ホームページ・メッセージ090621 小 石 泉
Bible Land museum
バイブルランド博物館
出エジプト記 No. XIII 海の中の橋
14:1 主はモーセに告げて仰せられた。 14:2 「イスラエル人に、引き返すように言え。そしてミグドルと海の間にあるピ・ハヒロテに面したバアル・ツェフォンの手前で宿営せよ。あなたがたは、それに向かって海辺に宿営しなければならない。 14:3 パロはイスラエル人について、『彼らはあの地で迷っている。荒野は彼らを閉じ込めてしまった。』と言うであろう。 14:4 わたしはパロの心をかたくなにし、彼が彼らのあとを追えば、パロとその全軍勢を通してわたしは栄光を現わし、エジプトはわたしが主であることを知るようになる。」そこでイスラエル人はそのとおりにした。
14:5 民の逃げたことがエジプトの王に告げられると、パロとその家臣たちは民についての考えを変えて言った。「われわれはいったい何ということをしたのだ。イスラエルを去らせてしまい、われわれに仕えさせないとは。」 14:6 そこでパロは戦車を整え、自分でその軍勢を率い、 14:7 えり抜きの戦車六百とエジプトの全戦車を、それぞれ補佐官をつけて率いた。 14:8 主がエジプトの王パロの心をかたくなにされたので、パロはイスラエル人を追跡した。しかしイスラエル人は臆することなく出て行った。

ピ・ハヒロテ、バアル・ツェフォンは共に正確な位置はわかりません。地中海沿岸を考える人と、シナイ半島西岸を考える人とで意見は別れます。恐らく今のスエズ湾の近くでしょう。さて、モーセはパロに「荒野に向かって三日間の道のりを行かせてくれ」と言っています。当然、エジプト軍の偵察隊が後を追ってきたと思われます。ところが4日目も歩き始めるのを見たので、偵察隊は首都のパロに知らせに帰ったはずです。彼らは徒歩ではなくらくだか馬を使っていたと考えられるので、2日位で着いたことでしょう。それを聞いたパロが600の戦車隊と数万の軍隊を集合させるのに最低4日位かかります。それから出発してもイスラエルはさらに6日間歩いていたのですから、8日から9日歩いたことになります。エジプトの軍隊が追いつくには約10日間。結局、彼らが追いついたのは19日後位と思われます。この数字は、前にお話した「隠された神の山」で本当のシナイ山を目指したウイリアムズとコーニュークが計算したものです。従来言われているスエズ湾や地中海沿いにあるシルボニス湖では全く日数が合いません。また、当時から歴史上常にシナイ半島はエジプト領でしたから、モーセは現在のシナイ半島の南端にある聖カタリナ山のシナイ山ではなく、アラビヤ、現在のサウジアラビヤに向かっていたのです。そしてエジプト軍が追いついたとき、イスラエルはアカバ湾の沿岸に居ました。(紅海はエジプト側のスエズ湾とアラビヤ側のアカバ湾に分かれています。)
14:9 それでエジプトは彼らを追跡した。パロの戦車の馬も、騎兵も、軍勢も、ことごとく、バアル・ツェフォンの手前、ピ・ハヒロテで、海辺に宿営している彼らに追いついた。 14:10 パロは近づいていた。それで、イスラエル人が目を上げて見ると、なんと、エジプト人が彼らのあとに迫っているではないか。イスラエル人は非常に恐れて、主に向かって叫んだ。 14:11 そしてモーセに言った。「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです。 14:12 私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたか。『私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。』事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」
14:13 それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。 14:14 主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」 14:15 主はモーセに仰せられた。「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。 14:16 あなたは、あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に差し伸ばし、海を分けて、イスラエル人が海の真中のかわいた地を進み行くようにせよ。 14:17 見よ。わたしはエジプト人の心をかたくなにする。彼らがそのあとからはいって来ると、わたしはパロとその全軍勢、戦車と騎兵を通して、わたしの栄光を現わそう。 14:18 パロとその戦車とその騎兵を通して、わたしが栄光を現わすとき、エジプトはわたしが主であることを知るのだ。」
