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出エジプト記  No. 11 過ぎ越しの祭り−U

12:15 あなたがたは七日間種を入れないパンを食べなければならない。その第一日目に、あなたがたの家から確かにパン種を取り除かなければならない。第一日から第七日までの間に種を入れたパンを食べる者は、だれでもイスラエルから断ち切られるからである。 12:16 また第一日に聖なる会合を開き、第七日にも聖なる会合を開かなければならない。この期間中、どんな仕事もしてはならない。ただし、みなが食べなければならないものだけは作ることができる。 12:17 あなたがたは種を入れないパンの祭りを守りなさい。それは、ちょうどこの日に、わたしがあなたがたの集団をエジプトの地から連れ出すからである。あなたがたは永遠のおきてとして代々にわたって、この日を守りなさい。 12:18 最初の月の十四日の夕方から、その月の二十一日の夕方まで、種を入れないパンを食べなければならない。 12:19 七日間はあなたがたの家にパン種があってはならない。だれでもパン種のはいったものを食べる者は、在留異国人でも、この国に生まれた者でも、その者はイスラエルの会衆から断ち切られるからである。 12:20 あなたがたはパン種のはいったものは何も食べてはならない。あなたがたが住む所ではどこででも、種を入れないパンを食べなければならない。」

なぜ、神様がこんなにも執拗に種入れぬパン、イースト菌を避けさせたのか、判りませんが、確かに非常に印象的に体感できることだとは思います。それも七日間もです。人間にとって食べると言うことを通すことは一番判りやすい教育でしょう。この間、イースト菌は家の中に有ってはいけないので、どこか外に保管したのでしょうか。生のイースト菌はヨーグルトの種のように継続して保つものだからです。

12:21 そこで、モーセはイスラエルの長老たちをみな呼び寄せて言った。「あなたがたの家族のために羊を、ためらうことなく、取り、過越のいけにえとしてほふりなさい。 12:22 ヒソプの一束を取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血をかもいと二本の門柱につけなさい。朝まで、だれも家の戸口から外に出てはならない。 12:23 主がエジプトを打つために行き巡られ、かもいと二本の門柱にある血をご覧になれば、主はその戸口を過ぎ越され、滅ぼす者があなたがたの家にはいって、打つことがないようにされる。 12:24 あなたがたはこのことを、あなたとあなたの子孫のためのおきてとして、永遠に守りなさい。 12:25 また、主が約束どおりに与えてくださる地にはいるとき、あなたがたはこの儀式を守りなさい。 12:26 あなたがたの子どもたちが『この儀式はどういう意味ですか。』と言ったとき、 12:27 あなたがたはこう答えなさい。『それは主への過越のいけにえだ。主がエジプトを打ったとき、主はエジプトにいたイスラエル人の家を過ぎ越され、私たちの家々を救ってくださったのだ。』」すると民はひざまずいて、礼拝した。 12:28 こうしてイスラエル人は行って、行なった。主がモーセとアロンに命じられたとおりに行なった。

 「主がエジプトを打つために行き巡られ、かもいと二本の門柱にある血をご覧になれば、主はその戸口を過ぎ越され、滅ぼす者があなたがたの家にはいって、打つことがないようにされる。」恐ろしいことです。滅ぼす者とは誰なのでしょうか。私は天使の一団のような気がします。天使にはそのような力が与えられています。アブラハムの時、ソドムとゴモラを滅ぼしたのは、たった二人の天使でした。そして、このような念入りで印象的なオブジェクトレッスン(視覚教育)は後の子孫に、いつまでも正確に伝わるためでした。

12:29 真夜中になって、主はエジプトの地のすべての初子を、王座に着くパロの初子から、地下牢にいる捕虜の初子に至るまで、また、すべての家畜の初子をも打たれた。 12:30 それで、その夜、パロやその家臣および全エジプトが起き上がった。そして、エジプトには激しい泣き叫びが起こった。それは死人のない家がなかったからである。 12:31 パロはその夜、モーセとアロンを呼び寄せて言った。「おまえたちもイスラエル人も立ち上がって、私の民の中から出て行け。おまえたちが言うとおりに、行って、主に仕えよ。 12:32 おまえたちの言うとおりに、羊の群れも牛の群れも連れて出て行け。そして私のためにも祝福を祈れ。」 12:33 エジプトは、民をせきたてて、強制的にその国から追い出した。人々が、「われわれもみな死んでしまう。」と言ったからである。

