ホームページ・メッセージ090628 小 石 泉
Bible Land museum
バイブルランド博物館
出エジプト記 No. XTV 勝利と前進
15:1 そこで、モーセとイスラエル人は、主に向かって、この歌を歌った。彼らは言った。「主に向かって私は歌おう。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれたゆえに。
15:2 主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。
15:3 主はいくさびと。その御名は主。 15:4 主はパロの戦車も軍勢も海の中に投げ込まれた。えり抜きの補佐官たちも葦の海におぼれて死んだ。
15:5 大いなる水は彼らを包んでしまい、彼らは石のように深みに下った。
15:6 主よ。あなたの右の手は力に輝く。主よ。あなたの右の手は敵を打ち砕く。 15:7 あなたは大いなる威力によって、あなたに立ち向かう者どもを打ち破られる。あなたが燃える怒りを発せられると、それは彼らを刈り株のように焼き尽くす。 15:8 あなたの鼻の息で、水は積み上げられ、流れはせきのように、まっすぐ立ち、大いなる水は海の真中で固まった。 15:9 敵は言った。『私は追って、追いついて、略奪した物を分けよう。おのれの望みを彼らによってかなえよう。剣を抜いて、この手で彼らを滅ぼそう。』 15:10 あなたが風を吹かせられると、海は彼らを包んでしまった。彼らは大いなる水の中に鉛のように沈んだ.
15:11 主よ。神々のうち、だれかあなたのような方があるでしょうか。だれがあなたのように、聖であって力強く、たたえられつつ恐れられ、奇しいわざを行なうことができましょうか。
15:12 あなたが右の手を伸ばされると、地は彼らをのみこんだ。 15:13 あなたが贖われたこの民を、あなたは恵みをもって導き、御力をもって聖なる御住まいに伴われた。
15:14 国々の民は聞いて震え、もだえがペリシテの住民を捕えた。 15:15 そのとき、エドムの首長らは、おじ惑い、モアブの有力者らは、震え上がり、カナンの住民は、みな震えおののく。 15:16 恐れとおののきが彼らを襲い、あなたの偉大な御腕により、彼らが石のように黙りますように。
主よ。あなたの民が通り過ぎるまで。あなたが買い取られたこの民が通り過ぎるまで。 15:17 あなたは彼らを連れて行き、あなたご自身の山に植えられる。主よ。御住まいのためにあなたがお造りになった場所に。主よ。あなたの御手が堅く建てた聖所に。 15:18 主はとこしえまでも統べ治められる。」
ここは何の説明も要らないところです。モーセは高らかに勝利の歌を神に向かって歌いました。案外、この歌を原語で歌うと、私たちの知っているメロデイなのかもしれませんよ・・・・。日本には誰もその意味を知らないのによく歌われる歌がありますから・・・・。
神の偉大な力は表れました。このように旧約聖書の時代には神の直接的な介入が何度かありましたがそれでも人間が神を信じ悔い改めたのは少ないのです。人間はすぐに忘れてしまいます。イスラエルもこんな大きな体験をしたのに、忘れては神につぶやいています。
15:19 パロの馬が戦車や騎兵とともに海の中にはいったとき、主は海の水を彼らの上に返されたのであった。しかしイスラエル人は海の真中のかわいた土の上を歩いて行った。
先週お話したように、この時、海にはかわいた岩盤が現れてイスラエルは深い谷底まで砂地を下って登ることなく、堅い岩の上を水平に歩いて渡ったのです。今、ここを再調査すべきなのですが、各国の警備体制のために非常に難しいそうです。残念ですね。
15:20 アロンの姉、女預言者ミリヤムはタンバリンを手に取り、女たちもみなタンバリンを持って、踊りながら彼女について出て来た。
15:21 ミリヤムは人々に答えて歌った。「主に向かって歌え。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた。」
モーセの姉、ミリヤムは女預言者と言われています。どんな人だったのか興味がありますね。しかし、後にモーセに逆らい、らい病になっています。何となく、今はやりの自称「女預言者」と通じるものがありますね。ちなみにこのミリヤムがギリシャ語でマリヤになりました。意味は“美しい、ふくよかな”です。昔は太っている女性が美しいとされたのです。昔、生まれていれば、良かったのにねえ・・・・。
15:22 モーセはイスラエルを葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。彼らには水が見つからなかった。
15:23 彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。
15:24 民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか。」と言った。
15:25 モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。その所で主は彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。
15:26 そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行ない、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」
シュル、マラの位置は正確にはわかりません。ただ、例のウイリアムズたちはそれらしい井戸の跡を見つけています。マラとは今でもアラビヤ語で「苦い」という意味です。木を投げ込んで水質が変わるというのは科学的には説明できないことなのでしょう。それこそ、神の奇跡です。その後の言葉で、この砂漠で、イスラエル人は病気になることは非常にまれだったと考えられます。
15:27 こうして彼らはエリムに着いた。そこには、十二の水の泉と七十本のなつめやしの木があった。そこで、彼らはその水のほとりに宿営した。
エリムに相当するオアシスもウイリアムズたちは発見しています。彼らはイスラエルの歩行による距離の推定どおりにこのオアシスも発見しています。しかし、マラにしてもエリムにしても100万人以上の人口を潤すにはあまりにも貧弱な気がします。ただ、人間にとって水は、飲むためにはそんなに多くは要らないものです。前にエジプトからイスラエルにいったとき、運転手さんやガイドさんが、私たちの半分も水を飲まないことに驚いた記憶があります。
もう、30年以上前になりますが、船橋に居たとき、私たちは井戸の水をポンプでくみ上げて使っていました。冷たくておいしい水でした。ところがある時、ポンプが故障してしまったのです。修理には1週間ほどかかりました。この間、水が無くて非常に困りました。何が一番困ったかというと、飲料水とか煮炊きではありませんでした。洗うということです。人間にとって水の最大の用途は洗うということなのだと痛感しました。
イスラエルは砂漠ではほとんど衣服を洗わないで済んだはずです。砂漠では汗はすぐに蒸発してしまいます。また、こういう御言葉もあります。
私は、四十年の間、あなたがたに荒野を行かせたが、あなたがたが身に着けている着物はすり切れず、その足のくつもすり切れなかった。申命記29:5
ここから着物が汚れなかったと結論することは正しくないかもしれませんが、何となくそんな気がするのです。
さて、この後、イスラエルは40年間砂漠をさまようことになります。それは彼らの不従順によるものなのですが、特に次のように言われていることに注意しましょう。
あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
申命記8:2
苦しみや、悩みは神様があなたを一層、御自分に近づけるために、試みているのです。だから、いつも喜んでいましょう。