14:19 ついでイスラエルの陣営の前を進んでいた神の使いは、移って、彼らのあとを進んだ。それで、雲の柱は彼らの前から移って、彼らのうしろに立ち、 14:20 エジプトの陣営とイスラエルの陣営との間にはいった。それは真暗な雲であったので、夜を迷い込ませ、一晩中、一方が他方に近づくことはなかった。 14:21 そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。 14:22 そこで、イスラエル人は海の真中のかわいた地を、進んで行った。水は彼らのために右と左で壁となった。 14:23 エジプト人は追いかけて来て、パロの馬も戦車も騎兵も、みな彼らのあとから海の中にはいって行った。 14:24 朝の見張りのころ、主は火と雲の柱のうちからエジプトの陣営を見おろし、エジプトの陣営をかき乱された。 14:25 その戦車の車輪をはずして、進むのを困難にされた。それでエジプト人は言った。「イスラエル人の前から逃げよう。主が彼らのために、エジプトと戦っておられるのだから。」
14:26 このとき主はモーセに仰せられた。「あなたの手を海の上に差し伸べ、水がエジプト人と、その戦車、その騎兵の上に返るようにせよ。」 14:27 モーセが手を海の上に差し伸べたとき、夜明け前に、海がもとの状態に戻った。エジプト人は水が迫って来るので逃げたが、主はエジプト人を海の真中に投げ込まれた。 14:28 水はもとに戻り、あとを追って海にはいったパロの全軍勢の戦車と騎兵をおおった。残された者はひとりもいなかった。 14:29 イスラエル人は海の真中のかわいた地を歩き、水は彼らのために、右と左で壁となったのである。 14:30 こうして、主はその日イスラエルをエジプトの手から救われた。イスラエルは海辺に死んでいるエジプト人を見た。 14:31 イスラエルは主がエジプトに行なわれたこの大いなる御力を見たので、民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。

この有名な話には、実はさらに興味深い事実があります。多くの学者は紅海が割れた場所をスエズ湾や地中海沿岸の湖水だと信じて、盛んに調査しましたが何も出てきませんでした。しかし、ロン・ワイアットさんはアカバ湾の出口、ティラン海峡を調査し、エジプトの軍隊の多くの遺物を発見しているのですが、なぜか、これも世界のキリスト教会では認められていません。
さらに興味深いことは、このティラン海峡にはシナイ半島からアラビヤ半島にかけて浅瀬(海中の陸橋)があるのです。そのために、引き潮のときに通過しようとする船舶は座礁してしまいます。上の写真はそのことを表しています。遠くに見える船は浅瀬に乗り上げて座礁して放置されたものです。
ここで、イスラエルは「海の真中のかわいた地」を通ったと言われています。普通、海峡の海底はX字型の砂地のはずです。しかし、ここには海の真ん中に堅い橋がありました。もちろん、水は両側にせき止められたのですが、彼らは易々と水平に近い岩盤の上を通ることが出来ました。神様は創造の初めから、このための橋を作って置かれたのです。
後を追って入ったエジプト軍は、押し寄せる波に飲まれてしまいました。何という劇的な出来事だったことか。海に浮かぶ数万のエジプトの精鋭の水死体。恐ろしい情景ですがイスラエルにとって永遠に忘れがたい光景だったことでしょう。
このティラン海峡は、現在はエジプトとサウジアラビヤの厳重な監視下にあって、あまり近づくことは出来ないそうです。それでもアラブ人たちは貴重な遺物を見つけて闇の市場に売っているそうです。
他にも、ウイリアムズは軍隊に居たとき衛星写真の分析をしていたジョージ・スチーブンスという友人にシナイ半島とアラビヤ半島の人工衛星の赤外線写真の分析を依頼していました。それによると、
- 上の地図のように、数千年前の大勢の人の踏み跡の経路がはっきり見て取れる。
- 所々に大きな宿営の跡がある。特にティラン海峡の両側にははっきりとある。
- その踏み跡はアラビヤ半島に渡った後、18キロ南下し、その後北上して北に向かいラウズ山に至って居る。
- 現在のシナイ山、カテリナ山にもいくつかの道筋があるが、それはせいぜい300〜400年前のもので、紅海を挟んで断続している道とは古さもサイズも比較にならない。
- カテリナ山の近くには大きな宿営地の跡は認められない。(元々そんな平野が無い)
このように、出エジプトの路程の一部は、現代科学で明白に証明されているのです。