その夜、エジプトのほとんどの家庭で長男が死にました。大きな嘆きが起こり、モーセの神への恐れが満ちました。世界に神が介入され、御自身を表されたのです。
 出エジプトは二つの時代が考えられています。最初は第十八王朝のアメンホテプU世、次は第十九王朝のメレンプタハですが、この二人とも長男が後を継いで居ません。古代社会においては、長男は特別なものでした。ヤコブが双子の兄エソウの長男の特権を必死に欲しがったことを思い出してください。現代と違って、次男三男とは全く格が違うのです。その長男がエジプトから消え去りました。この恐怖はエジプトを震え上がらせました。

12:34 それで民は練り粉をまだパン種を入れないままで取り、こね鉢を着物に包み、肩にかついだ。 12:35 イスラエル人はモーセのことばどおりに行ない、エジプトから銀の飾り、金の飾り、それに着物を求めた。 12:36 主はエジプトがこの民に好意を持つようにされたので、エジプトは彼らの願いを聞き入れた。こうして、彼らはエジプトからはぎ取った。

 彼らは長年の奴隷の報酬を受け取ったのです。それは全体としては、恐らく何千億、何兆円という莫大な額だったことでしょう。この財宝は後に、天幕の神殿「会見の幕屋」の材料となります。

12:37 イスラエル人はラメセスから、スコテに向かって旅立った。幼子を除いて、徒歩の壮年の男子は約六十万人。 12:38 さらに、多くの入り混じって来た外国人と、羊や牛などの非常に多くの家畜も、彼らとともに上った。 12:39 彼らはエジプトから携えて来た練り粉を焼いて、パン種の入れてないパン菓子を作った。それには、パン種がはいっていなかった。というのは、彼らは、エジプトを追い出され、ぐずぐずしてはおられず、また食料の準備もできなかったからである。 12:40 イスラエル人がエジプトに滞在していた期間は四百三十年であった。 12:41 四百三十年が終わったとき、ちょうどその日に、主の全集団はエジプトの国を出た。 12:42 この夜、主は彼らをエジプトの国から連れ出すために、寝ずの番をされた。この夜こそ、イスラエル人はすべて、代々にわたり、主のために寝ずの番をするのである。

 イスラエルの人口は壮年男子だけで60万人。老人や女性や子供を合わせると300万人にもなりますが、私にはこの数は多すぎるように思います。300万人もの人口を移動させるとしたら、水の確保や衛生面でありえないと思うのです。300万人の都市は大都市ですよ。聖書では10人の長を10と記述する場合があるので、実数は判りません。もちろん書かれた通りでも良いのです。神に不可能は無いのは判っています。
 「この夜、主は彼らをエジプトの国から連れ出すために、寝ずの番をされた」とは何と印象的な言葉でしょうか。イスラエル人は何と神に愛された民族だったことでしょうか。そして、その祝福は、キリストを信じる全ての異邦人に及んでいます。
 ヨセフに呼ばれたヤコブがエジプトに移住してから430年が経ちました。ヤコブと一緒にエジプトに行ったのはわずかに70人(男だけで)でした。そして、今やその数は一万倍近くにまで増えていました。

12:43 主はモーセとアロンに仰せられた。「過越のいけにえに関するおきては次のとおりである。外国人はだれもこれを食べてはならない。 12:44 しかし、だれでも金で買われた奴隷は、あなたが割礼を施せば、これを食べることができる。 12:45 居留者と雇い人は、これを食べてはならない。
12:46 これは一つの家の中で食べなければならない。あなたはその肉を家の外に持ち出してはならない。またその骨を折ってはならない。 12:47 イスラエルの全会衆はこれを行なわなければならない。 12:48 もし、あなたのところに異国人が在留していて、主に過越のいけにえをささげようとするなら、彼の家の男子はみな割礼を受けなければならない。そうしてから、その者は、近づいてささげることができる。彼はこの国に生まれた者と同じになる。しかし無割礼の者は、だれもそれを食べてはならない。 12:49 このおしえは、この国に生まれた者にも、あなたがたの中にいる在留異国人にも同じである。」 12:50 イスラエル人はみな、そのように行なった。主がモーセとアロンに命じられたとおりに行なった。 12:51 ちょうどその日に、主はイスラエル人を、集団ごとに、エジプトの国から連れ出された。


 過ぎ越しのいけにえは、尊い犠牲ですから、いい加減に扱ってはならないのです。割礼を受けたものだけが食べることが出来ました。この辺は、ローマ書のパウロの言葉を参考にしながら読むべきでしょう。


* 過ぎ越しの祭り
 現在でもパレスチナのサマリヤでは過ぎ越しの祭りが行われています。これは古いしきたりに従った儀式なのですが、羊を殺すときに材木を十字架のように組み合わせた上でするそうです。
 過ぎ越しの祭りについてはインターネットに詳しく出ています。ただ、日本人の説明ばかりで、ユダヤ人が説明しているものは見つかりません。日本人が過ぎ越しの祭りをやっても意味のあることなのか、疑問に思います。