々に強力な武力を持っていたようです。その名も、「好戦的な」または「谷に住む人々」という意味であるように、非常に粗暴、残虐でイスラエルの神を侮る民族だったようです。映画アラビヤのロレンスで見る、馬に乗って、ターバンをなびかせて戦うアラブ戦士の姿とあまり変わらなかったでしょう。また後に、ペルシャの国でユダヤ人を絶滅しようとしたハマンは、このアマレク人の子孫のようです。
モーセは若き後継者候補ヨシュアに戦闘の指揮を任せます。モーセと共にアロンとフルが戦場を見渡せる高いところに行きました。ちなみに、“ベン・ハー”というのは、この「フルの子」という意味です。
17:11 モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。 17:12 しかし、モーセの手が重くなった。彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いたので、モーセはその上に腰掛けた。アロンとフルは、ひとりはこちら側、ひとりはあちら側から、モーセの手をささえた。それで彼の手は日が沈むまで、しっかりそのままであった。 17:13 ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で打ち破った。
ここに祈りの力が明確に示されています。モーセが上げる手はアマレクの強大な軍事力をもしのぐものでした。祈りは核兵器よりも有力です。アロンとフルはモーセの祈りを助けましたが、神の器も助ける人が居るとき一層力を発揮できるのです。
17:14 主はモーセに仰せられた。「このことを記録として、書き物に書きしるし、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう。」 17:15 モーセは祭壇を築き、それをアドナイ・ニシと呼び、 17:16 「それは『主の御座の上の手』のことで、主は代々にわたってアマレクと戦われる。」と言った。
アマレクはこの後も何度もイスラエルを苦しめました。以下にCD−ROM「聖書の達人」の新聖書辞典の記事が適切なので引用します。
*イスラエルが初めてアマレク人の攻撃を受けたのは,シナイの荒野のレフィディムにおいてである(出17:8).イスラエルを攻撃したことにより,アマレク人は歴史から完全に消し去られなければならないと命じられている(申25:19,Tサム15:2‐3).レフィディムでの戦いでは,イスラエルが勝利を得たが,その1年後,偵察から帰った人々の報告を受けてから,イスラエルはモーセの命令を無視してパレスチナ南部に入ろうとした.そのためイスラエルはホルマでアマレク人に打ち負かされた(民14:43‐45).士師の時代に,アマレク人との対決が2度記録されている.アマレク人はモアブの王エグロンを助けてイスラエルを攻めた(士3:13).それからミデヤン人や東の人々と連合してイスラエルの作物や家畜の群を襲ったが,ギデオンに打ち負かされた(士6:3,33,7:12,10:12).出エジプトの時代から,アマレク人が現れるのは常にネゲブであったが,エフライムの山中にも足場を築いていたらしい(士12:15).異邦人の預言者バラムはモアブの山の頂からアマレク人の地を見渡し,「アマレクは国々の中で首位のもの.しかしその終わりは滅びに至る」と預言した(民24:20).それほどアマレク人は強大な勢力を誇っていたのであろう.サムエルはイスラエルの初代の王となったサウルにアマレク人を徹底的に滅ぼすよう命じた.サウルはハビラからシュルまでアマレク人を追いかけて打ち滅ぼし,その王アガグを生けどりにした.サムエルはアガグのいのちを助けたことでサウルを責め,アガグを切り殺した(Tサム15章).ダビデはサウルに追われていた流浪時代にアマレク人を打って復讐されたことがあるが,再び攻めて打ち負かした(Tサム27:8‐9,30:1‐20).ついにダビデによってアマレク人は徹底的に屈服させられ,王国の確立と共にアマレク人の攻撃はやんだようである(参照Uサム8:12).前8世紀末のヒゼキヤ王の時代に,アマレクの残党がセイル山のとりでにいたが,シメオン族によって打ち滅ぼされた(T歴4:42‐43).
アマレクについては歴史的にほとんど判っていません。それは「わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう」とあるからです。アマレクはイスラエル人を捕まえると割礼の男根を切り取り、天に放り投げて「ヤハウエ受け取れ」と叫ぶような霊的に堕落し、神に真っ向から逆らう民族でしたから、聖書の中でもほとんど哀れみを掛けられないで消えていった民族です。
アドナイ・ニシは新改訳だけが「主の御座の上の手」と訳していますが、口語訳、新共同訳共に「主はわが旗」と訳しています。英語でもKJVもTEVも「The Lord is my Banner」と訳していますから「主はわが旗」が適切だと思います。「主の御座の上の手」では意味が判りません。どうしてこのように訳したのか理解に苦しむところです。蛇足ですが英語の聖書ではアドナイ・ニシというヘブル語の音表記はされていません。その点、日本語の聖書の方が良いなと思いました。
KJV=King James Version TEV=Today`s English Version